昨日のつづきです。

75年カラヤン主宰のザルツブルク復活祭のフェスティヴァルで、著者は
練習中のつまみ食いをカラヤンに見咎められた。妊娠中でお腹がすいて屋台
の出し物から何度か口に入れた為に。

カラヤンは、つかつかと私に向かって来た。どうやら、イライラしている様子だ。
(中略)
ステージ上で対峙する形になった。
「君は...? どこの国から来たんだ?」
「私、日本から一人で来ました。歌手になりたくて..。
71年から団員をつとめています。
つわりがひどくて、お腹が空いて我慢できなくて...。
申し訳ありませんでした」
ところがカラヤンは、私の顔を見ながら、意外な言葉を呟いた。

「そうか。日本から..。よく、あんな遠い所から一人でやってきたね」
そう言ってカラヤンは、私を抱きしめてくれた。
そして、周囲にいる歌手たちに、大声で言った。
その声に、下がっていた歌手たちが、いっせいにカラヤンの周囲に寄ってきた。
「この娘は、東洋の果ての日本という国から一人でやって来た。私は、日本へは何度も
公演でいっているから、どんなに遠い所かよく知っている。寂しい思いをしているに
違いない。どうかみんな、これから彼女の支えになってあげてほしい」

足が震えた。立っていられなかった。
私は、カラヤンの前で、膝をついてしまい、その場で号泣した。涙が泊まらなかった。
メイクが落ちるのも忘れていた。
私の苦悩を分かってくれる人がいた。たったひと目で、私の苦悩を見抜いてくれる人がいた。
しかも、それが、世界最高の指揮者カラヤンだった。
翌日から、四年間に及んだ私に対するいじめも人種差別も、すべてピタリと止まってしまった。