いま、貴方の目の前に広がる世界は

 

 

 

貴方にとって、幸せな世界ですか?

 

 

 

それとも・・・

 

 

 

私はコーチングを学び、

目の前の世界をつくっているのは

自分自身なのだと知りました。

 

 

 

なぜなら、世界は自分の

〈捉え方〉でできているから。

 

 

 

人間は生き物で唯一

〈捉え方〉自由に選択できる生き物です。

 

 

 

 

 

 

目の前の現実は普遍的なもので

自分ではどうしようも出来ないことが

たくさんあるけれど

 

 

 

自分がその出来事に対し

どう解釈し、どう捉えるかによって

その出来事が自分にもたらす意味は

大きく変わってくるのです。

 

 

 

失恋という出来事から、

憎しみを生み出す人もいれば

感謝や教訓を生み出せる人もいる。

 

 

 

同じ職場であっても、

毎日愚痴ばかりこぼす人もいれば

やりがいを持ちいきいきと働ける人もいる。

 

 

 

物事の捉え方をプラスに

コントロールできるようになれば

 

 

 

常に心の中を穏やかに保ち、

常に教訓を得て成長をすることができ、

常に幸せを感じることができるのかもしれません。

 

 

 

コーチングには本当に大きな可能性があります。

 

 

 

先日、とても有名な本を読みました。

 

 

 

{89086F69-92F3-423E-9266-E7EC981C294F}

 

 

 

 

 

「夜と霧」新版

 

ヴィクトール・E・フランクル

池田香代子訳

 

 

 

ユダヤ人の精神分析学者が、ナチス強制収容所

アウシュビッツと支所に於ける苛酷な体験をもとに

独自の視点で、人間の生の本質を綴ったものです。

 

 

 

 

「愛は人が人として到達できる

       究極にして最高のもの」

 

 

 

 

本書の中で、とても印象に残った言葉です。

 

 

 

体を拘束され、死と隣合わせの

苛酷な状況で自由と尊厳を奪われても

生きている限り、人間の心の中は「自由」。

 

 

 

目の前の現実は目を覆いたくなるほど

残虐で、冷酷極まりないものであっても

 

 

 

筆者が愛する妻を想う、その瞬間だけは

心の中は愛と幸せに満ち溢れたのです。

 

 

 

人は「愛する人」の存在に救われます。

 

 

 

愛する人の生存がわからず

二度と、抱きしめることができなくても。

 

 

 

心の中の愛は、誰にも奪うことはできません。

 

 

 

心の中の奥様の存在は、筆者の命の支えとなり

幸せの源泉になっていたのでしょう。

 

 

 

強烈な空腹と疲労、痛みを体が訴えても

 

 

 

目の前にある美しい日の出に

心を奪われ、感動することができる

感受性の「自由」もあったとか。

 

 

 

人間の心って、すごいですよね。

 

 

 

同じ劣悪極まりない状況下に置かれ

絶望し、自ら死を選択する人もいれば

愛や感動や幸せを見出せる人もいるのです。

 

 

 

それは、その人の〈捉え方〉によって

異なってくるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

愛する人の大切さ

自分自身を尊ぶ気持ち

 

 

 

それが、恵まれた日本の日常の中では

つい当たり前になってしまい

 

 

 

ときに、本当に大切なものを

見失ってしまうことがあります。

 

 

 

でも、何度でも思い出さなければいけません。

 

 

 

自分にとって本当に大切な

人、もの、ことの存在を。

 

 

 

なぜなら「幸せ」とは、

比較やお金から生み出されるものではなく

自分の心の中から生み出されるものだから。