わたしは思う。
真実から、目を背けていると
気づくまで気づけ〜気づけ〜と、
あちらからやってくる。
やってくるというか、
自分が気づきたくて引き寄せている。
引き寄せているというか、
なにが起こっても、そういう思考回路になっている。感情の癖がついている。
起こった事柄は、ただ「それ」だけだけど
そこに色をつけるのは人であり、
意味づけするのも人である。
そして、その意味づけは
たいてい誰かの意味だったりする。
既存のものさしを使うと、
どうしても誰かの色になっていたりする。
他人の意味って
自分の意味にするために在るというより、
自分の意味を知るために在る
ただの違いだったする。
事実って1つかもしれない。
でも、自分が捉える真実って、
人の数だけ、人格の数だけ、生きている日の数だけあるかもしれない。
事柄を捉える自分の真ん中は、
とてつもなく自由であっていい。
意味を毎日変えてみたっていい。
1分、1秒後、変えてみたっていい。
意味は1つでなくっていい。
意味がなくってもいい。
と、わたしは思う。
地球に来る前と、宇宙の狭間の、あなたのお話
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