『アイヒマン列島と化した日本』 


という記事を読んで、とても共感した。


アイヒマンとは、ナチス親衛隊中佐

ユダヤ人大量虐殺の責任者である

アドルフ・アイヒマンを指す。


外的規範や上の命令に盲従的に従うことで

全体が荒廃していく「凡庸な悪」は、

実は誰もが無自覚に加担し得る悪だ。


それは今まさに

現在進行形の話ではないだろうか。


本日はこちらの記事をシェアしたいと思う。



(以下、記事より一部抜粋して引用)


マスメディアが大衆に植え付けた意識は、
感染対策」という印籠で自らの権利を制限し、さらにそれを他者にまで強要するという暴走を許し、感染対策を免罪符に

上の指示に従っているだけという
無責任社会を形成しました。

「凡庸な悪」とはハンナ・アーレントが提唱した

「第二次大戦中に起きたナチスによるユダヤ人迫害のような悪は、根源的・悪魔的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだが、表層的な悪であるからこそ、社会に蔓延し世界を荒廃させうる、という考え方」

とされています。

現代に当てはめて考えれば感染対策を社会が要請し、それを受け入れることで常識、モラルがない人間と烙印を押されることを回避し、それと引き換えに子どもたちの発達や健康、人権を侵害します。

ところが、それはないものとして扱われ臭いものに蓋をするという日本の悪習を継続することで、「私は悪くない」、「上に従っただけ」と責任回避の言い訳まで準備しているといった構図です。

アイヒマン列島と化した日本にある唯一の希望は一般国民の状況理解しかありません。

声を上げることはそんなに難しいことではありません。

あのとき声を上げていればと後悔する未来は確実に訪れるでしょう。逆に知っていて沈黙するのであれば共犯者となります。
その境界線に国民は立たされています。

自らの存在意義は他人が決めても、存在価値は自分で決めてほしいと切に願います。

(引用おわり)


 

 

 

この3年近くで、ルールだ、マナーだ常識だと押し付けられた過剰な感染対策で、

1番人権侵害を受けてきたのは、子どもたちではないだろうか?


お年寄りを守ろうと始めたことが、

廻りめぐって別の弱い立場に皺寄せが来る。


しかし、ルール、マナーだからと

その事に蓋をして

盲従し続ける大人が大半ではなかろうか。


なぜなら、

ルールやマナーに従うことこそが

最も重要な遵守するべきルールであり、

常識となってしまっているからだ。


例えルールやマナーがおかしくても、だ。


©️手塚治虫『アドルフに告ぐ④』より
アイヒマンの言葉

 


狂った元首の下で

まともな部下は

やっていけんし、


まともな元首の下で狂った部下はつとまらん。


あの総統の下で忠誠を尽すわれわれ全員

実は狂人の群なんだ。


おれも   君もな





『アイヒマン列島と化した日本』を読んでいたら、先日Facebookで読んだ鵜川さん(コロナワクチン駆け込み寺代表)の投稿を思い出した。


(鵜川さんのFacebookより)

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid027C2fMwiy7Pvu7QVmviiNjCvzsWhYEQ34yCpbf9PLfSWsSkP6dhW6Wau5LE2Td6pDl&id=100004103210665


ホテルで考える。

寝れない時間が続く。

忘れないうちに書き記したい。


役人と被害者の温度差

政治家と被害者との温度差


有識者と被害者との温度差


それぞれ危機感の違いはあるが、これだけはよく分かった。


国は国民の命など虫ケラの様に考えている。


厚労省の役人は決められた台本を読んでいるだけだった。

気の弱そうな人間が頷き役で弱々しく答える。

後の人間は一切頷かず手元で落書きをしている。


そう、くだらない授業を受ける学生の様だった。

かれらは虎視眈々と確実に国民を殺しに来ている。


もう常識は通じない。

8回目を打たし切るまで、メディアで煽らせやり続けるだろう。


最後に彼らが言った言葉。

「今まで通り接種は続ける」

これが答えだ。


SNSでどれだけ呟いても、拡散しても、彼らは変わらない。

日々お花畑の生活の中で知らず知らずに殺されていく道を選ぶか

自分にできる最大限の行動で打って出るか。

もうどちらかの道を選ばなければならない。


明日は我が身では無い。

既に我が身だ。


どんなに待っても嵐は過ぎ去らない。

立ち向かわねば何も変わらない。


行動しなければ終わりです。


まさしく、役人達はアイヒマンと化している。


しかし、『凡庸な悪』とは

今この社会そのものを形成している

私達一人一人の中にもある。



ルールだから、マナーだから

国が、偉い人が、テレビが言うから、


とりあえず、従っていれば安心安全。


私達は皆で無自覚に

アイヒマンと化しては居ないだろうか?


やれと言われた、そのルールやマナー、

常識は本当に意味があり、効果的で、

成果の出ている建設的な方法だろうか?


以前より状況は良くなっているだろうか?

 



「言われたから従う」ことで、


どんどん「小さな小さな枠の中」に
誘導されていることに気付いているだろうか?


サッカーワールドカップの裏では

着々と憲法改正、感染症法の改悪、

緊急事態条項の新設……


人権を制限することが可能になる、

これらの悪法が推し進められようとしていることに。





 自分は関係ない?
関係ない人は居ないんですよ。



自分は無関係も、今は良いでしょう。

でも、あなたが初めて自分事として捉え、
声を上げたいと思った時には
もう遅いかもしれない。

あなたのために声を上げる人は
その時にはもう誰も居ないかもしれない。

そうなる前に。

今言えるうちに。今出来るうちに。


おかしいと思う事、
自分の良心に反することには
従わない『勇気』を。



私たちはまだ、
自分達の本当の力に気付いていない。


世界をより良き方向に変えるのは
たった1%の人間の独断ではなく

99%の人達の
自らの真の良心に基づいた
自発的な行動、

その力学が働いた時だ。