こんにちは
きゅっこです
この年末年始の連休で リビングを模様替えするため、ジョイントマットや 離乳食に向けての食器や椅子などを検討しています
出産記録 出産編です
39w6d
耐えるのには少ししんどいくらいに強くなってきた3分間隔の陣痛。
そんななか おっとと タクシーで産院へ
電話で状況を説明してあり、診療時間朝イチで診てもらえました。
内診で、子宮口3センチとのこと
このときに いわゆるぐりぐりをされました
(これ痛いんですね…)
先生「お産のはじまりだね~。おうち近いよね?どうするー?帰るー?入院するー?」
といわれ
いやもう帰って耐えるとか無理すぎるしんどい
と思い入院することに(AM9:00)
2階の陣痛室に移動し、着替えて入院の説明を受けて、点滴を始め、手早くNSTがつけられ、モニターが始まり、看護師さんは退室しました。
私「おっとちゃん どうする?午後は出勤する?初産だからまだまだだよね きっと」
おっと「そうだねー。午後は行こうかな?」
なんて話していると、先程ものの2分くらい?前にモニターをつけて退室した看護師がすすすーーっと戻ってきました。
看護師さん「ちょっと左向ける?」
私(内診ぐりぐりのおかげか おしるしが大量にでてるため漏れを気にしながら左を向く)
…
…
看護師さんが無言のままモニターのベルトを色々動かしていると
看護師さんと助産師さん4人くらいが一斉に陣痛室にバタバタと入ってきました。
あれ?と思っていると
助産師さん「ちょっと下で赤ちゃんの心拍をみようね~」
と ゆっくり話してくれました。
通されたのがオペ室で、ここではじめて あれ?と思いました。
このとき、私はなにが起こっているのか把握していませんでしたが…娘の心拍が70まで下がって戻らなくなっていたらしく、私が体勢を変えても 様子を見ても戻らなくオペ室に向かっていたのです。
オペ室に着いて、またNSTをつけたところ心拍が戻り、このままオペ室で様子見になりました。
ここからは、陣痛に耐えながら過ごしたので時計を全然みていないのです…
点滴を入れているのでトイレに行きたくなり、赤ちゃんの心拍も落ち着いているのでお昼前にトイレへ
→NSTをする部屋(オペ室とつながっている)に戻りモニターをつけると またガクンと胎児心拍が下がりまた騒然とする
→心拍戻る
ここで朝からちょくちょく様子を見に来てくれる先生に
「まだ様子をみるけど、産道を通るのは赤ちゃんが耐えられないかもしれない」と告げられる。
いやもう娘が危ないなら おなかを切ってもなんでもいいから早く出してよ
と思っていました。
おそらくPM2:00くらい?
先生による内診で子宮口9センチ
その際また胎児心拍が70まで下がり、5分ほど戻らない。
そして耐えられないからもう出そう
と言われ
オペの準備が出来、速攻娘が取り出されました。
うわぁぁっ
と泣いてくれたのを覚えています
もうオペ室ではまな板の上の鯉状態でした。
バルーンは全然大丈夫、痛くはありませんでした。
しかし陣痛に耐えながら麻酔のために背中を丸めるのがつらかった…
そして手術直後は娘と胎盤が出ていって体温がさがり、本当に寒い(唇ががたがた震える)
そしてなんやかんや前駆陣痛が3日前から痛くて まともに寝ずに出産となったため、麻酔で体から痛みがなくなった途端猛烈な睡魔に襲われました。
赤ちゃんが取り出されたあとのお腹の処置も、ぐわんぐわん体が揺さぶられて気持ち悪くて仕方なかったです。
上に押しあげられてた臓器とかも軽く位置を戻されてる気がした…
3時間後くらいに オペ室から病室へ移動し、おっとの面会時間も終わりひとりきり…
だんだん麻酔が切れてきて、後陣痛とお腹の痛みのダブルパンチがほんとうに痛い。
そして座薬か筋肉注射で 筋肉注射を選び
全く痛みが抑えられない
何時間かおきに悪露を出すためにおなかを押されるのも痛すぎ…
という地獄の一晩でした。
翌朝座薬を入れてもらい、やっと一眠りできました。
今日は 歩けたら赤ちゃんを見に行ってお部屋移動しましょうね~とのことだったので
娘に会いたい一心で
意地で歩く
バルーンも抜いてもらい
トイレ解禁となりました
私、ブログやインスタで読んでいた出産レポはみんな普通分娩ばかりでした
帝王切開のレポなんてひとつも読んでいなかったので、どういう痛みがくるものなのか 本当に未知でした。
そして、出産3日前から痛かったおなか…結局 出産当日子宮口9センチくらいまで痛みの強さは多少増しましたが、どこから本陣痛だったのかな…
娘は陣痛に耐えながら、胎便をしていました。
出産して数日経ち、助産師さんとお話をした際に、娘がいつから(心拍が下がったり胎便するほど)つらかったんだろう…と心に引っ掛かっている旨を話したら、
胎便をするほどの大きなストレスは産む直前だよ、あまりストレスが長くかかって危ない状態だったらあんな産声あげられないから
と言われ 少しだけ救われました。
でも、いまでも気がかりなんです
出産3日前から規則的な痛みがずっと続くなんてやっぱりおかしい?電話ではなくきちんと診てもらえばよかった、と。
なので、出産には感動よりも娘への謝罪の気持ちと、行動しなかった後悔の念のほうが大きいです。
娘は産まれたとき、2500なかったです。
胎盤が小さかったみたいです。
でもいまは身長体重ともに成長曲線ど真ん中
最近は、私を探して 目が合うとニコニコしてくれます
娘の100日お祝いのケーキ
