「四十自適」の翻訳は、原文の支那語としての味いを、かなりよく日本語に写し
取っている。松枝の訳文と比べれば明かである。(ただし)極端に日本語に置き換え
るため全く異った物の名を類似の日本語で代用しているのは僕は不賛成である。
馬掛→羽織、ズボン→袴、辮髪→お下げ
誤った国粋であろう。

尤も、訳すべきかそのまま日本語に取り入れるべきかという限界はかなりむつかしい。
態度として日本語の伝統を重んずべしと僕が書いたのも、日本語を豊かにするために
日本語に欲しい美しい言葉、正確な言葉を支那語から自己の責任において借りて来る
ことな排除していないつもりである。それは魯迅の云うように「自分の肉を炙るために
他人の火を盗む」ことがあくまで正しいと思うからである。
これは翻訳家の間の討論を俟ちたい問題である。

翻訳とは、原文解釈の究極であると僕は信じている。解釈は理想を目的とし、理解は必然的
に表現を要求する
ものだと思う。松枝が如何に直訳に力めても、翻訳である限り解釈を排除
することは出来ぬ。いい翻訳とは、最もよく解釈された、従って解釈の限界を自覚とした
態度から生れる
ものと信じている。傾倒の深さを問われなければならない。

(外務省が訳した孫文の)「三民主義」は文字のカスであって文章ではない。
原文は支那語の特徴を生かした、抑揚に富んだ一種の名文である。その流浪する思想のリズムは、
たしかに大きく人を動かすものがある。「三民主義」の翻訳がこのような形で与えられたことは
今日の支那人の心を知ろうとする日本文化の要求に対して逆の効果を生むに過ぎない。
あるいは、日本のへ支那の関心が、近代支那の基本的文献の翻訳をこのような形でしか
持ち得ないほど貧しいものでる、と云った方が正しいのかもしれない。
(1941「翻訳時評」より)