こんばんは。

お久しぶりです。


少しの間、メンタルが安定していて

幸福感も感じられていました。


ですが、良い時があっても

私は家族の縁が薄いみたいで。


実母と実姉の関係に妬み、

私はいつまで経っても疎外されているんだとまざまざと思い知らされました。




実母は私が15歳の時に離婚しましたが、

物心ついた頃から夫婦喧嘩はしょっちゅうでした。


喧嘩を見るたびに、私がいることで2人は大変なんだと感じていました。


父、母、姉、わたしの4人家族だった頃は

会話もほとんどないのが普通だったのですが、


機能不全家庭という言葉を最近知り、

まさしくうちの家族そのものでやっぱり普通ではなかったんだなと、


少し自分のせいじゃないという気持ちも出ていました。


ですが、母と話をしていて、姉の家には頻繁に行き、

頼み事をされれば引き受けたなどと聞くと、



あれ?

私が頼んだ時は何かしら理由をつけてほとんど断っているのに、

姉が頼むとほぼ100%引き受けてるぞ…?


とモヤモヤしました。



私の家庭は、夫が出張で2週間〜1ヶ月いないときもざらで、その間ワンオペです。


パートの仕事もして、もちろん保育園の送り迎えなど頼んだことはありません。


姉の場合はというと、旦那さんが自営業(自由業)で、姉は仕事していますが職場までの送迎や保育園の送迎は旦那さんがしてくれます。


それなのに、何かと保育園の迎えを母に頼んだり、忘年会は姪っ子を預け、泊まり、翌日送りまで頼む。


姪っ子が小さい時は毎週泊まりに行っていました。


私が出産した時には、

「あなたは自分でできるでしょ。私も体調が悪い」って、頼んでもいないうちから釘を刺してくる。


姉との雲泥の差を感じると悲しくて。


私だって、ワンオペ辛いのに。


1日でも、送迎してくれるなんて、ありがたすぎるよ。


でも、言ったところで助けてくれない。


先日は、姉と私の差がありすぎると母に伝えました。


でも、結果は「姉は優しいから」という答えでした。

聞けば、金銭面が大きいようです。


離婚後母が生活も大変だったので、姉が社会人になったら生活費を入れていたのは知っていましたが、


今も母が困ったといえばお金を援助し、持ちつ持たれつの関係のようです。



私には何の話もなく、二人で完結しているので

知らないことが多すぎて。


私だって家族の一員だから、困っている時は助けになりたいのに、と悲しくなります。



援助をするのが優しいことならば、

私が今まで善意で何十万単位のお金を用立てたりしたことは、

優しいことではなかったのだろうか…。


母が私名義で勝手にカードを作り、返済できないからと言って私が百万ほど返したことは、忘れてしまったのか…。




母が離婚した頃、私は高校に入ったばかりです。


進学校だったので基本的にバイトは禁止されていました。


その時母は仕事を辞めて、パチンコで稼いだり負けたりの生活。


母のことが心配で、学校に黙ってバイトをしようか勉強に専念しようかすごく考えていました。


でも姉と母2人共夜まで帰ってこないから相談もできなくて、高校時代は心此処にあらずで、

何事も中途半端で本当に悲しくて寂しい時代でした。


母はパチンコで姉のボーナスを使い切ったり、

私の進路など高校卒業できればいいとそれまでしか考えておらず。

相談なんて、できる感じではありませんでした。


その時から姉はお金を援助してきていて、

私は高校2年の頃からうつ病になり、病院通い。


その時に迷惑をかけたのが原因なのかと思うと、

またいなくなってしまいたい、消えてしまいたいという気持ちが湧いて出てきます。



何をしたとしても、

家族の一員にはなれない。


それほど私の存在理由はないと、

痛感してしまいます



私は、家族なら助け合いたい。

お互いに大事な存在であるから。


でも、向こうはそう思ってない、

期待していない、

なるべく関わりたくない、というのがひしひしと伝わってきました。


なぜなら私はお金を援助しないからだ、と。



それならば、

私が大切にすべき人たちは、

生まれながらの家族ではない。


私の悩みを親身になって聞いてくれる友人や、

夫や子供だと、気付きました。


親や姉に執着していたのだと。



もう遠い存在になってしまった相手に気にかけてもらいたいがために


自分が死んだくらいは悲しんでくれるだろうと、


自分で人生を終わらせようとまで考えていましたが、


自分の命と相手の気持が釣り合わなすぎて、

思いとどまりました。



図太く、たくましくなったね、私。



些細なことで希死念慮が出てくるのは、

小学生から。


癖のひとつなのかもしれない。


何度も、何度も、考えては消して、

たくさん泣いて、泣いて、泣いた。


そして朝を迎える。

同じことの繰り返しだけど、

その時は1日として同じじゃなかったなぁ。


天気や、会う人、体重とか、ニュースとか。

何かが変化があって、自分の気持も少し気が紛れたと思う。


それがトレーニングになったのかもな。


頑張って生きた。

これまでしぶとく生きていてくれてありがとう自分。


本当は死にたいんじゃなくて、

幸せを感じたいんだもん。


みんなと同じように笑って、

楽しく過ごすのに憧れてたんだもんね。

 


今は少しずつ、それができてきている。



みんなが経験するであろう楽しいことを、

今の家族で経験させてもらってる。



簡単に人生を手放せなくなってきたことは、

とても良いことだ。



自分で人生を終わらせずに死ぬ時は、

やっと死ねると思うだろうな。



その時まで、楽しい経験をいっぱいしないとね。