母が亡くなって一週間。


今朝、実家で一人ぼんやり

朝ご飯を食べながら

一週間前のことを思い出していた。


一週間前の水曜の早朝4時、

突然、咳き込んで苦しくて目覚めた。

咳は止まらず、1階の洗面所に行き

だいぶむせて、涙が出た🥲

人生初めて、出たタンに血が混じっていた。

(喉が切れただけと思われる)


そのとき、肺の難病である母の苦しさを

身を持って感じた。

呼吸器検査が苦しいの…と言ってたし

主治医もこの検査は苦しいので

今、肺の状態が変化してるかもしれないが

もうさらに呼吸器検査は

やらないほうがいいと思うと説明を受け

はい、もうそれは、やめてくださいと話したなぁと。


私の咳き込みなど一瞬だ。

もっと苦しかったろう、もっと長かったろう。

身を持って感じた、一週間前の朝。


その前日には再びレベル降下し

意識混濁になっていると

病院からの電話で聞いていた。

私は、このままあと数日待って欲しいと

思っていた。

金曜か遅くとも土曜週末には

また病院に行って、横にいたいから

あと数日、眠って待ってて欲しいと思っていた。


だけど、その日の朝、

むせてむせて苦しかった時

あぁ、お母さん、楽になりたいよね、

早く楽になろうね、

もう頑張らなくていいよ、と思った。

そんなことは、初めて思った。

思った自分に、二度と驚いた。

そして、もう待たなくていいから、

今日でもよいから、今日かもしれないなと

思った。



ただ、その日の午後は

父が面会に行く予定だった。

父は、月曜の少し反応がある状態か

良くなっていると思っていた。

月曜に私が母に写真を見せたら

反応してたので

父にも、次に面会するときは

写真とか母の折り紙作品とか

待って行ったら?とアドバイスすると

火曜に、張り切って沢山選んで準備しているようだった。

だから、火曜には再びレベル降下し

意識がなくなっていることは

父には告げなかった。


父は水曜午後の面会のために

元気になって楽しみにしていた。


だから、お母さん、

それまで待っててね、と

母の携帯にメールした。


それから、私は、こうも書いた。

次の準備を始めてるから心配いらないよ。


母は、もちろんスマホのメールを

開封していないわけだが

読んでいたようだ。


父が面会したのが15時過ぎ。


私は、この日、自宅で仕事をしていた、

朝、友人に会社の忌引き休暇日数を

調べてもらった。

淡々と仕事や会議もできていたのだが

18時過ぎに、チャットでやり取りしている最中にも関わらず

フッと外に散歩に行きたくなった。


マラソンTシャツとジャージで行こうとしたが

思い直して

母から入院の朝にもらった母の服を着て

パンツも履き替え、

旦那さんに、ちょっとそこの神社⛩まで

お散歩して、安らかに眠れるように

お祈りしてくるね〜と話して家を出た。


家を出てすぐに、

道路で向こうから駆けてくる

小学1,2年生くらいだろうか、女の子がいた。


ざざーーーっと遠い子供の頃の記憶が蘇り

私の自転車の補助輪を取る練習を

お母さんと一緒にした日のことを

思い出した。


思わず、口に出して

あぁ、お母さんだね、と声にしていた。


とその瞬間に

また咳き込んで、むせて、またタンが出た。

朝ほど苦しくなく、すぐに収まったが

あぁ、お母さんだ。その時が来たんだ、と思った。


そうしたら、

尻ポケットに入れてたスマホが鳴っていた。


病院からの電話で、

数日前の不思議な手違いの面会許可を

教えてくれた看護師さんだった。


母の心肺が下がり、、と連絡があり


今思うと、私は変なことを答えていた。


あぁ、はい、分かります、

今、母ここにいるんです、と

その後も、今思えば緊急事態連絡なのに

どうしてここに母がいると思うかを

私はそのまま話し続けていた。


その後の電話のやり取りは

正確には覚えていなかったが

この日の夜に病院に行き

その看護師さんとも会えて

もう少し詳しい状況を教えてもらえた。


看護師さんは、心肺レベルがかなり落ちたので

私に電話連絡をしたところ

私が、あぁ今こっちにいますよ、と話したら

レベルがゼロになり

看護師さんは私にそれを告げた。

私は分かった、今夜中に病院に向かうと答え

電話を切ったら、

心肺が一度戻ったのだそうだ。

それから、まもなく、静かにゆっくり眠ったそうだ。

だから、お母さんは確かにあのとき

そちら(私)へ行って、

そして(自分の体に)戻ってきて

それから旅立ったと思います、と看護師さんに言われた。



こんな風に

あぁ旅立ちは今日だ、あぁ今、旅立った、

と感じたのだ。


ごく自然に。


一週間前の今日。


この一週間、そりゃ何かにつけて

涙が出る。

改めて母のことで理解できたこともある。

この一週間の送り出しには

とてもよくできて、胸を張れるが

生前の最後の1ヶ月は悔やまれることも多い。


だけど

亡くなる日、亡くなる瞬間を感じられるせいか

母は、安らかな気持ちで旅立ったと

確信を持てる。


それに関しては

今、私も穏やかな気持ちで、そう思うのだ。


紫陽花も咲いてきたよ、お母さん。