「墨子を読む」 駒田信二著 82年6月刊 勁草書房より 引用。

魯の人。宋(山東省)、楚(折江・江西省:折はさんずい付)にいたる各地の為政者に
自己の理想の実現に努めた。群雄割拠の時代。


儒家がその昏乱を礼楽を正すことによって救おうとしたのに対し、墨子はその礼楽を、
虚飾であって世を利するものではないとみなし、博愛と非戦と節約と勤勉とをとなえて、
堕落した貴族の世襲政治をあらため、一般大衆の生活の困苦をその下から救おうとした。

墨子のいわゆる愛は、尋常な愛ではない。兼愛、すなわち平等無差別な愛である。

墨子の主張はあくまでも庶民の側にたっての発言であった。
これに対して儒家の説くところは明らかに為政者の側に立っている。

官に常貴なく、民に終賎なし。賢人の登用を主張した。

漢学者が墨子を泥くさいというのは、墨家が儒教の敵だったからだろう。
墨家の真骨頂はかれらのいうその泥くささにある。
墨家は儒家が住んでいる飾り立てた家へ土足で踏み込んで行って、「非戦」を説き
「兼愛」を説いたのである。
 

古来、中国の哲学者、思想家のなかでも、いわゆる庶民や人民も考慮にいれて
説いたのは、墨子だけでしょう。
墨子は平等愛、非戦を唱えています。
(5・12付 駒田信二 の 老荘観3.より)