きのうまで連載した「パンツの面目 ふんどしの沽券」の著者をいちど見かけた
ことがある。見かけたというのは、正しくない。
露西亜語の通訳として壇上に上がられていたのを拝見した。

まだ社会人になってしばらくした頃とおもう。70年代半ばのコト。
当時、有楽町の朝日講堂(「朝日」のビル6F)で毎月封切映画直前の試写会を行っていた。
往復葉書で応募すると必ず当たった。映画の前におもに有名作家の講演会が一時間ほどある。
いつも土曜日の午後一時開始だった。講演は前座だが、聞かぬといい席が取れないので、
駅前のラーメン屋で軽く腹ごしらえをしてから講堂に出掛けた。

このときの映画上映はクロサワの「デルスウザーラ」であり、たしかこの映画は上映時間が
かなり長かった所為か、講演会はなかった。米原さんは、駐日ソ連大使館だか領事館だかの
露助の通訳をされていた。真っ白のツーピースで、後からエッセイを出し始めた頃のふくよかな
体形ではなく、筋肉質の若い丸顔のお嬢様でかわいかった。当時の女性としては大柄のほうだった。

通訳の最中、ご自分のわからない処を遠慮なくどんどんスピーチしていた館員に聞いていた。
自分が納得するまで何度も。。 それがとてもボーイには珍しく印象的だった。
著者の略歴をみると、その頃はまだ東大露語の院生だったようだが、すでにプロとして
活躍されていた訳だ。後年著書を出された頃、そのお顔を新聞の広告欄で見た時、ああ、あの
ときの通訳さんか、ととってもなつかしかった。

万理さんの本はどれも抱腹絶倒もので、通訳の苦労やウラバナシなど満載で、どの本も
愉しくまた嬉しくなってしまう。 饒舌なんだよなあ。 露語の影響なんだろうか?
残念だけど、その万理さんは一年前に別の世界に逝かれた。
つつしんでご冥福をお祈りしたい。
万理ちゃん、沢山のたのしいおハナシをありがとう!


代表作を一冊あげて結びとしたい。

「不実な美女か貞淑な醜女か」 98年1月 新潮文庫 (親本は94年徳間書店)

外国人が発する呪文のような言葉をたちどころに日本語に訳してしまう同時通訳。
教養と実力が要求されるこの業界に身を置く著者が、現場の爆笑譚から苦労話までを
軽妙な口調で語る。 読売文学賞受賞。

1950年東京都生まれ。東京大学大学院露語露文学修士課程修了。
文化学院教員を経て現在は日露同時通訳者、翻訳者、ロシア語通訳協会事務局長。
92年日本女性放送者懇談会賞受賞。