小田島雄志による標題の日経夕刊のシリーズ(5回)は、三月に終った。
最終回が「テンペスト」だったので意外だと書いた。なぜなら、その「愛」は
それまでと違い、親(父)のそれであり男女間の愛ではなかったからだ。

ボーイの予想では「十二夜」(Twelfth Night)だったんで、全くアテが外れたわけ。
シェイクスピアのいわゆるロマンス劇は学生の当時、その面白さをよく理解できなかった。
(とうじ、S作品は史劇以外はあらかた読んだ)
このさい、もういちど三十数年ぶりに読んでみた。



音楽が恋を育む食べ物なら、続けてくれ。
嫌というほど聴かせてくれ。そうすれば飽きがきて
食欲は衰え、やがて死に絶えるだろう。
ああ、この耳に甘く響く。
菫に咲く丘に息づく嵐が
香りを盗み運んでくるようだ。
ああ、恋の精、お前はなんと元気旺盛なのだ。
海のようにすべてを呑み込む力がある。
恋は変わり身が早い。
気まぐれで変幻自在だ。

(松岡和子訳、ちくま文庫)



印象的で忘れ難いので引用した。
第一幕冒頭、オーシーノ公爵の言葉(抜粋)。
公爵の伯爵令嬢への思いは、真剣なものではない。
自己中心的で自分自身への愛に溺れているのであり、
最初から成就される愛ではない。(P.ミルワードによる)
年を経たいま故に(?)「十二夜」の愉しさもすこしわかったような気がする。

物語はもつれあった恋となり、お祭り騒ぎの中、憂愁に包まれつつ
甘く苦いエンディングを迎える。。