色々とブログや漫画を見ていると
年老いた両親の近くに住んでいる兄弟姉妹が
気にかけてくれない!というのが、あるあるのようで。
家族といっても、親子の距離感は人それぞれで
子供が早くに家を出ていれば、なおさらだ。
親を思う気持ちがあれば
実家なり病院や施設を訪ねる頻度は
距離に反比例するものかもしれないが
そもそも、そんな気持ちがなければ
ゼロに、何を掛け算したところで、ゼロであるのと同じだ…。
実家と姉と私は、それぞれ別県。
私の自宅から、実家、亡くなった両親が入院入所していた病院や施設までは
電車で約2時間半だった。
姉は実家(と病院、施設)と同じ沿線住まいで、1時間だった。
昨年9月に父が入院して以降、姉が病院に行ったのは2回だけだ。
今夏亡くなった父と会ったのは、その昨年9月が最後。
それだけでも、なんとまぁすごい感覚の持ち主と言える。
その後の、転院に向けての医師説明、
転院先の入院手続き、
退院前の居宅介護支援の自宅調査、
退院手続き、
さらにまた入院手続き、
老健への相談、
退院と老健への入所、
老健の一ヶ月面談、
老健入所中の外来手続き2回、
さらにまた入院手続き、
老健退所の手続き、
必須事項だけで何度もあったが、姉は一度も動かなかった。
それだけではない。
入院・入所中に必要なものや、父が希望するものを届けたり、
入院中のオンライン面会、ケアマネとの相談、
Amazonからネット注文して送ったり、
テレビカード購入用に現金書留を送ったり、
荒れ放題の実家の庭の手入れを業者に頼んだり、
溢れる郵便物をご近所さんが預かって下さるのを受け取ったり。
姉は何一つやっていない。
いちいち姉に連絡するのも面倒で
転院、入所、発熱外来という大きな変化の連絡のみに
留めるようになった。
というのも、姉のほうから
その後どうかなと父を気にかけて聞いてくることも、一度もなかったからだ。
また、連絡したときの返信が、毎回辟易したものだ。
例えばこうだ。
最初に転院したときは、
「リハビリする気があるんかねー?
すっかり病院生活がいいと思ってるんじゃないの?」
老健で発熱外来にかかったときは
「ちゃんと食べてリハビリして体力つける気あるのでしょうかねー?」
という具合で、全くもって、父への思いやりや心配する言葉は
ただの一度もなかったなぁ。
姉からの返信内容が不愉快でしかなかった。
父なりに病院や施設で、少しずつでも食べられるようになり
リハビリに取り組んでいることを知ろうともせず
決めつけて、あのような発言をする姉を哀れにすら思ったなぁ。
それでも、昨年9月の入院時に数分面会したきりだろうし…と思って
今夏の初めにコロナが治まっていた時期に、老健の直接面会も解禁となったので
面会申込する?と聞いてみた。
私は保険関連で特別に何回か面会してるけど、
今なら家族は面会できるよ、と。
姉の返事は、こうだった。
「今月は友人との食事パーティー。
来月は勤務表ができてないから分からないー
8月は暑いしゲリラ豪雨もあるし
天気次第では一度面会に行ってもいいけど… 」
呆れてしまって、面会は自身の都合つくときにでも、とだけ返した。
姉からは、追い討ちで次のように言ってきた。
「お父さんはもう車の運転は絶対にダメ
運転する上で必要な視力、体力、判断力全てにおいてもう運転できない、
しちゃいけない状態だから」
カチーン💢ときてしまって、以下のように返した。
昨年の入院以来、会っても話してもいないのに、
視力や判断力がどうだとか分からないと思います。
少しでも良い方向になるようサポートするか、
サポートする気がないなら憶測で批判するのはやめましょう。と。
これに対して、姉、炎上🔥 全てスルー。
この直後から、コロナ急増し面会も再び禁止となった。
また翌週には、父は緊急搬送され、
私が直接(ガラス越しではなく)父に会えたのも最後となった。
あの面会に誘った時に、その週末にでも面会に行ってれば
会えただろうにねぇ。
そして、翌月に父は入院先でコロナ陽性となった。
姉に連絡すると、こうだ。
「うんぬんかんぬん…
老健も、老健、老健というだけで、
何処の老健かすら知らされてなくて、
週末面会できるとか言われても…な状況なわけよ
うんぬんかんぬん…」
心底思った。今まで、これだけは口に出してはいけないと思っていたこと。
この人、馬鹿なんじゃなかろうかー❗️
私にとっては当たり前すぎて
老健の名前を正確に伝えていなかったかもしれないが
そんな名前すらも関心なく聞いて来なかったし
また面会にも乗り気じゃなかったのは、あなたでしょーーー💢
そして、父は感染直後は軽症だったが
ほどなく意識混濁がみられ、病院から家族面会した方がいいと連絡がきた。
今夏のコロナ激増、医療現場破綻している中で
集中治療室の中のさらに隔離部屋にいるのに
(ガラス越し)面会許可が出るのは、つまりは、そういう状態ということだ。
姉に連絡し、以降は、自分で病院に連絡してくれと伝えた。
私は翌日に病院に行き、実家泊し、翌々日にも行った。
父は目を開け、手を動かして、こちらを向いたりしていて
娘さんのこと分かっているし声も聞こえてると思いますよーと
看護師さんが横に並んで言ってくれた。
姉は、その時も来なかった。その週末も来なかった。
姉は、週末に病院に電話したらしく、来週末に行くと言ってたらしい。
翌週、危篤の連絡が来て、病院へ行った。
もう父は目を開けることも動くこともなかった。
私は(ガラス越しに)半日ずっと父のそばにいた。
看護師さんから、お姉さんに連絡されましたか?と。
はい、今日もしてます。
またしばらくすると、お姉さん来ないんですか?と聞かれた。
…分かりません。
姉は来ないだろうと思っていたので、私は気にすることもなかった。
ようやく看護師さん達も察して、姉のことを言わなくなった。
そして、一人、女性の看護師さんが
時折、私の横に立って、一緒に見守ってくれたり、
父は定年後は歩くのが趣味で、全国あちこち歩き回って
結構いい人生だったと思うんですよーなどと話す私に
そっと寄り添ってくれた。
その日の夜に、私が見守る中で父は旅立った。
姉は、とうとう来なかった。
父が亡くなった翌々日の昼過ぎに、実家に来た。
最後に父と会ったのは、約1年前の9月。
姉の家や仕事場から1時間程度なのに。職業、看護師なのに。
今、私は全てを吐き出してしまいたい。
おそらく、来週の納骨で姉と顔を合わせることに
私は強いストレスを感じているのだろう。
納骨が終わったら、相続が終わったら
縁を切るのだ〜