母の交友関係は多少知っていたが

父の交友関係は全く知らなかった。


ただ、生前、父も自分の口座やアカウント関係と

連絡先をまとめてくれていた。


昨年9月から入院し、誰もいない実家に

時折、母を亡くした父を気遣う留守電が入っていた。


名前が分かるものは、父に面会する折に伝えていたこともあり

数名は名前の記憶があった。


父が亡くなった後に、連絡先を見ながら電話した。


電話してみると

もう20年以上前に定年した会社の、しかも若い頃のプロジェクト仲間、

60年以上も前の大学クラスメイトであったことが判明した。


父は、あまり人付き合いが得意ではなく

家でも学生時代の話など、ほとんど聞いたことがなかった。

大学仲間は父含めて5名で交友が続いており

苗字で決まる出席番号で席が近かったので、仲良くなったのだそうだ。

そんなエピソードを聞くと、おそらくシャイであったであろう

若かりし頃の父の姿が目に浮かぶ。


そんな中で、どうしても連絡先(電話番号)が分からない方がいた。


7月終わりに、暑中お見舞いハガキが届き

父が老健から入院へ移った後だったが

病院へ差し入れを持っていく時に、あわせて渡すことができた。

その頃は、まだ本を読んでいたらしいので

きっとそのお見舞い葉書も父は読んだであろう。


父にとっては多くはない友人の一人。

ほぼ1年父から連絡もロクにすることもなかったであろうに

何気なく父にどうしていますか?と気遣う葉書が

私は嬉しかった。


しかし、あちこち連絡した会社、学生時代の御友人達で

その方の名前を知ってる人はいなかった。


定年後のウォーキングや吹き矢仲間だったのであろうか。


1ヶ月以上経ってしまったが

父が亡くなったことと、生前ならびに暑中お見舞いの御礼の手紙を書いた。


母の時もそうであったが

父には父の、私の知らない世界があり、時を一緒に過ごした友人があり

確かにこの世を生きた証とでもいえる誰かの存在、

お顔も繋がりも存じ上げないが、その方へ手紙を書くことは

他ならぬ父への手紙のようでもあり、慰められた。