連載した駒田信二と藤堂明保は、著者の紹介欄を見ると、駒田は1914年生れ(94年死亡)、
藤堂は1915年生れ、どちらも三重県出身で上の学部を卒業している。
藤堂は中国哲学科。
藤堂は60年代後半のあの東大闘争で全共闘を支持し、東大教授を70年に抗議退官している。
その間の事情は、「狂」-中国の心、日本の心ー(71年中央図書)に書かれている。
一般には、漢字辞典の編集(学研・漢和大辞典)で知られているとおもう。
駒田は中国文学、とくに小説を好み、これまた多くのリライト本を出版している。
翻訳では「水滸伝」が代表作。文芸評論、作家としてもその地位を築いている。
駒田の本を最初に読んだのは、「中国妖姫伝」(講談社文庫)でだいぶ前。
いちばん記憶に残っているのは、吉川幸次郎の「水滸伝」(岩波文庫。清水茂との共訳)の
訳の批判とそれにまつわる一件だ。そのことは後で書く予定。
(ついでに「死を恐れずに生きる」は本ができる前に本人は死んだ)
過日、魯迅の短編集(岩波文庫)を読んでほしいと促したが、その訳者竹内好は
1910年生れで駒田の先輩にあたる。77年死亡。
文学者というよりもおもに評論活動で活躍された。
魯迅を日本ではやく紹介したひとり。
竹内も60年に安保条約の強行採決に抗議して都立大教授を辞職した。
竹内好と武田泰淳は学生のときに読み損なった人たちだ。
「日本と中国のあいだ」 69年 文藝春秋(「人と思想」シリーズ・アンソロジー)二段組530頁を
ようやく読み終えたところだ。深い尊敬の念を禁じえない。
これから高橋和巳のことを駒田竹内らの本を通して(翻訳のことも含め)書いてみたい。