今日は午後から実家へ遊びに行ってきた(私一人で)←夫は出禁

最近実家でも(主に母とだが)

 

「定型とは?発達障害とは?」

 

という議題が良く上がる。

 

私が心理学を学びだし、発達の知識が入り、仕入れた知識は母へアウトプットする。

 

今回は2Eの話をしたり、私の祖父の話で大いに盛り上がった。

 

つまるところ、

 

「私らの家系(祖母含め)全員発達障害持ちやん(笑)」

 

と言う結論。

 

祖母の話はまた別の機会にするとして本日は祖父について。

 

下の図面は祖父の得意な木工の図面である。

 

方眼紙でもない、ただの白紙のスケッチブックに書かれた図面である。
「ふつうこんなの書けないって!神経質すぎる!病気や!」と母と2人で大騒ぎ
 
もうこれはギフテッドの閾ではないかと。
(実際祖父は現在の洛南高校出身で子供の頃は神童が生まれたと騒がれたらしい)
 
母と
 
「お祖父さんには線が見えてたんちゃうか…細かぁい方眼紙の線…」
 
と言いながら笑ってた。本当に見えていそうで恐ろしい。
 
「超」が付く程神経質で、工学に関してずば抜けた知識と才能があった祖父。
 
テレビで今田耕司がよく、「神経質でテレビのチャンネルの位置がずれていると許せない」というエピソードを聞く。
 
祖父はまさにそれだった。
 
母が昔の思い出話を良くするようになってきたのだが、今日初めて聞いたのは食卓での話。
 
①コップの置いた場所はずらさない。
(水の輪っかが出来てる位置にきちんと戻す)
②茶碗の位置もずらさない。
③おかずのお皿の位置もずらさない。
④姿勢正しく、出来なければ背中に物差しを入れられる。
⑤背もたれにはもたれない
(もたれない様に剣山を設置される)
 
その他モロモロ…食卓ルール。
(クチャラーなんて殺される勢いじゃないかと感じる。)
 
そして少しでもずれると激怒する。
(この時代暴力は当たり前)
 
叔父はそんな祖父が怖くて震えてご飯が食べられなかったらしい。
 
今では笑い飛ばせる話ではあるが、当時体験していた本人達にとっては食卓はさぞかし苦痛だったと思われる。
 
晩年は角が大分取れた祖父であるが、私も小さい頃は祖父の事が怖くて苦手だった。
 
思うに祖父はアスペルガー(+サヴァン症候群)だったのではないかと母と話していた。
 
私と母はどちらかというと言うとADHDグレー(?)
母は創作に秀でている(今の仕事はフラワーアレンジメント)
私は情報処理能力が速い&知的好奇心が止まらない。
 
息子の場合はADHDプラス2Eの可能性有。
 
私と母の持つ神経質なところは前夫のおかげで緩んでいるとは思うが爪噛みが止まらない所を見るとそうでもないのかもしれない。
 
発達障害は8割遺伝すると言われているが、代々引き継がれてきたのだろう。
 
遡れるところまでさかのぼると私の家系は武士の出らしく、そして書記官にあたる仕事をしていたらしい。
 
どこからこのような気質が派生したのか興味があるが調べる事は不可能に近いのだろうな。
 
どんな特性であれ、表裏一体表と裏、良くも悪くも・・といった所か。
 

しかし母は15時過ぎたあたりからワインを飲み始め(私は飲めない・体質的にも車移動という面でも)

 

時間を忘れて今の日本の問題や政治・宗教、多岐にわたる話を存分に議論出来た。

夫とはこのような話は出来ないので(知識がない)めちゃくちゃ楽しかった。

 

今日は他にもめちゃくちゃ楽しい事があったのだけどそれはまた後程・・・♪