今日の一冊は季節が真逆になってしまいますが、
お知り合いのかたがすすめてくれた本の中から一冊選んでみました音譜


「夏と花火と私の死体」 乙一


■一日目

9歳で、夏だった。

神様を祭ったお宮には濃い緑色の木々が生い茂り、砂利の地面に日陰を落とす。
伸びた枝の間から蝉の叫び声が降ってくる。


「お兄ちゃんたち、まだ話し合ってるのかなあ。 五月ちゃんはどう思う?」

弥生ちゃんがわたしに訊いた。 長い黒髪を指先でいじくりながら、少し怒ったような声だ。

「どうって言われても・・・・・」


橘 弥生ちゃんは私の同級生だ。 
一番の仲良しでわたしは毎日弥生ちゃんやそのおにいさんの健くんと一緒に遊び回っていた。

わたしたちは二人で、木陰になっているお宮の木造のやしろの階段に座っていた。
健くんは数日後にせまった村の小さな花火大会の打ち合わせに参加している。

「本当におそいなあ。 弥生たちもあそこに上らせてくれればいいのに・・・・あーあ、ひまだなあ」

わたしたちは二人、広いお宮の敷地にある石の建物を見た。 
倉庫ほどの大きさに積み上げられた石のそれは石垣だけになった小さなお城のようだ。
今そこで上級生の男の子たちが花火大会の打ち合わせをしているのだ。

「いいね、男子はあそこに上れて」 「本当だね。 弥生、男の子に生まれたかったな」

石垣の上には女子は上らせてもらえなかった。 わたしたちはひまそうに眺めていた。
ぎらぎらと照りつける太陽でわたしは涼しい木陰で座っていたい。
しかし弥生ちゃんはそうではないらしい。 


「ねえ、何かして遊ぼうよ。 退屈で死んじゃうよ!」 「木陰の外は暑いよ。 涼しいところがいい」
「それじゃあ、何の遊びならいい?」 「・・・・・・『かごめかごめ』がしたい」
「そんなの二人じゃできないよお・・・・」 弥生ちゃんは座り込んだ。

砂利に指先で絵を描いてるだけでも汗が浮き出る。
「わあ、じょうず。 それって犬の絵だね。 あの雲の形だ」 弥生ちゃんは感激したように言った。
「正解。 66(ロクロク)もこれくらいかわいけりゃいいのにねえ」 そう言って二人で笑う。
66とは、この村に住み着いている犬の名前だ。 獰猛で靴泥棒の白い雑種である。


と、その時犬の唸り声がした。  「きゃあ! 66!」
そこには白い犬がいた。 近くで見るとかなり大きい。 剥き出しの牙と憎々しげな目をしている。

「弥生ちゃん、逃げよう・・・・」

しかし、弥生ちゃんは動かない。 いや、動けないのだ。 66は一歩ずつ近づいてくる。
だがその時、66に大粒の石が投げつけられた。 その石は命中し、66はきゃいんと一声あげる。

「おにいちゃん!」

そこに立っていたのは健くんだった。 もう一度石を投げつけると66は悔しそうに去っていった。
「二人とも大丈夫?」  優しげな笑みで健くんは言った。
わたしたちより2歳年上の、弥生ちゃん自慢のおにいちゃんだった。 弥生ちゃんは健くんに飛びつく。

健くんと弥生ちゃんの家はお宮からけっこう遠い。 稲の絨毯、それに囲まれた砂利道を行く。



弥生ちゃんの家に行くと、緑さんが来ていた。

「わあい、アイスクリームだ! 緑さんありがとう!」
「どういたしまして弥生ちゃん。 さあ、みんなも溶けないうちに食べて」
橘家の居間には布団だけ取り払われたこたつがあり、その上にカップのバニラアイスが山積みだ。

「いつもごめんね緑ちゃん、こんなにもらっちゃって」
「いいのよ叔母さん、どうせほとんどタダなんだし。 それよりアイス買う時はうちの会社ね」
そう言って緑さんはおばさんに宣伝した。 緑さんはおばさんのお姉さんの娘なのだそうだ。


純白の服と白い肌が村の女の人には珍しい清潔さを感じさせ、光って見える。
高校を卒業して今年から緑さんはアイスクリーム工場で働き始めた。
休日になると、ときどき工場のアイスを持って橘家にやって来る。
冷たくて舌が変になるまで、まるで犬のようにわたしたちはアイスを食べた。

「ねえ、テレビつけて。 もうすぐアニメあるから」 弥生ちゃんがおばちゃんに言うと、
おばさんは何も言わずにテレビのスイッチを押すと、しばらくして絵が映った。


そこに現れたのは男の子の写真。  「またこのニュースね、可哀相に・・・・」
一週間ほど前に行方不明になった男の子だ。 そのこで行方不明になった子供は5人。
彼らは誘拐されたんじゃないかと大人たちは噂していた。

アニメを見終え、ニュース番組だけになると退屈になり、わたしたちは森に遊びに行くことにした。

夏の日の午後6時はまだまだ明るい。 森は橘家の裏にある。 
健くんは緑さんを送ってから森に来ると言っていた。 わたしたち二人は木登りをした。
一本背の高い木が生えていて、低いところから枝が生えているので木登りには最適なのだ。
弥生ちゃんは木の横に置かれた大きな石に飛び乗る。 そうすると一番下の枝に簡単に上れる。

「わたし弥生ちゃんちに生まれたかったなあ」
「・・・・・弥生は違う家に生まれたかった」 弥生ちゃんは笑顔なくそう言った。
「なんで違う家に生まれたかったの? ねえ、なんで?」
「う~ん、だってえ・・・・・おにいちゃんと・・・・」 「健くんと・・・・?」

弥生ちゃんは目標の太い枝に腰かけている。 わたしもそこへたどり着いた。
涼しく爽やかな空気。 青い田んぼの中にかかしが見える。 そんな世界を眺める。

「もしかして健くんと結婚できないから違う家に生まれたかったの?」
弥生ちゃんは大きな目を更に見開いて隣の私を振り返った。 そしてこくんとうなずく。

「・・・・弥生もおにいちゃんのこと、健くんって呼びたかった・・・・」 口を尖らせ、足を揺らした。
「でも健くんは緑さんのことが好きなんでしょう?」 「知ってるよう・・・・」
長い髪は緑さんに似せているのか、とわたしは思った。 弥生ちゃんが髪を伸ばし始めたのは一年前。
弥生ちゃんもわたしも緑さんが好きだ。 健くんが好きになるはずである。

「そうか、知ってたのか・・・・・じゃあわたしも健くんが好きだってことは?」

弥生ちゃんの心を暴いてしまったことをわたしは悔やんだ。
このままでは不公平だからと、わたしも頬を朱に染めて告白する。
「えっ!?」  驚く弥生ちゃんがわたしを見た。


まだ夕日になるまで時間があるのに弥生ちゃんの瞳は赤くなっている。


「わたしも・・・・・健くんのことが好きなんだ・・・・」
もう一度、自分に酔うようにそっと呟く。

その時、遠くから健くんが歩いてくるのが見えた。 こちらに向かっている。
わたしは大きな声で健くんに叫び、腕をぶんぶんと振った。 健くんも両手を振り返す。 嬉しかった。
健くんの姿が森の木の葉に隠れて見えなくなったけど、隙間から見えないかと身を乗り出した。
「あ、見えた!」 健くんが駆けてくる姿がちらりと見えた。

その時だった。

わたしの背中に小さな熱い手を感じた。 弥生ちゃんの掌だと思った瞬間、その掌は力強く押し出した。
わたしはバランスを崩して枝から滑り落ちる。 何本もの枝をぱきぱきと折りながら、落ちていく。
変な方向に体がねじ曲がり、声にならない叫びを吐き出しながら、わたしは落ちる。



最後に踏み台にしていた大きな石の上に背中から落ちて――――――わたしは死んだ。



体中の穴から血が流れ出ている。
「おーい、今なにか音がしなかったか? 木の枝が折れるような・・・・」
そう言いながら駆けてきた健くんは、わたしの死体を見つけて立ち止まる。
弥生ちゃんが泣きながら木を下りてきた。 そして健くんの胸にしがみついた。

「一体どうしたんだ、弥生?」 弥生ちゃんとわたしの死体に優しい微笑みを向けて健くんは訊いた。
「五月ちゃん死んでるじゃないか。 弥生、泣いてちゃわからないだろ」 
健くんは笑みを浮かべたまま弥生ちゃんに言う。 弥生ちゃんは涙声でぽつりぽつりと言った。

「あのね・・・・いつもの枝でお話ししてたらね・・・・五月ちゃん滑って落ちちゃったの」
「そうか。 それじゃあ仕方ないさ。 弥生はなにも悪いことなんかしてないんだろ」

「とにかくお母さんに知らせてこよう」 「どうしたんだ弥生?」
「だって・・・・。 だって、お母さんがこのことを知ったら哀しんじゃうよ! そんなの弥生嫌だよ」


そこには恐怖と不安の感情があった。 自分が突き落としたことがばれるのではないかという思いだ。
今のわたしにはそれがはっきりと感じ取れた。


健くんが名案を思いついたように目を輝かせた。 「そうだ、五月ちゃんを隠そう!」
それを聞いた弥生ちゃんは悲しそうに、それでも嬉しそうに健くんを見上げた。
見開かれたままのわたしの目はそんな二人をただ羨ましそうに見つめていた。

「僕にまかせていれば弥生は何も怖がらなくてもいいんだよ」
健くんの背中には血がつかないよう、慎重にわたしが背負われていた。 そこは森の端のほう。

健くんはわたしを地面に寝かせて、そして近くの地面を軽く払った。
その下から現れたのはコンクリートの蓋がされた溝。 健くんは力を入れてそのうちの一枚を開けた。
溝の幅はけっこう広く、ちょうどわたしがすっぽりはまった。 そして元通り蓋を閉めようとする。

「あ、ちょっとまって、おにいちゃん!」

健くんの手が止まる。 
閉めかけた蓋の間から見えるわたしの足先にはサンダルが片方しか履いていない。
「・・・・・そうだな。 なくなった片方のサンダルを探さなくちゃな・・・」 そう呟き、
健くんはわたしを闇に閉じ込めると、蓋の上に土をかぶせた。


橘家ではいつも通り夕食を食べていた。 そこに「ごめんください」と声がかかった。
わたしのお母さんだ。 わたしが家に帰らないから心配して聞きにきたのだ。
弥生ちゃんは手が震えていたが、健くんは普段通りで「知らない。 森の中で別れたよ」と答えた。
警察という言葉が聞こえて、弥生ちゃんは絶望的な、健くんはどこか楽しげな眼差しでおばさんを見た。
これから森を探すと聞いて、弥生ちゃんの表情が強張る。

流れた血の跡はちゃんと消してきた。 ただわたしの片方のサンダルはどうしても見つからなかった。
あのあと、二人で調べまわったのだ。 「わたしも五月ちゃんを探す手伝いしようかしら・・・」
そう言うおばさんの言葉が聞こえなかったのか、健くんは愉快そうにアニメを見ていた。


健くんと弥生ちゃんは同じ部屋で寝起きしている。 蒸し暑い夏の夜だ。
蚊帳の中で健くんは静かな寝息を立てているが、弥生ちゃんは眠れずにいた。

「ねえ、おにいちゃん・・・・」 「・・・・・ん?」 寝ぼけ眼で健くんが言う。
「怖いの。 おにいちゃん・・・・そっちに行ってもいい?」 「・・・ああ、いいよ・・・・」
そっけなく健くんは言う。 弥生ちゃんが健くんの布団に転がり込む。

健くんと弥生ちゃんにも、溝に隠されたわたしの死体にも、
夜の森で泣きながらわたしを探しているお母さんにも夜の帳が降りてくる。



■二日目
 
次の日の朝、健くんと弥生ちゃんはお宮で行われるラジオ体操に行った。 朝のお宮は清々しい。
小学生の親がわたしのお母さんが一晩中、寝ないでわたしを探したと話している。

ラジオ体操から帰ると二人はすぐに森へと向かった。 サンダルを見つけるためだ。
急な斜面をスパイクを履いた健くんが駆け下りるけど、見つからない。 その時、弥生ちゃんが・・・

「大変! おにいちゃん、あれ!」 2台の警察の車だった。

2台の車は車道からそれて森の中へと入ってきた。 偶然にもわたしが隠されたすぐ上を通り過ぎる。
コンクリートの隙間からぱらぱらと土が降ってくる。 車から下りてきたのは捜索隊だった。

健くんは耳を澄まして捜索隊の車が森で停まったことを確認した。 予想していたらしい。
それが当たったからなのか、わたしの居る溝にタイヤの跡がついた皮肉のためか、笑みが浮かんだ。
二人は隠れて警察の人の様子をうかがうことにした。 二人は道のない場所へと入っていく。


夕方になっても機動隊は何も見つけることは出来なかった。
トランシーバーから作業打ち切りの合図が出ている。 しかし―――
わたしの隠されている溝の周りに二人の隊員がいる。 弥生ちゃんは顔面蒼白になっていく。


「おい、そんなのいいじゃねえか。 今日はもう終わりなんだぜ。 これから酒飲む約束だろう」
「そういうわけにはいかないさ。 どうもこの辺りだけ妙に不自然だと思わないか?」
完璧に森の地面と同じにしたはずだ。 健くんの心はそう言っている。

「ふーん、どこが?」
「見ろよ。 この辺りだけスパイクの跡が密集している。 子供用のスパイク」
サンダルを探すのにスパイクを履いたのが裏目に出たようだ。 健くんは黙って会話を聞いていた。

「おいおい、探してるのは女の子だぜ。 どうせ明日もやるんだからその時でいいだろ」
もう一人の隊員が地面を調べると、溝の存在を感じ取った。

「おい、コンクリートだ。 水路かな? 地面に隠されてたぞ」
コンクリートの蓋をおもむろに持ち上げた。 弥生ちゃんは息だけの小さな悲鳴を上げた。
そこには何もなかった。 隊員はその左隣の蓋を持ち上げた。 更にその左の蓋も。
その次を持ち上げるとわたしのつま先に太陽の光が当たった。 
隊員の目線がもう少し低ければ爪先が見えていただろう。 次が最後にしよう、そう言って手をかけた。


その時、健くんは異常ともいえる行動を起こした。


掴んでいた石で、力いっぱい自分の顔を殴りつけたのだ。 何度も何度も本気で叩きつけた。
健くんの鼻からどくどくと血が流れ、滴り落ちる。

「おにいちゃん!」 弥生ちゃんは思わず大声で叫んでしまった。

突然響きわたった声に捜索隊の手が止まる。 
健くんは大声で泣き叫ぶ真似をしながら隊員の前に立った。 弥生ちゃんもしがみついている。

「どうしたんだい、坊や。 こっちへおいで、診てあげるから」
トランシーバーからは『早く戻ってこい』の指示が出ていた。

「転んで滑ったの、斜面で・・・・」 健くんは嗚咽を交えながら答える。
鼻をつまんでいる手を伝って、紅い滴はぽたぽた落ちていった。


それより少し前、緑さんはお宮のやしろの木の階段に腰掛けていた。

大きなつばのある白い帽子に長い髪、丈の長い白いスカート。 花火大会が2日後にせまっている。
緑さんは子供の頃を思い出していた。 緑さんもこの村の子供だった。
近所の男の子を好きになったらしいけどとうとう実らなかったらしい。
その子は健くんに似ていた、と緑さんは笑っていた。 その時、犬の唸り声が聞こえた。
「あら、おひさしぶり、66じゃないのさ」 66は尻尾を振って緑さんに飛びかかった。
66は緑さんに服従のポーズをとっていた。 この変な名前も緑さんがつけたことを知った。

「そういえば君、評判良くないぞ。 靴の大泥棒だって。 どこに隠してるんだい?」
66に案内されるように階段の裏に回ると・・・・「おー、あるある」
緑さんは気になるものが目の端についた。 66のコレクションの一角。 緑さんは手を伸ばす。
花のついたサンダル、それを履いていた女の子を緑さんは知っている。 橘家の方角を見た。
そしてわたしのサンダルを66に返して自分のうちに帰っていく。 今日はやめた。



深海のように深い眠りに包まれる夜。 わたしの体が健くんの手によって持ち上げられる。
わたしの移動の時間がやってきたのだ。 

溝から出されて地面に敷かれたござの上に寝かされる。
変な方向にだらしなく曲がった首や手足をきちんと揃えてくれた。

「ちょっと切りすぎたかな?」 のり巻きにされたわたしの爪先と髪の毛が両端から飛び出る。
そしてその上から固く結ぶ。 ちょうどよい紐が見つからなくて自分たちの部屋の蛍光灯のスイッチの紐につけられている紐を使うことにした。 寝転がって明かりを消せなくても構わない。
そして溝の蓋を閉めた。 丸太のように私を運ぶ健くんに、弥生ちゃんが聞いた。

「おにいちゃん、これから五月ちゃんをどこに連れてくの?」
「僕たちの部屋さ。 押し入れの中に隠してさ、次の隠し場所早く見つけないとな」

家に帰ってわたしを押し入れに押し込んだ。 そして襖は静かに閉じられた。



後編へ続く・・・