秋岡 陽(フェリス女子大学教授、立教大学教授)の訳を見てみよう。


Herr, unser Herrscher, dessen Ruhm    主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は
In allen Landen herrlich ist          いかに力強く全地に満ちていることでしょう
 Zeig uns durch deine Passion,         あなたの受難を通して、わたしたちに示してください:
 Dass du, der wahre Gottessohn,        まことの神の子であるあなたは、
 Zu aller Zeit,                    どんな時にも、
 Auch in der groessten Niedrigkeit,      たとえ「低さ」の極みにある時でさえ、
 Verherrlicht worden bist!            「高く」たたえられたということを。


問題は最後の二行。これは意訳というよりも半分創作にちかい。
「低さの極み」の対称として「高く」としたんだろう!
また、このauchは譲歩のそれではなく、英語のtoo(..もまた)に相当する。

つまりdass(that)以下をふつうの文に置き換えると、

Du bist der wahre Gottessohn zu aller Zeit und auch (du bist)
in der groessten Niedrigkeit verherrlict worden.

となる。

修飾句を取り直訳すると「あなたは真の神の子です。そしてまたほめたたえられるのです」
verherrlict worden sein は、自制は現在形の受動態(受身)。
たたえられた ではない。
それと(1)でも述べたとうり、「低さの極み」ではなにがなんだか分らないのではないか?

あとは読まなくてもこの数行だけで訳の程度は知れてしまう。

これが大学教授といわれるひとの実情である。

ほかに羅典語英語の訳もしているが、いわずもがな。

よくウエブで公開して恥ずかしくないのかなと
こちらが感心してしまう。

うんざりだ。

(1)をアップした後、カンタータ専門のBBSを覗いたら、杉山訳を崇めている若い人もいるようだ。
原文がわかればビックリしちまうだろう。