母は天に昇りました。
3週間前の金曜に
緊急再入院が決まり
母からの短いメールで
あぁこれは…と感じ
旅先から予定変更して
駆けつけたのが
3週間前の土曜の昼。
庭で母が育てた花と一緒に
写真を撮り
介護タクシーで
旦那さんと私で病院へ向かった。
病院までの道のりは
新緑が美しく
母とおしゃべりしつつも
そのときには、母も私も
もうすぐ最後だと分かっていた。
なので、自然とそういう話もした。
何か気がかりなことはない?と。
あのとき、そういう最後の託す話や
なんてことない話や
たわいもなく30分以上
穏やかにおしゃべりできて良かった。
先週、木曜の電話で、あれ?と思い
翌金曜に、初めて私から病院へ電話をすると
ちょうど看護師さん達で
先生から家族に連絡してもらうことを
話していた所だと。
そこで、翌日、
つまり先週の土曜の昼に病院へ。
状態の変化の説明を受けた。
コロナ禍だから
目と鼻の先にいるのに直接は会えない。
母も元気なら車椅子に乗って
廊下に出られるかも、、と言ってたが
この日は直接は会えず。
そして、はるばる帰宅して
疲れた自分へのご褒美に
ワインとつまみを準備して
ソーセージを茹でながら
さー飲むぞ!とまさにそのときに
電話。
昼に説明してくださった先生からで、
そちらにまだ帰られたばかりですよね…と。
母が意識混濁になり危ない状態だと。
前々日の様子の変化察知、
前日の電話での病気説明、
そして、この日の昼の説明、
それがあったからなのだろう、
私は、あぁ来たか…と落ち着いていた。
だから、割とすぐに
今夜は私は戻りませんと答え、
病院の隣町の実家の父には
向かってもらった。
私はそのあと、
ゆっくりワインを飲みながら
今から起こっていくこと、
やらなければいけないこと、
それらを考え
今月からつけ始めたノートにも
忘れないように書き込んだ。
明日から始まる時間、
母のことで、一点も見落としがないように
残された時間で、一点も悔いのないように
するんだと
静かに決意して、眠った。
そこからは
ジェットコースター。
そして、今日、土曜の昼に
火葬を無事済ませて戻ってきた。
よくやれたと思う。
少なくとも私は
この1週間で、一点の曇りもない。
それ以上に、
実に不思議な1週間だった。
要所要所で導かれていたり
ふっと分かったり
母が一緒に取り行ってくれていたのだろう。
もちろん先月までの
最後の退院までの所では
いくつか見落としもあり、悔やまれる所もある。
だけど
母は自分で去り際を決めて
穏やかに逝ったことが分かる。
そして
私も穏やかな気持ちで見送ることができた。