長編行きます!!
以前、アメトーークの読書芸人で光浦靖子さんがおすすめ本としてあげていたやつです目

タイトルの通り、爽やかなお話ではないのを前もって言っておきます。
グロい描写はありませんが、人間のドロドロとした部分で構成されています。


「グロテスク 上」 桐野夏生



第一章 子供想像図


私は男の人を見るたびに、この人と私が子供を作ったら、一体どんな子供が生まれてくるのだろう、
とつい想像してしまいます。

それは、ほとんど習い性になっていて、男の人が美しかろうが醜かろうが、歳を取っていようがいまいが、
常に私の頭の中に浮かんでくるのです。
男の人が、私の薄茶色の猫っ毛と対照的な、漆黒の硬い髪を持っていたりすると、その子の髪はちょうどいい
柔らかな色合いの直毛になるだろう、などという具合のいいものから始まって、まったく逆の、
とんでもない妄想もしてしまいます。 双方の欠点ばかりを集めた醜いものに、変わっていったりもします。

私は不思議でならないのです。 精子と卵子が結合して新しい細胞が造られ、命が生まれる。
それはどのような形状をもって、この世に現れるのだろう、ということが。
精子と卵子がいがみ合って、悪意に満ち、突然違う種類のものが生まれることはないのだろうか。
そんな時、私の頭をよぎるのが、「想像図」というものです。
そう、よく生物や地学の教科書に出ていたあれです。 地層から発見された古生物の化石から、
その形や習性を想像して描かれるもの。 私は子供の頃からその手の絵が怖くてたまりませんでした。
怖いというのは惹かれている証拠なのかもしれません。
だって、私は教科書を開くのが嫌で仕方がないくせに、いつしかそのページを探し当て、見入っていたのですから。

どういうわけか、私は男と女が子供を作る行為については思いが至りません。
セックスという男と女の行為に対する想像を飛び越えて、生まれる子供の姿形しか頭に浮かばないのです。
もしかすると、私は少し変わっているのかもしれません。



注意深く見ればおわかりになると思いますが、私はハーフです。
父はポーランド系スイス人です。 父の父、つまり父方の祖父は教師をしていて、
ナチスドイツから逃げてスイスに亡命したそうです。
父は貿易商でした。 と言えば、聞こえはいいのですが、実際は駄菓子に近い、質の悪い
チョコレートやクラッカーを輸入する仕事をしていました。 西洋お菓子屋さんというわけです。

私たちの暮らしぶりは質素でした。 食べ物も服も文房具もすべて日本のものでしたし、
インターナショナルスクールにも行けず、日本の公立小学校に通っていました。
父は不必要はお金は一切遣おうとしなかった。 必要か不必要かを決めるのは常に父でした。
それが証拠に、自分が週末を過ごすための山小屋だけは群馬県に確保していました。
父はその山小屋で釣りをして羽を伸ばし、夕飯は毎日ビゴスにするように決められていました。
ビゴスというのは、ザワークラウトと野菜、肉を煮込んだ、ポーランドの郷土料理です。
日本人の母はきっと嫌々作っていたに違いありません。 父の商売が駄目になって、一家でスイスに帰った時、
母は毎日ご飯を炊いては食卓に載せ、父に嫌な顔をさせていたそうですから。
私は一人日本に残りましたのでよくは知りませんが、身勝手な父に対する母の復讐だったのだと思います。

母は昔、父の会社の事務員をしていたと私に言っていました。
母は一度結婚したもののうまくいかないので茨城の実家に戻り、それから父の家の家政婦を
するようになって知り合ったという話です。
このことは、もっと詳しく母方の祖父に聞いてみたかったのですが、もう無理でしょうね。
都合のいいことに、祖父は全てを忘れて桃源郷に遊ぶ病気になってしまいました。

父の容貌は、やや小柄な白人といったところでしょう。 とりたてて美しくもなく、醜くもない。
赤みを帯びた白い膚をしていて、色褪せた悲しげな青い眼が印象的です。
その目は、ある瞬間、とても卑しく光ることがあります。
父の外見で唯一美しいのは金褐色に輝く髪でした。 それも今は白くなり、馬蹄形に禿げ上がっていることでしょう。

母については、幼い頃の私と今の私とでは、全然見方が違います。
幼い頃は母ほど美しい女性はこの世にいないと信じ込んでいました。
成長した今では、母は日本人の女性の中でも、たいしたことのない部類に入ると思います。
頭が大きくて脚が短く、顔が平べったくて体格が貧相。 目も鼻もちんまりしていて、出っ歯。
性格は弱く、父に完全に従っていたのです。 父は母を支配していました。
母は頭が悪く、敗者になるべくして生まれてきたのです。
私は母に対して言葉が過ぎますか。 それは気付きませんでした。 なぜ母に容赦がないのか。



私が是非とも話したいのは、妹についてです。 私には一歳違いの妹がいました。
ユリコという名前です。 ユリコは何と言っていいかわかりませんが、一言で言うなら怪物でした。
恐ろしい程の美貌の持ち主だったからです。

ユリコを見た人は、その美しさに最初とても驚きます。 それから整いすぎた容貌が退屈に思われ、
やがてこれほど完璧な姿をしているユリコの存在自体が薄気味悪くなるのです。
私は時々、こう考えることがあります。 母は、怪物のユリコを生んだから死んでしまったのではないか。
凡庸な容姿の両親からとんでもない美形が生まれることは、恐ろしさ以外の何物でもありません。
ユリコはただ悪魔のように美しい美貌を持っていた。 そのことが平凡な東洋人である母を、
限りなくくたびれさせたのでしょう。 ええ、この私もそうでした。

幸か不幸か、私はすぐさま東洋系とわかる容貌に生まれました。
そのせいか、日本では少しバタ臭く、外国ではオリエンタルな魅力を持った顔として、
好まれるのではないかと密かに思っています。 人間は容貌に欠点があるほうが、個性的と言いますか、
人間的な魅力を持てるのですから面白い。 でもユリコは常に驚嘆の目で見られ、畏怖されました。
同じ姉妹なのに、それも年子なのに、何と不思議なことでしょう。 突然変異なのでしょうか。


すでにご存知かもしれませんが、ユリコは2年前に死にました。 殺されたのです。
新宿の安アパートの一室で、半裸の死体となって発見されたのです。
報せを聞いた父は気を揉むでもなく、スイスから一度も帰ってきませんでした。
お恥ずかしいことに、美貌のユリコは歳を取ると共に身を持ち崩し、安っぽい売春婦となっていたのです。

ユリコの死に私がショックを受けたかというと、そうでもないのですよ。
真相などどうでもよかった。 ユリコは小さい頃から怪物なのですから、死に方も変わっていて当然なのです。



私の同級生の佐藤和恵が殺されたのは、ユリコの死後一年ほど経ってからでした。
その死に方はユリコとそっくりでした。 アパートの一室でぼろきれのような姿で捨て置かれていたのです。
和恵は昼間、堅い会社に勤めている身でありながら、夜は売春をしていたということでした。
しかもユリコと和恵を殺した犯人が同じ男らしいと警察から告げられたのですがら、仰天するではないですか。

正直に言いましょう。 実は私にとって、和恵の死の方がユリコの時よりも大きな衝撃があったのです。
和恵とは同級生でした。 それに、和恵は美しくはなかったからです。
美しくないのに、ユリコと同じ死に方ができるなんて。 私はなんだか許せなかったのです。
和恵のことはある程度知っています。 私立名門とされる女子高で同級生だったのです。
当時、和恵はがりがりに痩せていて、その挙措からもがさつさが知れる人でした。
全然美しくはありませんでしたが、勉強はまあまあできました。
それも目立ちたがり屋で、気位が高く、なんでも一番にならないと気が済まない質だったのです。

ユリコと和恵の事件のせいで、私の生活もすっかり変わりました。
見ず知らずの人たちが二人の噂話をし、私の生活を覗き見、私に無礼な質問を浴びせるのです。
最近はようやく身辺も落ち着きました。 新しい職場を得ましたしね。
そうしたら急に私は、ユリコと和恵のことを誰かに話したくてたまらなくなりました。



私の話を先にいたしましょう。 私は一年前から、東京のP区役所でアルバイトをしています。
P区には全部で48の認可保育園があって、常に満員で順番待ちの状態です。
私は福祉部保育課というところで保育園の入園希望者の調査の仕事を手伝っております。
この家庭は本当に保育園に通わせなくてはならないのか、という審査のためにです。

役所に入って間もない頃のことです。 自宅で保育できない、という2歳児の入園希望者の家庭を
訪問したことがありました。 保育課長自らが同行しました。 課長はまだ42歳です。
毎日トレーニングウェアで出勤してきて、ごついスニーカーをきゅっきゅっと鳴らしているような人です。
鬱陶しいくらいに常に精気が漲っている、私の苦手なタイプの男なのですが、課長の後を歩きながら
私はついいつもの癖で私と課長の子供を想像してしまいました。
すると、店先でちょうどテニススクールから帰ってきた母親と鉢合わせしてしまったのです。
私たちと顔を合わせた母親はしどろもどろでした。 帰る道すがら、私は課長に言いました。

「他に待ってるお宅がありますから、今の家庭は審査の対象から外した方がいいんじゃないですか」
「だけどね、お母さんにもテニスくらいの息抜きは必要だと思いますよ」
私は冷たい口調で申し立てました。
「それを言ったら、きりがないのではないでしょうか。 あの人の子供が入ったら、本当に困っている家庭が気の毒です」 「まあその通りなんだけどね」
「例外を作るのはよくないと思います」

課長はそれ以上何も言いませんでした。 私は課長の弱腰に憤慨していました。
とんでもない母親はこの世にたくさんいます。
自分が遊びたいがために子供を保育園に入れて平気な母親もいれば、うまく育てる自信がないので保育園で躾けてほしい。 母親たちがどうしてこんなに堕落しているのか、私は常日頃、嘆いてばかりいるのです。

一週間前、野中さんという人にあることを言われました。
野中さんは50歳くらいの清掃課の人です。 彼の視線には粘り気があって、とても不快になります。
そして、野中さんは私に、こう言ったのです。
「あなたの喋る声は甲高いけど、笑い声はとても低いね。 しかも、えっへっへって笑うんだもの」
あなたは表面は取り繕ってるけれど、内面は野卑だ、と言うことでしょうか。
「野中さんが言ったことは、セクシュアル・ハラスメントに当たるのではないでしょうか」
私が課長に訴えましたら、課長は困った顔しました。
注意しておくからなるべく気にしないように。 課長はそう言って、書類を整理したりして誤魔化しました。

その後、食堂で課長と一緒になりました。
「さっきのことだけどね、野中さんは悪意で言ったんじゃないと思いますよ。 親しさから言っただけでしょう。 あれがセクハラだったら、男の言うことの半分はそうなるよ」
課長は私に笑いかけました。 歯が小さくて草食恐竜みたいだと思い、白亜紀の想像図を思い浮かべました。
私と課長の子供は、この歯並びを持つかもしれません。 だとしたら二人の子供は口許にやや品がないでしょう。
「セクシュアル・ハラスメントというのは、ああいう人格の批判も含まれますよ」
「野中さんはあなたの人格を批判したのではないですよ。 感想を言っただけです」
課長は小さな歯でフライをかじり、固い衣をばさばさと皿の上に落としています。

「あなたの妹さんのこと聞きました。 大変でしたね」
つまり、ユリコの事件のせいで私はこんなに神経質なのだという風に聞こえる言葉です。
「僕、ちっとも知らなくて驚きました。 去年殺されたOLの人の事件と同じ犯人なんでしょう」
課長の顔は好奇心が溢れてどろどろと流れ出しそうです。 私と課長の子供はさらに下品で醜くなりました。
「あなたの友達だったって聞いたけど、本当ですか」 「同級生でしたけど」
「僕、あのOLの事件にすごく興味があるんですよ。 エリートOLがどうして売春したのかってね」
そうなのです。 ユリコのことは皆忘れてしまう。 和恵の売春だけは理由がわからず首を捻るのです。
昼はキャリアウーマン、夜は娼婦。 男の人たちは、このわくわくするような記号に飛びつくのです。
せっかくやりがいのある仕事を得たと思ったのに職場はこのようなことの連続で疲れます。


大学を卒業してからはいろんな仕事をしました。
結婚ですか、そんなもの、一度も考えたことありませんよ。
私は翻訳家になろうと努力していたのです。 私は父の母国語であるドイツ語が、かなりできます。
ドイツのある有名な詩人の詩集を5年もかけて訳していたのですが、持ち込んだエージェントの人に、
私の日本語が幼稚だと指摘されて、その詩集は出版されませんでした。
エージェントが言うには、私には翻訳の才能がないというのです。 とうとう諦めました。
通訳の試験も受けたことがありますが、受かったところでその仕事ができたのか、疑問です。
私は他人と接するのが苦手なのです。 だから今、区役所のアルバイトを大事にしていこうと思っています。

その晩、私は寝る前に野中さんとの子供も想像して、広告紙の裏に絵まで描いてしまいました。
その子が悪魔的な風貌をしていることに気づき、私は愉快になりました。
野中さんの発言はショックでした。 私の笑い方は、いったい誰に似たんでしょうか。



私は現在、39歳です。 かれこれ26年も昔のことになりましょうか。
正月休み、一家で群馬の山小屋に行った時のことです。 別荘と呼ぶほど立派なものではありません。
山小屋は浅間山麓の別荘が集まった場所にありました。 
別荘の持ち主はほとんどが日本人の妻を持つ欧米人のビジネスマンでした。
大晦日、近くの山でスキーに行き、帰りに温泉の露天風呂に寄ることになりました。 発案者は父でした。
脱衣所で着替えていると、早速、囁きが聞こえてきました。
「ほら、あの子見て」 「お人形さんみたい」
あからさまにユリコから視線を外そうとしないおばあさんや、肘をつつきあう若い女たち。

ユリコはそんなことにも慣れているのでさっさと裸になりました。
子供の体でしたが、小さな顔だけがバービー人形のように整っているのです。
母は脱衣所で話しかけられました。 「自分に全然似ていない子供を持つって妙な気分でしょうね」
母は顔を歪めました。 私は女が言ったことが図星なのだと思いました。

外はすっかり暮れて星が出ていました。 
白い湯気を立てている露天風呂は底が見えず、黒い池のようで不気味でした。
ユリコは仰向けに湯に浮かび、空を浮かべていました。 その周りを女子供が取り囲み、見つめているのです。
私はユリコの顔を見てとても驚きました。 その晩に限って、神々しいほど綺麗に感じられたのです。
ユリコはこの世のものとは思えない麗しいひとがたでした。 美しく儚いものが黒い湯に漂っている。
秀でた白いおでこに茶色い髪がへばりつき、弓型の眉に大きな目。 目尻は少し下がっています。
鼻筋の通った鼻は子供ながら完璧です。 ハーフの中でもこれほど整った顔をした子供は稀です。
私などは目が吊り上がって、鼻は父に似て鷲鼻ですし、体型は母親似でずんぐりなのです。

ユリコの顔は西洋人の父にも東洋人の母にも全く似ていない。 両者の美しいところを遥かに超えた違う顔。
ユリコが私を見返しました。 奇妙なことにさっきは神々しいほどだった美しさが見事に消えています。
私は思わず叫び声を出してしまいました。 母が驚いて振り向きました。 「どうしたの」
「お母さん、ユリコ、気持ち悪い顔してる」


私はやっと気づいたのです。 ユリコの瞳には何の光も灯っていないことに。


完璧な美貌に光のない目。 ユリコの目は光のない沼なのです。
ユリコが湯の中で美しく見えたのは、その目に空の星が映っていたからなのでした。

「妹に何てこと言うの。 そんなこと考えるあんたの方が気持ち悪い」
母は怒っていました。 母はすでに美しいユリコの下僕だったのです。
この家族の中で誰も味方はいない、と中学生の私は思ったのでした。



続く・・・