今日から仕事復帰。
といっても昨年から完全テレワークなので
自宅から。
こういうときも、テレワークは有難い。
途中ボンヤリしてても
じんわり涙が出てても
自然体でいられる。
世界はパンデミックの非常事態だが
一歩外に出れば、日本は平和そのもの。
パンデミックでなくても
毎日、普通に多くの人が寿命を迎える。
でも更に多くの人にとっては
それは何も知らずに
いつもと変わらない日常がある。
私の母も、平均寿命から見れば
10年以上も早い寿命だったわけだが
平均とは、ただの平均であって
うんと短い人もいれば
うんと長い人もいるだろう。
私だって、いつか遠くない日に
こういう日が来ることは分かっていた。
それでも
その日が来るまでは
多くの人と同じように
今近くで誰かが寿命を迎えても
なんら変わることのない日常。
人は誰でもいつかは死がくる。
子がない人はいるけれど
私自身もそうだ。
だけど、親がいない人はいない。
だから
人は誰でも親を亡くす日が来るのだ。
それは
人生の中の、誰にでもある
日常というと、やや違和感があるが
それでも自分の人生の中の
当たり前の一コマなんだなぁ、と
そんなことも思うのだ。
一昨日だったかな、前にも書いたが
親が子を送るのは
当たり前ではなく
それはとても不幸なことだろう。
でも
子が親を送ることができたのは
子が親から生まれたのと同じくらい
それは巡り合わせであり
ちゃんとお別れも言えて
これほど自然なことがあろうか。
と、ふらっと庭に出て
母が好きだった花に触れてると
そう思える。
今日から仕事に戻り
半分くらいは
ぼーーーっと、溜まったメールなど
事務処理したり
とりあえず参加した会議でも
ただ参加しただけではあるが
そうやってまた
私の生活、人生に登場している人々と
時間を共有し
彼らの日常生活に関わることで
私もゆっくりと日常を取り戻していくのだろう。
庭の百合も次々と巨大に花開き、
庭の紫陽花も次々と色づいている。

