藤堂明保「漢字の過去と未来」(岩波新書、82年9月)のつづきです。

藤堂さんは、学校で教える漢字をなるべく減らしたいという考え方の持ち主だ。

この本は、中国で漢字が発展してきた歴史を要約しつつ、漢字が発生時から
ごく一部の特権階級に属し一般民衆にはあえて教えようとしなかった事など
(初期は呪術的象徴として民を畏怖させるもの、またその後 科挙試験などでも
限られた裕福な層しか勉強できなかった)を踏まえ、かれら(一般民衆)に教えるのは
膨大な漢字のうちわずかな字数でじゅうぶんである、という。

最終章:「国語改革の展望」では、漢字をふやしてはならないとし、中国の小中学校で
学習する漢字は約三千字、日本では常用漢字千九百四十五、人名用漢字百六十六(執筆時)、
計二千百十一字。だが、半数以上は音読み・訓読みの両方を覚えなくてはならないので
実質三千数百を覚えこまされる。


「日本の子どもたちのほうが、中国の児童よりも負担が重いのである」(P.191-192)
なので、教師の負担はたいへんだと同情されている。

駄目の「駄」は、だめ
搭乗の「搭」は、乗る
と置き換えよ。

靴はくつ、棚はたな、枠はわく、肌ははだ、岬はみさき、襟はえり、稼ぐはかせぐ、鉢ははち、
甚ははなはだ,潟はかた。。。とかなで書け。

うーむ、む、ム、mmmmm.....!!

(つづく)