訳文はごく平明である。しかし、その平明が、卑俗になったり、ときには
猥雑になっているのは、私は好まない。ひとつの会話のなかに標準語と関西弁
(ときには鹿児島弁)がまざったり、よそいきの言葉とぞんざいな言葉がまざったり、
蓮葉な女学生口調がまざったりするのは、私には堪えられない。訳者の言語感覚は、
私から見れば、異常であり、不潔でさえある。
私が「四十自述」から誤訳を指摘したのにたいして、吉川氏は、それは原語を誤解した
のだ、と主張した。私は唖然となって、それっきり口を開くのをやめた。日本語でものを
考えない人、日本語でものを考えぬことを得意がる人、それは私にとって別の世界に住む
人である。 私は吉川氏のなかに根強い「漢学」の伝統を認めた。
(吉川が、戦時中日本文学は中国の文学を指導しなければならぬと発表したことに対し)
私は中国文学を指導しようとは思わぬし、篭絡しようとも思わぬ。また篭絡される中国文学
であるとも思わぬ。私にとって、胡適(「四十自述」の著者)よりも、胡適を置き去り
にしたものが重要であるがごとく、官設研究所官設学者の運命は、実はどうでもよいのである。
(吉川幸次郎訳「胡適自伝」評 より。1947 5月)。