「間違いだらけの漢文」張明澄著 久保書店 の続きです。
著者の主張の抜粋。


  閨怨  王昌齡
  閨中少婦不知愁  閨中の少婦は愁いを知らず
  春日凝粧上翠樓  春日粧いを凝らして翠楼に上る
  忽見陌頭揚柳色  忽ち見る陌頭揚柳の色
  悔教夫壻覓封侯  悔ゆらくは夫壻を教て封侯を覓(もと)めてめしを



凝粧は厚化粧ではなく、念入りに化粧をする意。
少婦は若い婦人の意。下町の女房ではないし、そんな雰囲気はどこにもない。
翠樓は高貴な楼という意を含んでいる。この「翠」を含んだ字は、同じ仄声
の字でも「緑」「碧」を使っていないのは、色彩以外に何かを滲み出させたかったから。
楼に住めるのは、当時あきらかにちょっとしたお金持ちであり、決して下町の女ではない。
陌頭は東西あいつうじている畦道
封侯は、漢の時代では軍功を立てる意であったが、唐代は「封侯」は大出世だけの意味を示し、
その原因は必ずしも軍功に頼らなくてもよかったのである。封侯になるのは豪族に限られていた。



閨房に住んでいる若い婦人は、もともと浮き浮きしたもんだ。
春になって、彼女は丹念に飾り、きれいな楼へ上った。
ふと、畦道の柳の色を見て、こんなすばらしい春の景色の中で、
淋しい暮らしをしているのをおもうと、
いまさらながら、夫を外へ出し、官位を求めさせたことが
悔まれてきた。



つまり、下町の女ではなく相当な暮らしの女だった。
夫は志願兵で兵隊に出て行ったのではなく、コネや科挙を頼って、官位を求めに行ったのである。
夫が官位について帰ったら、彼女は官吏の令夫人、だから浮き浮きして、閨の中で夫を待っている
のである。もちろん、夫の命に心配はない。
「封侯」だけで従軍や軍功を連想し、唐の下町に住む男には、そんな可能性がないことを、
全然無視したのである。