時間の進むスピードと心の進むスピードは必ずしも比例しないということ。
共有することと共感することは別のフィールドであるということ。
支えることと寄り添うことと引っ張ることは似ているようで全てが異なるということ。
あの日あの時あの場所でそれぞれの立場で起こったできごとから1年。
目に見える状況だけでは見えない真実があり、言葉は聞こえても心は誰にも覗けない。
それを承知でそれが歯がゆいと思ってしまうというのは、結局何もわかっていないと同じこと?
お前に何ができるんだと目の前に置かれた現実に問われ続け。
今後も何ができるのかを考え続ける。
例え何かができるわけではなくても。
どこへとも誰にともわからなくても、祈ることが許されないこととは思いたくない。
祈りの先に進むためにも。