ほのぼの系の短編集です家


「家日和」 奥田英朗


サニーデイ

ピクニック用の折りたたみテーブルが不用になったので、インターネットのオークションで売ることにした。

42歳になる山本紀子には二人の子供がいるが、下の子が中学に上がってからというもの、
家族で出かける機会がめっきり減った。 この夏はとうとうどこにも行かなかった。
中三の由佳は受験勉強で忙しく、中一の祐平はバスケットボールの部活に夢中だ。
すでに子供たちは自分の世界を持っている。 家族の全盛期が終わったのだ。

いっそのこと誰かにあげることも考えた。 けれど適当な知り合いがいなかった。
よほど親しくないと近所でプレゼントするのは難しい。 それにタダであげるのは少し癪に障った。
離れた町で暮らす妹に相談したら、インターネットオークションを勧められた。
「簡単だよ。知らない人だから後腐れもないし」といかにも簡単そうに言った。
紀子は一度試してみることにした。 うまくいけば家の中の色んな不用品を処分できるかもしれない。

ガイドにしたがって会員登録をし、早速ピクニックテーブルを出品することにした。
添付する写真は近くの公園でテーブルを広げて撮った。 祐平に付き合ってもらった。
「面倒臭えなあ」 反抗期なのでいやそうだった。 ついでに画面上への載せ方も教わる。
何度も同じことを聞いて、迷惑がられた。 
難なくパソコンを使いこなす祐平をまぶしく眺めつつ、時代が変ったことを紀子は実感した。
昔、ビデオデッキの操作に四苦八苦していた母が、今の自分だ。 世の中の主役が子供達に移ったのだ。

最低入札価格は送料別で千円にした。 本当はその5倍は欲しいのだが、控えめにした。 入札期間は一週間。
《コールマン社製のピクニックテーブルです。 14700円で5年前に購入したものです。 使用した回数は10回程度で傷もへこみもありません。 オールアルミ製なので軽量(12kg)です。 大人4人が座れるゆったりサイズです》

そうか、10回くらいしか使ってないのか。 案外そんなものだ。
我が家には元をとっていないものがたくさんあるに違いない。
オークション用のIDは「サニーデイ」にした。 爽やかそうだし、性別不明のほうがいいと思ったからだ。
いい人に落札されますように。 紀子は心の中で祈った。


オークションは最初の3日間、音沙汰なしだった。
入札者が一人も現れず、その数を示す欄には横棒が素っ気なく引いてあるだけだ。
なんだか授業参観で我が子だけ挙手していない光景を見せられている心境だった。
同時に紀子は同じピクニックテーブルがたくさん出品してあるのに驚いた。 そのほとんどは新品だ。
未使用とはどういうことなのだろう。 夫の清志に聞くと、「業者なんじゃない?」とだるそうに言っていた。
どうやら、倒産した小売店から買い叩いた商品を、インターネットで売り捌く業者が少なからずいるらしい。
紀子はたちまち弱気になった。 ただ希望もあった。 ほかは全て最低価格が5000円以上だ。
1000円にした紀子の出品は中古であることを気にしなければ、今のところ一番のお買い得だ。

そして価格がものを言ったのか、4日目にして初めて入札者が現れた。
画面上の欄に「1」という数字が燦然と輝いている。 紀子は思わずバンザイをしていた。
さらには翌日、それが「2」になった。 新たに入札者が参戦したのだ。
まるで自分に買い手がついたような嬉しさだ。
「ねえ、ねえ。 入札者が二人もいる」 たまたま後ろを通りかかった由佳をつかまえて言った。
「たったの1500円じゃない」と馬鹿にしたように言い、2階へ消えていった。
薄情な娘め。 吐息をつく。
でも親子なんてこんなものだ。 自分だって、10代の頃は親が邪魔でしょうがなかった。

紀子はことあるごとにパソコンのオークションページをのぞくようになった。
ちょっとした日常の楽しみだった。 入札者がどんどん増え、金額も吊り上がっていく。
あと一日を残し、5人が入札していて、最高額は2250円だ。 もはや金額ではなくなっていた。
反応のあったことが嬉しいのだ。
最終日の午後11時、締切時間が来て、山本家のピクニックテーブルは落札された。
落札価格は2500円で、「パンプキン1号」という可愛らしいIDの人物だった。
紀子は相手を女性だと推察し、なんとなく安堵した。
その夜のうちに早速メールを送った。 この時も緊張した。 見ず知らずの人に個人情報を与えてしまうのだ。
面倒なことになりませんように―――。


翌日、夫と子供たちを送り出してから、恐る恐るパソコンを起動した。
すると見覚えのない名前の女からメールが届いていた。 気持ちがはやる。
件名に「落札者です」とあるから、購入者からのメールだ。

相手は常識ある大人の女性だ。 礼儀をわきまえている。 張っていた肩の力が抜けた。
紀子はすぐに駅前の銀行へと自転車を走らせた。 ATMで記帳する。 ちゃんと振り込まれていた。
なんて迅速な人なのか。 自分もそれに応えたくなった。
急いで自宅に戻り、ピクニックテーブルの梱包に取り掛かった。
プチプチの付いたビニールシートで幾重にもくるみ、布テープで厳重に留めた。 お礼の手紙も添えた。
そして12kgもある荷物を手に提げて近所の郵便局まで歩き、ゆうパックで送った。
ゆうパックだと配達確認の通知をくれるので安心なのだ。 これで明日には届くはずだ。
手続きを終えると、心がすうっと晴れて、充実感が湧いてきた。 久しぶりに世間とかかわった気がした。
帰り道、少し足を延ばして評判のケーキ屋に行った。 普段だと躊躇してしまう上等なけーきを5個買い、2500円丁度を使い切った。 不労所得なので惜しいとは思わなかった。
家に帰り、紅茶をいれ、モンブランを一個食べた。 あとは夕食後、家族で食べることにした。
栗のペーストが沁みるようにおいしかった。 なんだかしあわせだった。

翌日の昼、オークションサイトの管理会社からメールが届いた。
件名は「あなたのオークション評価」とある。 開くと、こう書いてあった。
《パンプキン1号さんから「非常に良い」と評価されました。 次回のご利用をお待ちしております》
落札者からのコメントも載っていた。
《サニーデイさんはとてもよい出品者でした。 振り込みの翌日には商品を送っていただき、速やかな対応に感謝しています。 商品も問題ありません。 ありがとうございました》

紀子は飛び跳ねたいほどの嬉しさだった。 人に褒められたなんて、いったい何年ぶりだろう。
お礼を言いたいのはこちらだ。 オークションの手順を改めて読むと、利用者は相手に評価をつけるのが決まりらしい。 早速自分も評価のメールを書くことにした。
《パンプキン1号さんはとてもよい落札者でした。 振込の迅速で慣れた方との印象を受けました。 当方、オークションは初めてなので緊張していましたが、よい人に落札されてうれしく思います。 ありがとうございました》
「非常に良い」のボタンをクリックし、パソコンを閉じた。 椅子に深くもたれ、両手を挙げて伸びをする。 頭の中では、次は何を売ろうかと考えていた。 午後は物置と押入れの整理をしよう。
不用なものならいっぱいあるはずだ。 家族4人が7年以上も暮らしてきた家なのだ。



オークションの第二弾は、ぶら下がり健康器を売ることにした。
夫婦の寝室の隅においてあって、インテリアの雰囲気を壊すことを不満に思っていたのだ。
紀子自身もときどき使ってはいる。 肩こりがなおって重宝することもある。 
でも今は処分したい気持ちのほうが強いのだ。

《4年前に8000円ほどで購入したぶら下がり健康器です。 ずっと室内に置いてあったので傷も汚れもありません。肩こりにお困りの方に最適です。 サイズは・・・・・》
短いとはいえ文章をひねるのも久しぶりだった。 なにやらコピーライターにでもなった気分である。
嵩張るので郵送料が高くつくぶん、値段は安く抑えることにした。 可愛らしく500円。

すると出品するなり入札者が複数現れた。 3日で10人を超える人気ぶりなのだ。
人気の理由はサイトのほかの出品物を見てなんとなく推察できた。
最近のぶらさがり健康器は、腹筋台などのオプション機能がついて大型化している。
値段も新品で軽く1万を超えていた。 紀子の売りに出した品物はぶら下がりのみの機能で、シンプルさが今となっては貴重なのだ。 商品の人気が自分の人気のような気がした。 吸い込む空気まで心地よく感じた。
ぶら下がり健康器は3000円で落札された。
振込を確認して、すぐに郵便局を呼んだ。 大きくて女ひとりでは運べないからだ。
若い局員が愛想よく集荷に来てくれた。 民営化大賛成だ。

紀子の評価は前回同様、「非常に良い」だった。 胸が熱くなった。
紀子は得た3000円で本を買うことにした。 単行本なんてここ数年買い求めたことがなかった。
読みたいものがあれば、たいてい図書館で済ませている。 この地域の主婦はみんなそうだ。
雑誌のエッセイを読んで気になっていた作家の小説を2冊選んだ。 本をレジに置いた時は誇らしかった。
ワタクシこういうのも読みましてよ。 周囲に気を発してアピールした。
小説はそこそこ面白いという程度だたが、読書をしている自分が快感だった。 ゆとりとはこういうことだ。
さて次に売るものは・・・・・。


初めてそれに気づいたのは、PTAの会合に行くために鏡に向かって化粧をしているときだった。

目の下の皺が一本、消えていたのだ。 えっと思って目を凝らす。 間違いではなかった。
こんなこと、あるのだろうか。 自然に皺がなくなるなんて、聞いたことがない。
そういえばここ数日、ファンデーションののりがいい気がする。 便秘もなくなった。
俄然、今日の外出が嬉しくなった。 パンツはやめてタイトスカートにした。 化粧もちゃんとした。 香水も振りかけた。 家を出て通りを歩くと、自然に背筋が伸びた。 ウインドウに自分を映して見とれたりしている。

中学校の体育館に到着し、顔見知りの母親たちと挨拶を交わした。 ついお互いの服装やメイクをチェックし合う。 紀子は自分が勝っている気がした。 肌に張りがあるから、飾りの勝負ではなくなるのだ。
若作りで有名な同じクラスの母親が、おやっという顔で紀子を見た。
同い年で仲の良い母親からは「あれ?ヘアスタイル変えた?」と聞かれた。
「ううん。 いつもどおり」余裕で答えた。
「そうよね。 なんか印象違うから・・・・・・。 若く見えるかも、ふふっ」
「ありがとー」女学生のように抱きついた。 紀子は確信した。 自分は輝いている。
会合では、普段は各種の報告を黙って聞いているだけなのに、この日は初めて質問をした。
思わず挙手してしまったのだ。 一瞬にして、周囲の紀子を見る目が変わった。

オークション出品の第三弾はなかなか見つからなかった。
祐平のキックスケーター。 だめだろうな。 新品でも5000円しなかったし、今時これで遊ぶ子供はいない。 由佳の小さくなったセーター。 これもしょぼいか。 ダイエーで買ったバーゲン品だ。
思案しながら、家の中をあちこち探した。
階段の下の押入れから、夫のギターが出てきた。
清志が30歳ぐらいのとき、つい衝動買いしちゃった」と確かそんなことを言っていた。
買った当初は弦を爪弾きしながらイーグルスの曲をヘタクソに歌っていたが、ここ数年は触ったこともないはずだ。 記憶をたどっても、この家を買ってから夫がギターを抱えた姿が浮かんでこない。
もう7年以上だ。


売っちゃうか、無断で―――。 


紀子の中で黒い気持ちが湧き起った。 清志に聞けば拒否するに決まってる。 「思い出が詰まってるんだぜ」とか勝手なことを言い出すのだ。
よし決めた。 黙っていればわからない。 楽器ならば必ず買い手が現れると思った。
ギターを始めたい人はたくさんいる。 そういう人は最初は中古の安物を求めるものだ。

《何年ものかは不明ですが、ヤマハのFG-180というアコースティックギターです。 もう7年以上使っていませんが、板の反りはなく、傷もありません。 ハードケース付です。 これからギターを始めてみたいという人、いかがですか?》

さて、いくらにしたものか。 サイトの楽器ページを見たら、アコースティックギターはだいたい5000円前後が多かった。 紀子は500円からにした。 中古もいいところだし、贅沢は言っていられない。
そして出品すると、その日のうちに入札者が複数現れ、価格はすぐさま5000円を超えた。
「うそ」紀子は飲んでいたコーヒーを吹いてしまった。 ギターって人気があるんだ―――。
たちまち上機嫌になった。 5000円あればおいしいものがいっぱい食べられる。


「ねえ、わたし、変わったと思わない?」 遅い夕食を一人でとる清志の前に座り、聞いてみた。
「なんだ、体重が1kg減ったとか、そういうことか」 気のない返事をした。
「そんなことぐらいで―――」吐息をついた。 「あのね、PTAで若く見えるって言われたんだよ」
「いいねえ、女同士は。 互いを褒め合ってればいいんだから」 清志が馬鹿にしたように笑い、顎を突き出す。 これ以上相手にするのはやめた。 そこへ祐平が2階から降りてきた。
「ユウちゃん。 おかあさんね、PTAの会長に役員になってくれって言われちゃった」 「ふうん」
こちらを見もしないで冷蔵庫を開け、ジュースを飲んでいた。
「あ、そうだ。 今度のバスケの新人戦。 おかあさん、観に行ってもいい?」
「だめ」 祐平は即座に拒絶した。 「親なんてどこも来ないよ。 うちだけなんて恰好悪いじゃん」
急に不機嫌になってキッチンを出て行った。
まったく家族は妻と母親に無関心だ。 当然そこにいるもの、としか思っていない。

出品したギターは3日で2万円を超えた。 入札者は20人を数えている。
紀子は眉をひそめた。 うれしいというより戸惑ってしまう。
ギターなんて1万円も出せば新品が買えるはずだ。
不安に駆られ、インターネットで「YAMAHA FG-180]を検索した。 すると100件を超えるヒットがあった。
「ヴィンテージギター名鑑」なるサイトがあり、開いてみる。

《ヤマハFG-180。 国産フォークギターの1号器。 日本のフォークブームの火付け役となり、プロもアマもこのギターに飛びついた。 当時の価格18000円で、66年から70年にかけて約5000本が生産された》

紀子は目を覆った。 名のあるギターではないか。 国産1号器だって。
どうしてそんな価値のあるものが我が家の押入れにあるのか。
ただ、価格相場は3万円台で、その点だけは安堵した。 清志には正直に言おう。
ところが、言い出すタイミングを計っているうちに、清志は突然の出張に出かけてしまった。 
西日本へ3日間。 そして入札の期限が切れ、ギターは42000円で落札された。

落札者は秋田在住の中年男性。 オリジナルケースで値があがったようだ。 マニアの世界はわからない。
落札者は「非常に良い」という評価をくれた。
《無事届きました。 音の響きが最高です! 使い込めばもっとよくなると思います。 返す返すもありがとうございました》
中年男が子供のように興奮している光景が目に浮かんだ。 「!」のマークにこちらまで感動してしまった。
よかった、喜んでくれて―――。 なんだかマザー・テレサにでもなったような気分だ。

思わぬ大金が入ったので、妹と二人で都心のホテルの「エステ日帰りコース」に出かけた。
フレンチの昼食をとり、サウナに入り、念入りなオイルマッサージを受け、アロマの置かれたリクライニングシートで昼寝した。 こんな贅沢は結婚して以来初めてだった。
紀子はしあわせを噛み締めていた。




「ねえ山本さん、最近何か始めた?」

町内会の古紙回収のとき、近所の主婦に聞かれた。 さっきからちらちらと紀子を盗み見ていたが、気になってしょうがないといった様子で声をかけてきたのだ。
「何かって?」 「スポーツジムに通ってるとか、新しい美容法を始めたとか」
「ううん」口をすぼめて答える。 「何も。 毎日家事に追われてるだけよ」
「そうかなあ。 肌なんかすべすべじゃない。 これって新陳代謝がいいからよ。 運動してるんでしょう」
「してないわよ」 紀子は苦笑した。 「じゃあエステ」
「この前、ホテルでオイルマッサージなら受けたけど」 「じゃあそれだ。 わたしにも教えてよ」
真剣に言うので、笑い転げてしまった。 そんな、たった1回のエステで―――。
でも飛び跳ねたくなった。 家族は気づかなくても、わかってくれる人はいる。
家に帰ってからまじまじと鏡を見つめた。 確かに肌にハリがある。 気のせいではない。 若返っているのだ。
ちょっとした心の張りで、女はいくらでも変われるのだ。 自分はインターネットオークションで、落札者から「非常に良い」と感謝されることで自信が生まれ、若返っているのかもしれない。

そうとなれば次に売るものだ。 紀子は家の中を物色した。
使わなくなったバッグ、着なくなった服、電池が切れたまま放置してある腕時計・・・・・。
だめだ。 ブランド物ならいざ知らず、どれも無名の商品だ。
いっそのこと家具を出してみようか。
この家に引っ越したとき、来客用にとダイニングチェアを2脚分余分に買ったが、使ったためしがない。
よし、これに決めた。 紀子は撮影をして早速出品した。

《7年前に来客用にと買った木製の椅子ですが、ほとんど使うことなく物置で眠っていました。 ですから新品同様です。 購入価格は1脚5000円程度だったと記憶しています。 サイズは・・・・・》

もう文章を書くのはお手の物になった。 正直に書くのが信用を得ることもわかった。
美辞麗句は逆に警戒される。
価格はペアで1000円からにした。 目標は4000円。 平日の昼に特上寿司でもとって食べたい。

ところが椅子は一向に入札者が現れなかった。 
毎日暇さえあればサイトをのぞくのだが、その都度横棒が淋しげに引かれている。
紀子は落胆した。 心なしか、肌の艶もなくなってきた気がした。
流れるのを覚悟していたら、締切の数分前に入札者が一人名乗り出てくれた。
競争相手がいないので、落札価格は最低線の1000円ぽっきりだ。
きっと他に入札者がいないので「1000円なら」と買うことにしたのだろう。 まあいい。
無視されるよりはましだ。 落札者は埼玉の男だった。 気を取り直し、荷造りをした。
振込を確認して、ゆうパックで送る。 届く先が一人暮らしの学生とか新婚夫婦だったらいいな。
相手が喜んでくれたらそれでいい。


翌日、メールが来た。 相手の評価は「普通」だった。 普通? 紀子はかっと顔が熱くなった。
どうして「非常に良い」ではないのか。


《1脚、足の一部に傷あり。 小さなものですが、今後は写真に撮って載せてください。 判断材料になります》

傷なんて、ちょっと角にぶつけてついたへこみに過ぎない。 いくらなんでも神経質過ぎる。
それにたった1000円でここまで細かく言うことはないだろう。
憤慨して続きを読むと、最後に《ほかにご不用の家具があったら買取ります。 直接メールをください》とあった。
紀子は舌打ちした。 きっと業者だ。 流れそうな品物を選んで、安値で仕入れて転売しようとしているのだ。
まったくいやな世の中だ。 出品するんじゃなかった。 おまけに「普通」とは。
マナーすらも知らない中年男なのだ。
頭にきたので相手の評価は無視した。 向こうは痛くも痒くもないだろうけれど。

むしゃくしゃしながら鏡をのぞいたら、いつぞやの皺が復活していた。 一瞬にして血の気が引く。
なんてことか。 せっかく若返りかけていたのに―――。 紀子はたちまち暗くなった。
今回のオークションのせいだ。 感謝されない不満が肌に表れてしまったのだ。
居間のソファに突っ伏し、クッションに顔を埋めた。 頭に浮かんだのは次は何を出そう、ということだった。
この悔しさを晴らすためには、オークションで取り返すしかない。 よい評価を得るのだ。


「ねえ、あなたのレコードプレーヤー、インターネットオークションで売ってもいい?」
夜遅くに帰宅した清志に向かって聞いた。 紀子の指は庭にあるプレハブの物置を指している。
そこにレコードの詰まった段ボール箱があり、その中に古びたプレーヤーを発見したのだ。
「だめだよ。 レコードプレーヤーはいまや貴重品だぞ」
清志がお茶漬けを食べながら、とんでもないという口調で言う。 もちろん予想していた。
「でも長いこと使ってないじゃない」 「いつかまた聴くの。 おれの老後の楽しみだよ」
「わかった・・・・・」 紀子は引き下がることにした。 老後の楽しみと聞いて、背筋がひんやりした。
話の流れでギターを思い出されたら事だ。

「おまえ、インターネットオークションにはまってるのかよ」 「ううん。別に」
かぶりを振ってとぼけた。 清志が箸を止め、何か言いたそうな顔で紀子を見つめた。
「なあ、紀子。 まさかインターネットのチャットに夢中だとか、そういうのはないよな」
清志がぽつりと言った。 「会社の後輩の奥さんで、子供に手がかからなくなって話し相手欲しさにインターネット中毒になった人がいてな。 そいつ、悩んでるの」
「チャットって?」 知らないので聞いた。
「じゃあ安心。 最近いつもパソコンをのぞいてるから、少し気になってた」
「あらそう。 心配してくれてありがとう」 よかった。 ギターは忘却の彼方だ。 紀子は安堵した。


新宿で買い物をして、紀伊國屋書店に寄ったとき、紀子はいいことを思いついた。
著者のサイン本が高く積んであるのを見て、これをオークションに出そうと考えたのだ。
買って、読んで元を取って、定価より高く売る。 一石二鳥だ。

サイン本の著者は奥山英太郎という聞いたことのない作家だった。 でもいい。
流通が少ないほうが値打ちも出るというものだ。
早速買って読むと、愚にもつかないお笑い小説であった。 やや不安になる。
でもインターネットで著者名を検索したら、サイン会を開いたことのない偏屈な作家らしいことを知って勇気づけられた。 オークションサイトにもこの著者のサイン本は出ていない。 希少価値は高いようだ。

定価の半額で出してみると、すぐに入札者が数人現れた。 胸の中がぽっと温かくなる。
この瞬間が好きなのだ。 毎日入札状況を見るのが楽しみになった。
一週間後、定価1600円の本なのに3000円で落札された。
鹿児島の女性で、この著者の大ファンということであった。

《田舎の書店では到底サイン本など置いてありません。 ずっとファンだったのでうれしい限りです。 家宝にします。 サニーデイ様、ありがとうございました》

そして評価は「非常に良い」だった。 ああよかった。
安堵するとともに、全身に軽い鳥肌が立ち、肌がきりりと引き締まる感じがあった。
それはエクスタシーと言ってもよかった。 これこれ、これだ。 こうやって女は美しくなるのだ。
紀子はその3000円で、念願の特上寿司をとって食べた。 
子供が産まれてからはずっと回転寿司ばかりだったので、ことのほかおいしく感じた。
器は自分で返しに行った。 子供達に見られたら非難されるに決まっている。
そして便秘が治り、例の皺が消えていた。 家の中で一人ガッツポーズした。



紀子の頭はもはやインターネットオークションのことで一杯だった。
暇さえあれば家の中で売るものを探しているし、書店をのぞけばサイン本はないかと目を走らせている。

オークションサイトを毎日のぞきながら気づいたこともあった。
一部に常連がいて、ほとんど途切れることなく何かを出品しているのである。
高い値がつくようなものでもなく、どう考えても趣味としか思えない。
きっと自分と似たような主婦なんだなと紀子は推察した。
たいていの利用者は、取引がつつがなく完了して商品に問題がなければ「非常に良い」という評価を下す。
他人から褒められることのない主婦は、それだけで嬉しくなる。
その充実感を得たくて、つい毎回オークションに参加してしまう―――。
半分苦笑して、半分しみじみした。 みんな同じだ。 人との関わりを求めている。

紀子は迷った末、コーヒーカップセットを出すことにした。
我が家が車を買い換えたときディーラーからプレゼントされたもので、一度使っただけで放置してある。
来客用にと思っていたのだが、メーカーのロゴがいかにも貰い物然としていて使うのをやめた。
価格は1000円からにした。 1回だけ使ったことは正直に申告した。
《煮沸消毒して箱に詰めてお送りします》とコメントして出品した。
すると予想に反して入札者が殺到した。 ほんとに? 紀子は目を丸くした。
「HONDA」のロゴ入りがいいわけ? 女の感覚からすれば邪魔なだけなのに・・・・・。
あろうことか、コーヒーカップセットは1万円で落札された。 紀子は夜中に一人でバンザイしていた。
美容院へ行こう。 ヘアスタイルを変えて銀座へ映画を観に行くのだ。


あちこちで変わったと言われた。 直接の言葉はなくても、「あら?」という顔で見られることも何度かあった。
めかしこんで銀座を歩いた時は、高級ブティックの小冊子を道端で手渡された。
振り返って観察すると、ダサいおばさんは無視されて、配られるのはきれいな女だけであった。
何よりときめいたのは、カフェで近くのテーブルのハンサムな中年ビジネスマンからちらちらと盗み見られたことだ。 気のせいではない。 いい女がいるじゃん―――そういう目だったのだ。
となると、次に売るものだがさすがにストックが尽きた。

オークションサイトを見ながら、みんな何を出品しているのかなとチェックしていると、帰宅した清志が後ろから覗き込んできた。
「毎晩、毎晩、何をやってるのよ」 「いいじゃない、わたしの趣味なんだから」
「素敵な趣味をお持ちで」 小馬鹿にした言い方に、紀子はむっとする。
でも気を取り直して外食をねだることにした。
「ねえ。 来週の水曜日、わたしの誕生日じゃない。 イタリアンでも食べに連れてってよ」
おしゃれをして外出したかった。 それも夜に出かけたい。
「子供は?」 と清志。
「平気よ。 中学生なんだから。 たまには留守番させて夫婦で遊ぶのもいいじゃない」
「ああ、たまにはいいかもね。 でも残念でした。 おれ、来週は丸々近畿へ出張」
紀子は黙って歯を噛み締めた。 清志がせせら笑ったように見えたからだ。
「お土産買ってくるよ。 伊勢にも寄るから伊勢海老買って鍋でもしよう」
「真珠のネックレスがいい」 「そんなお金はありません」
取り合ってもらえなかった。 癪に障ったのでそのままパソコンに向かい、食事も温めてやらなかった。
清志のゴルフクラブでも出品してやろうか。 紀子はそんな腹黒いことを考えている。


どうしてもオークションにかける品物が見つからないので、もう一度レコードプレーヤーを取り出してみた。
CDに取って代わられた今となっては時代のあだ花だ。 プレーヤー本体は軽かった。 高級品ではなさそうだ。
コンセントにつないでレコードを載せ、スタートボタンを押すとやんと回ってくれた。
音を出すには他の機材が必要なので、それ以上のことは確かめようがない。
出品しちゃうか―――。 ばれたら新しいのを買ってプレゼントすればいい。
清志の言葉が浮かぶ。 「素敵な趣味をお持ちで」―――。 まったく腹立たしい。 主婦を馬鹿にしている。

よし売ろう。 そうする権利が自分にはある気がした。
数年前まではパートで家計を助けていた。 欲しいものも我慢して子供のために回してきた。

《TechnicsのSL-10というレコードプレーヤーです。 ずっと物置に眠っていましたが、ちゃんと回ります。 取引後、もし不具合があるようでしたら返品に応じます》

値段は5000円からにした。 古い品だから、懐かしさから欲しがる人だっているはずだ。
夫の出張の日に出品した。 「じゃあね」と、軽く手を振って出かけていったので疚しさはなかった。
誕生日のことは無視されたのだ。
ふん。 売れたら一人で松阪牛のステーキを焼いて食べてやる。 平日の昼間に。
紀子は鼻息荒くパソコンを操作した。


SL-10というレコードプレーヤーは、あれよあれよという間に落札価格が上がっていった。
その日のうちに3万円を超えたのだ。 紀子は嫌な予感がした。 また地雷を踏んでしまったのだろうか。
恐る恐る製品名で検索すると、果たしてSL-10は往年の「名機」というものらしかった。
《テクニクスのSL-10は国産初のリニアトラッキングモデルで、1979年の発売当時、価格10万円ながらベストセラーを記録した・・・・・》
思わず顔をしかめた。 ギターといい、これといい、もしかして清志は物を見る目があるのだろうか。
どうしてうちなんかに「お宝」があるのか。

それにつけても男の世界はわからない。 たかがオーディオの中古品だろう。 
バッグのように人に見せびらかせるものでもなし、なんでこんなものをありがたがるのか。
そして数日後、5万円を超えるとさすがに気が咎めた。
取り消せないかとサイトの規約を調べてみたが、どうやら無理そうだった。
紀子はソファに寝転がり、考え込んだ。 どうしたものか。 正直に謝ろうか。 ごめん、出しちゃった、と。
だめだな。 そうなるとギターの件も白状しなければならない。 
吐息をつく。 窓の外に目をやると、秋の空はどこまでも高かった。
雲一つない青い天空に、太陽がきらきらと輝いている。

サニーデイ、か―――。 どこかへ行きたいな。 海とか、山とか。
家族以外との旅行なんて、結婚してから一度もない。 ずっと家にいた。 家族の世話を焼いてきた。
そして今日、43歳になった。
目を閉じ、深呼吸をした。 数秒後、目を開く。
よし、開き直ろう。 ばれたらその時だ。 喧嘩になったら泣いてやる。
紀子は起き上がると再びパソコンに向かった。


夕食はすき焼きにした。 自分の誕生日だから奮発したのではなく、料理が面倒だったからだ。
子供たちは肉好きなので文句はあるまい。 「由佳、祐平。 晩ご飯よ」
二人がゆっくりと階段を降りてきた。 席には着かないで、テーブルの手前で並んで立っている。
二人とも背中に何か持っていた。
「どうしたの? 早く座ってよ」
子供たちは赤い顔をしていた。 なにやら照れているような―――。
由佳が肘で祐平をつつく。 「あんた言いなさいよ」 「おねえちゃんこそ」 
「何よ。なんかあったの?」 紀子が訝る。
由佳がひとつ咳払いして、口を開いた。


「おかあさん、誕生日おめでとう」


次の瞬間、目の前に花束を差し出された。
「おめでとう」祐平が続く。 祐平の手にはリボンを飾った小箱が載っていた。
「うそ」 紀子は目を丸くした。 子供達は笑顔だった。
予期していなかった。 こんなの初めてだ。 だから言葉が出てこない。
「おとうさんがね、出張に行く朝に、『水曜日はおかあさんの誕生日だから、二人で何かプレゼントしろ』って」 
由佳がはにかみながら言った。
「花でも買えって3000円くれたけど、ぼくらも500円ずつ足したんだよ」と祐平。
「あんた余計なこと言わないの」 由佳が鼻に皺を寄せて弟を非難した。

胸が熱くなった。 スイッチひとつで号泣してしまいそうだ。

「ありがとう。 おかあさん、うれしい」 やっとのことでその言葉だけ絞り出した。
花の匂いをかぐ。 天にも昇りそうな幸福感だった。 小箱の中は可愛らしいブローチだった。
全然高そうじゃないのがいじらしくて、心に沁みた。 きっとこの先、自分の宝物になるのだろう。
この子達を産んでよかった。 考えてみれば、ずっと家族からしあわせをもらっていた。

3人で鍋を囲んだ。 いつもは黙々と食べるだけの由佳と祐平が、やけに学校の話を聞かせてくれた。
やさしくしてくれているのが、手に取るようにわかった。
紀子は何度も花に目をやり、その都度「ありがとうね」と言った。
このしあわせな気持ちで、あと10年は平気だと思った。
自分には家族がついている―――。


夕食後、伊勢に移動した清志から電話がかかってきた。
開口一番、「真珠のネックレス、高えの」とおどけて言っていた。
「イヤリングでもいい?」 「もちろん。 買ってくれるだけでうれしい」
紀子は、子供達に花を贈らせてくれたことの礼を言った。 「ありがとう」 
「どういたしまして」 夫婦なのになぜか照れて、ロマンチックな会話とまではいかなかった。
「ところでどういう風の吹き回しなの?」
「おまえがパソコンに夢中だから、何か病んでるんじゃないかと心配してさ」
「馬鹿ね。 病んでなんかないわよ」 小さく苦笑した。
「真珠のイヤリング、オークションで売らないように」 「売るわけないじゃない」

答えてから、レコードプレーヤーを思い出し、お尻のあたりに悪寒が走った。
いけない。 自分はやってしまったのだ。 もう取り返しはつかない。

電話を切ってパソコンをオンにした。 ページを開くとなんと7万円になっていた。
しかも入札締め切りは今夜の11時だ。
紀子は低くうめき、頭を抱えた。 落札者に謝って勘弁してもらおうか。
夫に内緒で出品してしまいました、と。 そういうの、許されるのだろうか。
もはや売れない。 清志を裏切りたくない。

「そうだ」 紀子は立ち上がった。 妹がいるではないか。 
インターネットオークションを薦めた張本人の妹が。 急いで電話をかけた。
「ああ、わたし。 遅くに悪いけど、今すぐオークションのサイト見て、テクニクスのSL-10っていうレコードプレーヤー、10万円で入札してくれない?」
「はあ?」 エスエルテン? 何よそれ」 電話の向こうで妹が素っ頓狂な声を上げていた。
「あのね、サニーデイっていうIDの人がいて、それわたしなんだけどね・・・・・」

「サニーデイ?」
「だからね・・・・・」
紀子は懸命に説明した。 額に汗をいっぱいかいていた。



~END~