まえに高橋和巳のことを書いた。
学生時代から気になっていた作家で、彼の著作をほどなく読むであろうというような内容。

高橋の旧制松江高校の恩師が駒田信二、京都大学の恩師は吉川幸次郎で高橋は弟子にあたる。
高橋が上京すると駒田の家に遊びに行く。あるとき駒田が、吉川・清水訳の「水滸伝」(岩波文庫)
の訳があまりにもヒドイので、手紙を吉川さんに書くから持って行ってくれと頼んだが、高橋は
できませんと答えた。高橋は手紙を預かったが吉川に渡ったかどうか、駒田は分からない、と。
後日、水滸伝の訳者から吉川の名前が消えているのに気がついた駒田は、たぶん手紙は吉川に
渡ったんだろうと推察している。
(以上は、駒田信二「対の思想」「遠景と近景」より)

これは昭和三十年代の出版だが、岩波文庫を見てみると全十巻のうち第六巻までは吉川・清水の共訳
となっており、第七巻以降は清水茂の単独訳。ところが岩波はおかしな出版社で、98年から改版を出し
ているが初版の記載が一切ない。
通常、初版改版の発行年月日、増刷のそれと記載するが、この水滸伝には
初版の記載が全くなく、あたかも98年にあらたに出版されたかのような体裁になっている。


おそらく駒田に指摘されたことにより訳文の改定がなされたものかと推量するが、確認はできない。
両方の版がないと比較はできないが、ボーイが第一巻の改訂版を見た処、不適切な箇所は
改めたようだ(確認はできぬ)。

「吉川さんがじぶんの翻訳(水滸伝)が最もすぐれているという意のことを書いているのを見て、あんな
ひどい訳しながら何をイバっているんだ、と思った。自分にも水滸伝の訳があるが、吉川さんの訳よりは
ましだと思っている。
吉川さんの学位論文は元曲だが、元曲を読めば出てくる言葉を、吉川さんは「水滸伝」で誤訳
している。学位論文は自分で書いたの?とききたいくらいである。」
(「書けなかったこと」 『遠景と近景』より)