カサンドラ症候群とは主にパートナーとの情緒の共有が出来ない事により発症する症候群である。

 

そして昨年夏私のカサンドラ症候群(心療内科医1名は適応障害と診断)はピークとなり、自殺企図、オーバードーズ、と今考えればかなり不安定な状況にあった。

 

夫と再婚するまで2年、共に過ごしたが、カモフラージュされ、ここまで情緒を共有できない人だとは思っていなかったことが原因だったと考える。

 

簡単に言えば、上手く隠され、そういう人間だという事に気づけなかったのだ。

あるいは少々の欠点は人間誰しもあるものだと私も目を瞑っていた事にある。

 

そこをちゃんと直視しないまま再婚し、共に生活を送ると共に違和感がどんどんと大きくなっていった。

 

そして気づけばカサンドラ症候群に陥ったというのが経緯である。

 

最近どうもかなり落ち着いてきたのでもうカサンドラ状態ではないのでは?

と自分で感じるようになってきた。

 

そこには

 

母親の理解を得られたこと(夫がどうも変だという事を)

息子の反抗の減少(もともとそんなに酷くはないが)

 

そして最大の理由の一つとして

 

「夫婦関係についての固定観念の放棄」

 

があると考えられる。

 

私は夫婦は仲良く

週末は一緒に出掛けたり

夜には少し話をして一緒に眠る

 

といった「普通の」夫婦を固定観念として持っていた。

 

これを放棄することにしたことでかなり症状は軽減され、状態は落ち着いたと感じている。

 

簡単に言えば

 

 

どうでも良くなった

 

のだ(笑)

 

私の母は様々な人とかかわる仕事をしており、母親自身の交友関係もかなり幅広い。

そこから得られる情報として、

 

夫婦なんて千差万別、こうでなきゃならないなんてない。

 

10組の夫婦があれば10組の有り方が存在し、そこに決まりやルールなどない

 

という事が分かった。

※酷い人など”僕の事はいないものとして考えて下さい”と言い放った夫を持つ方もいる

この方の夫はコロナ渦だからという理由で娘さんの結婚式も不参加。。

それでも夫婦を続けている。

 

私と夫の場合、

 

夫が部屋に引きこもろうがそれで本人が満足してるなら放っておけばいい。

(何か怒っているのか・私達と関わりたくないからか等考える必要はない)

 

下りたきゃ下りてくるしリビングで過ごしたきゃ過ごすだろうと放っておく。

 

必要最小限の会話でも問題ない。

最初は寂しさを感じた事もあったが自分が忙しくしているとそんな事はどうでも良くなる。

 

要は「暇にならなければ良い」のだ。

 

それも家事や家族の世話などで忙しくするのではなくあくまで自分本位で忙しくする。

 

休みの日は息子と2人もしくは私一人でショッピングモールへ出かけ、本屋巡りをしたり、気が向けばカフェで食事したり。

 

家に帰れば読書や息子との会話を楽しんだり、スマホゲームにはまって見たりと自由に過ごす。

 

夫に気を遣う事などしないようにした。

 

そして女だから夫を立てないといけないという固定観念も捨てた。

 

仕事は夫の方が出来る(時間・能力(?)・人脈)事は認めるしそこは追い越せない。

 

しかし他の部分に関しては私の方が能力が上の事もある。

そういったことから無理にへりくだる様な事は辞めた。

 

どうでも良い=自由に振舞っていればいいのだ

 

と認識を変える事で随分と楽になった。

 

そして夫を乱雑に扱っている(と私は感じている)事にも夫はさほど気にしてもいない。

 

元々男を立てるなんて苦手だったのだ。

若い頃はちやほやされ、甘やかされた10~20代を過ごした私には無理な事だったのだ。

 

 

初心に帰って昔の自分の様に振舞ってやろうと開き直った。

 

 

そしたら何とまぁ楽な事!

 

もう希死念慮も自殺企図もありません。

夫に対しての不満もそもそもの期待値を激下げした(お金稼ぐ以外何もできない人認定)ので不満に思う事もほぼなくなった。

 

だって彼は「お金を稼ぐ以外何もできない人」なのだから。

 

私の気持ちを推し量ることも出来ないし

息子を理解することも出来ないし

家事も出来ない

機械にも弱い

世間体を気にはするがご近所づきあいも出来ない

 

上げればきりがない出来ない事。

 

そう、夫は

 

どうせできない人

 

なのだ。

 

 

そう考えれば楽になりませんか?絶賛カサンドラ中の妻さん達。

 

 

まぁ、愛していれば難しいかも知れないけれども。。

 

でもその「愛しているから寂しく思う」のも

 

夫側からすれば煩わしいものなのかもしれない・・と考えると、

 

自分の気持ちを共有して欲しい

 

と言うのは私たちの我儘でもある(あった)という事

 

出来ないものは出来ないのだ。

 

「夫に期待しない」と「夫への愛を捨てる」はイコールではないけれども

これが意外と上手くいく方法の一つであるように思う。

 

夫を無理に変えようとしても反発してモラるだけ。

 

だったら自分が変わるしかない。

それが出来るのも一つの愛情の向け方でもあると私は思う。

(ある意味夫を尊重するという事で)

 

寂しく感じたら夫以外の誰かと話せばいい。

極端な話、推し活とか、身近な他の人に恋しても良い。

夫婦関係をぶち壊すような行動に移さなければ心は自由で良いと思う。

 

それで自分が楽になれるなら。

自分の人生、夫の事でいっぱいにする必要はないと私は思う、ようになった。