今日、家の草抜きをしながら
なんだか色々感じたことがあったので
記しておこうと思います。


草って当たり前のように生えているけど
当たり前に増えたりも減ったりもしない。 

すべての自然だって、そうで。


人が使うから減るし

自然が増えようとするから増えるし


人が増やそうとして増やすし


当たり前は当たり前じゃないなと感じました。






そうしていたら

根っこがあるのを見つけて、

これどうなってるんだろう?

と思って、ちょっと引っ張ってみた。


そうすると、引っかかると人がこけてしまいそうな輪っかみたいになってしまった。


「もしこれに、お母さんの足がひっかかってこけたら、大変なことになる…!」 

そう思ったら、根っこを切らない訳にはいかなくなりました。


切ったら、根っこがみるみる弱ってしまった…
ごめんね、弱ってしまった、根っこさん… 

好奇心は時に誰かを傷つけるな、と思いました。


同時に、
なんで人間は親だから子だからって特別な感情を抱くんだろう
とも思いました。 


植物は親だろうが子だろうが
引っこ抜かれても、切られても、焼かれても
なにも言わず悟っているけど


人間は、私は、

「この根っこにお母さんが引っ掛かったら危ない!根っこを切るぞ!」
ってなるんだろう。

 …まだ引っかかって、こけてもないのに。


私達、地球に頼ってしか生きられなくって 

私が地球に返せることは、あなたの大きさや懐の深さを伝えることだけで。たったのこれっぽっちで。 

「すごいよ、大きいね、ありがとう、愛してる」って伝えられる、それだけ。 







草を抜きながら
「きみは何も悪くないんだ、ごめんね……」と心で唱えてた。


 ある場所では、生い茂る草はダンゴムシの住処だった。 

太陽がよく当たって、ほのかに湿気がある場所。


 草引きをしていたら、ダンゴムシが逃げていったり、丸まった。


ダンゴムシからしたら、私が災害だ。 

生きる場所を奪っているんだ。


みんな必死に新しい家を探してる。

なにも悪いことをしていないのに。


地球が人を抱いて生きるのは、
とても痛みを伴うことなんじゃないかな。



もし逆の立場だったら…
自然に大切な人を奪われたと感じてしまったら、

果たして私はそれでも地球を「愛している」と言えるの? 


地球の動きで、急にわたしの命が途絶えたとしたら

それでもわたしは地球を「大きいね、あなたが大切だよ、いつもありがとう」と言えるの?


 わたしのお母さんは、わたしを偲んで涙を拭って
地球や災害を恨むの? 






 私は、自分と違うものを触るだけで手が荒れるし
精神的なストレスを感じても荒れる。 


 五感に敏感でストレスを感じて、心に異変が起きやすい。


 軍手して草引きしてても、軍手で荒れる。



 それでも
地球が人を抱いて生きると決めた日から今日までの、痛みを 


生半可ではない地球との命の絆を知るためなら 


この痛みごと、弱さごと一緒に進もうと思う。


この感性を大切にして生きようと思う。 


 わたしは、わたしにとっては地球も
大切な存在のひとつだから。




たぶん、わたしは地球を恨めない。


正しくいえば、
そのいっとき
恨むかもしれない。

なんでわたしが?

なんでわたしのお母さんが?

って


でも、たぶん

その恨みごと、地球はわたしたちを抱くんでしょう。

やさしく、温かく、苦しく、哀しく。


わたしは地球から、奪ってばかりで、もらってばかりで、なにも言えない。でも、分かっていても、なんで?って言いたいだろう。


でも、それすらも受け入れるんだ、地球は。







 

地球に来る前と、宇宙の狭間の、あなたのお話

 

 

 

 

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