ボーイ高校一年生のときかとおもう、高橋和巳の『我が心は石にあらず』 (新潮社)
という本のでっかい広告が朝日の三面下に載った。ほかの作家の本はなく、単独の広告
だったのが当時珍しかったので記憶に残っている。
それが高橋の名前を知った最初だった。

かわった題名なのでずっと記憶にあった。その翌年ころからだったか、東大を中心に
全国的に学園紛争が巻き起こった。加藤学長のときに、遂に安田講堂に立てこもっていた
全共闘?の連中を排除するために機動隊を導入して、国中、賛否両論の嵐だった。たしか
その年は入試も中止になったような気がする。高橋の本はかれら闘争派学生たちのあいだで
バイブルのように読まれていたらしい(それを知ったのは、ずっと後のことだった)。
かれらに高橋はシンパセティックであったようだ。

大学に入ってからもずっと高橋のことは気になっていた。すでに同級生の何人かは読んでおり
喫茶店ルノアールで熱っぽく彼の本たちのことを話していた。当時ルノアールは溜まり場で
授業が終わったり、講義の空き時間に時間を潰したりしていた。


ある日、帰りに新宿紀伊国屋書店に高橋の本を立ち読みしようと寄った。
幾冊かをめくったが、彼の文章は当時のボーイには感性的に合わず、とても読む気がしなかった。
またかりに買おうとしても単行本は高く買えなかった。文庫新書だけやっと買えた ー
それも昼食などを切り詰めてだ。(当時、図書館を利用する考えは全くなかった。手垢のついた本は
生理的に厭だった。いまは逆なんだけど。。)

二年生のときに高橋和巳は唐突に死んでしまった。
新聞の文化欄には追悼の文がいくつも載った。当時、朝日と読売を読んでいた。
じぶんは読んでいなかったので何ということもなかったが、ルノアールではちょっとした騒ぎだった。
爾来長いあいだ、高橋はこころの片隅に常にあった。
ここのところ竹内好や駒田信二らの書評や追悼の文章を読み、かれらの高橋観を知ることができた。

いま、長年の懸案を精算するときが来たと直感した。
「我が心。。」「悲の器」「わが解体」「憂鬱なる党派」「文学の責任」。。。

和巳ちゃんよ、もうすぐだ、待っててください!
まもなく、あなたの世界に行きまっせ。