新年あけましておめでとうございます 鏡餅

今年は本を読んで読んで読みまくるぞー!
とりあえずは今、読みたいと思っている本を全部読みたいなーかお
よければどうぞ、おつきあいくださいハート

新年一作目は珍しく明るい作品です。 珍しくというか、もしかして初めて!?
ほのぼの系です音譜


「植物図鑑」 有川浩


1.ヘクソカズラ

上司のお供で外回りだったその日は、アスファルトに濃い影の落ちる真夏日だった。

と、目の端に見覚えのある白い色彩の固まりが引っかかった。 
駐車場のフェンスにつるがびっしりと絡みついており、白い色彩は小花だった。


「―――ほう! 見事なものだな。 地主が植えてあるのかな?」
「やだ部長。 あれは雑草ですよ」 「雑草!?」 部長は目を丸くした。
「だってあんなに見事じゃないか」
「『雑草という名の草はない。 全ての草には名前がある』 昭和天皇は仰ったそうですけどね」

「和名はヘクソカズラといいます」 「屁糞・・・!?」

「はい。 名前の通り悪臭がしますよ。 花の可憐さなどからサオトメカズラやヤイトバナなんて別名も考えられたようですけど、やっぱり一番インパクトのある名前が定着したんですね」

そう言い終えると、部長が呆気にとられていた。 「気の毒な名前がついちゃったんだなあ」


バカ、あたし! いくら相手が気心知れた上司だからって、ヘクソとか口走るってどうなのよ!?
イツキ! あんたのせいだ!
さやかは自分に植物の名前をあれこれ覚え込ませた男に罵倒を横滑りさせた。

別れる男に花の名をひとつは教えておきなさい。 花は毎年必ず咲きます。

文豪・川端康成の言葉だ。 別れた男の記憶に自分を刻もうということだが、
こんな女々しい名言を遺してくれたおかげで・・・・・罪なき女がこんなところで要らん恥をかくのよ!

とはいえ―――さやかは小さくため息をついた。  別れたとも言い切れないんだよなぁ。
あの男は何しろ―――いきなり消えたまま行方が分からないんだから。

「河野くん、そろそろ行こうか」  「はいっ」



樹木の樹って書いてイツキって読むんだ。 さやかが彼から聞いた個人情報はそれだけだった。

出会ったのは夜が凍りつく休日前夜。 終電ギリギリの飲み会の帰りだった。
マンションのポーチに近づいたとき―――さやかはそれを見つけた。
大きな黒いゴミ袋。 やだここゴミ捨て場じゃないのに。 そう思って近づくと・・・

「うわ―――あぁぁ!」

遠目にゴミ袋と見えたものは―――人間だったのである。 

ポーチの植え込みに丸くなって転がっている同世代の男。
し・・・・・死んでる?  さやかはそっと腕を伸ばして男の頬をつついた。
あ、温かい。 男はうっすら目を開けた。 ―――あらやだ。 けっこういい男。

「あのぉ。 どうしたんですか?」
「行き倒れてます」
「どうしてこんなところで?」 
「路上だと凍死しちゃうから。 アルファルトやコンクリって体温取られちゃうんだ」

「どうして行き倒れてるの?」 「お腹がすいてこれ以上一歩も動けません」
「お金は?」 「無一文です」 「へー・・・かわいそう」  いつの間にか男の前にしゃがみこんでいた。
と、男がぽんとさやかの膝に丸めた手を乗せた。


「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか」  そう言った。 まるで犬のお手みたい。


「ひ・・・拾って、って。 捨て犬みたいにそんな、あんた」 笑い転げてると更に男は続けた。
「咬みません。 躾のできたよい子です」
「やだ、やめてー!」  ますます笑いが止まらなくなった。 今にして思うと魔が差したというのか。


居間に男を転がし込むとカップラーメンを取り出した。 自炊をしないので、これくらいしかなかった。
男はそれをありがたそうに拝んだ。 男が食べている間にあたしは風呂に入ったが、
それも今考えると何という無防備な所業だったんだろう。

風呂からあがると大きな犬は頭を下げた。 「ごちそうさまでした」 スープまで飲み干していた。
押し入れに詰め込んでいた、半年前に別れた彼氏の服を渡した。
「よかったらこれ、使って」 そして彼に風呂をすすめると、あがってくる前に寝てしまっていた。


翌朝目を覚ますと布団の中に入っていた。 自分で入った記憶はない。

「あ、おはよう。 起きた?」 一瞬混乱したが、「咬みません。 躾のできたよい子です」
思い出しククッと喉で笑った。 「それであなたは何やってるの、ワンちゃん」

「先に目覚めたからいろいろ借りてやっといた」 味噌汁の匂いが鼻をくすぐる。
「朝ごはん・・・・が作れるようなもの、うちにあった?」
「いやーびっくりした。 一人暮らしの男並みに何も入ってないね。 でも米と調味料が揃ってたし。 あと死亡寸前の卵とタマネギ借りたよ」
「タマネギ!? そんなのあった!?」
「家主様に忘れられるくらい気の毒なやつが一玉。 盛大に芽が出てたけど使えないわけじゃないし」

洗面所で顔を洗い居間に戻ると、テーブルにはささやかな食卓が出来上がっていた。
おかずはタマネギのオムレツ。 味噌汁もタマネギに卵。 それだけだが、
「おいしい・・・・・」 味噌汁はじんわり体に滲み入るようだった。
と、涙が出てきた。 「え、わ、ちょっと。 なんで泣くの」
「誰かが作ってくれたごはんっておいしかったんだなぁって」 こんなに美味しいなんて。

「ねえ、どこか行くあてあるの?」 「ありません」 「・・・・ねえ」
「もし、行く先ないんなら―――ここにいない?」

彼は目をぱちくりさせてさやかを振り向いた。
「―――自分の性別に自覚は?」 「分かってるよ」
「あたし家事とか苦手だしいろいろやってくれたら同居のメリットあるかなって」 「俺一応男だよ」
「拾ってって言ったのそっちじゃない! 二度と会えない人になったら寂しいて思っちゃったんだから仕方ないじゃない! その上人の胃袋までがっちり掴まえてさ!」

彼が根負けしたように笑う気配がした。
「・・・・待遇は?」 「住環境と生活費の管理権」 「分かった」 
「寝袋干していい?」 「許可取らなくていい」 「小さい庭ついてるんだね。 いいなあ」
1階なのでフェンスが張り巡された庭である。 雑草の処理が面倒だ。

「ねえ!名前は?」 彼は逆光の中で笑った。 「イツキ。 樹木の樹って書いてイツキ」

「フルネームは?」 「苗字嫌いだから言わない・・・・じゃ駄目?」 問いたださないことにした。
「あたしはさやか。 河野さやか。 よろしくね、」 呼び方を迷った。 「・・・・イツキ」
「よろしく、さやかさん」 「さんは要らない」 「じゃあ・・・・さやか」

これからは1ヶ月分の食費を渡して食事は全てイツキが管理することになった。
自転車が欲しいというので郊外型スーパーまで歩いて1万円のママチャリを買った。
途中、買ったものをカゴについめて後ろの荷台にさやかが横座りになってイツキの腰に腕を回した。
流れていく景色が不思議と新鮮に映った。

洗濯の決まりも初めは下着を別で洗っていたものの、結局全く平気になってしまったのだが。


よく晴れた日の休日、庭の二人で草むしりを始めた。 

「もー雑草ってどこから出てくるんだろ」
「雑草という名の草はない。 草にはすべて名前があります―――って昭和天皇は仰ったそうだよ」

「あっ、やだコイツさっそく生えてる~! それ抜いて!」 フェンスにつるが伸ばし始めていた。
「そいつ一番嫌いなの! フェンスに絡むから取るの大変だし、手が臭くなるんだもん」
「そりゃ名前からしてヘクソカズラだもん。 当たり前っちゃ当たり前だな」
「ヘクソカズラぁ!?」 「そ。 屁糞のように悪臭を放つからヘクソカズラ」

「まあまあ、第二フェーズを知らないだろ」 「何、第二フェーズって」
「花が咲く段階になったら意外な進化を遂げるから。 一本だけ残しとかない?」
「じゃあ・・・・一本だけ」  やがてイツキもバイトを見つけた頃、夏が来た。
「はい、お待ちかねの第二フェーズ」 「何これ・・・すっごい・・・」 眠気が吹っ飛んだ。

中心が上品なエンジでベル形の小花。 それがつるのいたるところに咲きこぼれている。


今でもヘクソカズラを一本残してしまうのは未練だろうか。 ロマンのカケラもない名の雑草に!


2.フキノトウ/フキ そしてツクシ

3月。 さやかの運は散々だった。 主に仕事において。 ミスの連発、重なる不運。

「お帰り・・・・お疲れ」

玄関でイツキの背中に両手を回して泣き出してしまうことも一度や二度じゃなかった。
「前はこれくらいじゃ泣かなかった」 「不本意?」 「・・・・不本意ながら楽」
「じゃあよかった」 イツキがよしよしと頭を撫でた。 「そうだ、頑張ってるさやかにご褒美」
手渡されたのは入浴剤だった。「どうしたの?」 「駅前で配ってた。 エステの宣伝みたい。」

カモミール、効能はリラックス。 今のさやかにぴったりだ。
同居して一ヶ月。 さやかはイツキを異性として意識している。 それは認めざるを得ない。
だがイツキのほうは『躾のいい犬』で紳士的でそんな気配ひとつ感じさせない同居人だ。
今は深夜のコンビニでバイトをしていて、さやかとは入れ違いで出て行く。


健全! ド健全だ!

イマドキ高校生の部活合宿でももうちょっと隙とかいろいろあるもんじゃないの!?


エステの客引きノベルティなんか男にわざわざ配るわけない。 わざわざもらってきたのだろう。
最近目に見えてささくれだっている、さやかのために。 お金もギリギリでやりくりしているから。
大事にはされている―――同居人として。

さやかが休みの日は昼前に起きてイツキの作ったブランチを食べる。
イツキが来てから食べるものも変わった。 マヨネーズやドレッシングもあまり使わなくなった。

「今日、いい天気だよ。 ちょっと散歩行かない?」 皿を片付けながらイツキが言った。
「ええー、散歩ー?」 「どこ行くの?」 「ほら、近所に川あるじゃん」 
「知らないよ・・・」 「えっ、知らないの!?」 そんなに驚かれても、知らないものは知らない。
さやかの生活圏は狭い。 家の駅との往復。 それに買い物に寄る店をいくつか押さえてあるくらいだ。

「駅の反対側に歩くときれいな川が流れてるんだよね。 2,3km。 どう?」
「疲れる~」 「そっかぁ、残念だなぁ。 楽しみにしてたんだけど」 そうこられると弱い。
「行ったら何かいいことある?」 「ちょっと楽しくてお得なことがあるかもしれない」
畜生この釣り師め!

若草色のパーカーに白いプリントTシャツにジーンズだ。 軽く化粧もした。
イツキは自分のリュックから一眼レフのデジカメを取り出した。 多分、諭吉が十人では足りない。

「すごーい、そんなの持ってたんだ」 「うん、ちょっと趣味で・・・風景とか撮るの好きで」


駅の反対側へ信号二つ分歩くと広い川にぶち当たった。 「わぁ・・・・」
爽やかに吹き付けてくる川風の心地よさに思わず声が漏れた。 見慣れない鳥がいる。
目的地に到着したらしい。 イツキが木の根元にしゃがむ。 「フキ?」 「うん、それだけじゃない」
地面に残る雪を割って顔を覗かせる淡い緑を見て思わず息を飲んだ。 直に見たことはない。
「・・・・・フキノトウ?」 「そう。 まだ雄株と雌株の区別はつかないけどね」
言いつつイツキはカメラを構えてフキノトウを撮り始めた。

「じゃ、採ろうか」 「採ろうかって・・・・」
「フキノトウが今、3,4個のパックで398円。 フキ一束298円。 それがタダ。 OK?」
「お・・・おーけー・・・・だけど・・・・・」

「で、でも犬のおしっことかかかってたりしない!?」 「さあ? でもそんなのよく洗えば済むしさ」


あどけなくて丸っちいフキノトウは実は手に取りたくて仕方なかった。 ひとつぷつりと摘む。

次にフキを摘んでる時だった。 「きゃあっ」 「何!?虫でもいた!?」
そこにあったのは図鑑でしか見たことのないツクシだった。 「これ食べれるよね!?」
「食えるけど・・・手間なんだよなあ、そいつ」 「食べたい!食べたい食べたい食べたい!」
「さやかが家帰って手伝うなら採ってもいいよ」 「手伝う!」

帰宅するとまずはツクシのはかま取りである。 何しろ数が多い。
次にフキを茹でこぼしてスジ取りにかかった。 そしてフキを煮付け始めた。
その後も慣れた手つきで調味料も計量せずに調理していくイツキ。

どうするかなぁ、これと彼が言ったのはフキノトウである。 「これ保存するのが難しいんだよな」
「天ぷら! フキノトウの天ぷら食べたい!」
「・・・・・・さやか、フキノトウの天ぷら食べたことある?」 「ないけど?」
「じゃあ二つは揚げるけど、一個は絶対食べろよ。 ノルマだぞ」 何やら不穏な念押しをされた。

「あとはばっけ味噌にでもしてみるか?」 さやかには謎の言葉を呟き、中華鍋に水を張った。
「イ・・・・イツキさん、何かもう原型をとどめてないんですけど!」

茹でこぼしたフキノトウを水にさらし、力任せに絞って水気を切った。それをみじん切りにし、
ごま油で炒める。 そこに投入したのは味噌。 更に調味料。 それを煮詰めて火を止めた。

「舐めてみ」 「・・・・白いごはん欲しい。 ばっけ味噌ってこれ?」
「そう。 ばっけっていうのは東北の言葉で、要するにフキ味噌のことみたいだけど」

食卓にはツクシの佃煮とばっけ味噌、さやかが作ったフキの混ぜごはん、それにフキの煮物と味噌汁が並んだ。

「・・・おいしい。 何かワンランク上の香りになるね」 そう言って味噌汁を飲んだ。
そして次に手を伸ばしたのはフキノトウの天ぷらだ。 がぶりと一口―――

「!?」

思わず口元を押さえた。 イツキは平然と口を動かしている。 数回噛んで無理矢理飲み込んだ。
そして水を含み、恐る恐るイツキに尋ねる。

「これ・・・・・すごく苦くない?」 「一人一個がノルマだからな。 フキノトウの天ぷらってハードに苦いんだよな」 「何で最初に教えてくれないのよー!?」
「だってさやかが食べたがったし、好きな人だっているしさ」
「あっ、何よ! ツクシの天ぷらのほうがずっと美味しいじゃん!」
「おいしいっていうかクセがないんだよ。 後は美味しいものしか残ってないし。 ノルマはこなした!」

「もう嫌になった? 散歩とか」 不意にそんな様子を見せるから、きゅうっと胸が締まる。

「―――そんなことないよ。 フキノトウの天ぷらが鬼のように苦かったことも含めて楽しかった。 今日のごはんって米と調味料以外は1円も使ってないんだよね。 街中に住んでるつもりだったのに、そんなこと可能なんだなあって」

「来週も天気がよかったらまたどっか連れてって」
「うん。 じゃあまた何か見つけとく」


月曜日、弁当を開けると、炊き込みご飯のおにぎりが2つ。 ツクシの佃煮とフキノトウの味噌漬けが入っていた。
更におまけがひとつ。  弁当箱の下にメモを隠してあった。

『次の散歩まであと5日!』

見つけて吹き出しそうになった。 あんまり―――あんまりくすぐったくて。


3.ノビル/セイヨウカラシナ

3月最終週。 初めてイツキのバイト代が出た。

イツキは今まで買い揃えたもののお金を差し出した。 「受け取ってくれたら俺も肩身狭くなくなる」
「・・・・今まで肩身狭く暮らしてたの?・・・・・分かった、じゃあもらっとく」
「あのさ、保険と年金払いたいからそんなに残るわけじゃないけど、少しは俺も食費とか家賃とか・・・」
さやかはにっこり笑って言った。
「じゃあこれからはイツキの要る物はイツキのお金で買って。 で、生活費が足りない時はイツキが出してくれると嬉しいな」

さやかが気になるのは―――保険と年金を払うということはどこかに住所があるということだ。

イツキはどこから来たんだろう。 でも訊いてはいけない気がして沈み込んでいく疑問だった。


2回目の散歩。
さやかは歯磨きと洗顔を終わらせると、化粧に入った。

「・・・・何してんの?」 「え、軽く化粧だけど」 「散歩くらいで要らないだろ」 「えー、でも」
「俺はさやかが化粧してないほうが好き。 勿体ないよ肌きれいだし」

動揺して手元のパウダーファンデを洗面台に落としてしまう。
「てっ・・・・手入れ、まめにしてるからねっ」

くっそぅこの天然たらしめ!

「じゃあ口紅だけね。 あたし口紅ひかないと顔色悪く見えるから」
何本か持ってる中で一番淡い色を選んでしまったあたり、翻弄されている。

この日は河川敷には下りず、土手の上を歩いて行った。
「菜の花?」 「惜しい。 セイヨウカラシナ」  「これ獲物?」 「そうだねツボミ摘んでくれる?」

袋にツボミを摘んで入れた。 「次は何かあるの?」 「そうだね、新顔が一つ」
「ここから土手の途中に下りたいんだけど、さやか大丈夫?」 「行ける・・・・と思う」
イツキが先に下り、さやかに手を伸ばす。 イツキは痩せて見えるが意外と力強かった。

二人は土手の途中で膝をついた。 草があるから汚れる心配もない。 「それでどれなの?」
「これ」 イツキはすっと細長く伸びている草をつまんだ。 コシがないうねるような。
「これ、摘めばいいの?」 「いや、ここでこれが登場」 そして取り出したのがスコップだ。
スコップを柄の根元まで一気に潜らせると土ごと掘り起こした。
イツキは慎重に土を手で除きながら草の根元を掴んでゆっくり引き抜いた。
ようやく掘り上げた株から土を払うと、根の先が白い玉になっていた。

「わー、ちっちゃいタマネギみたい! これ何て言うの?」  「ノビル」

ノビルは本当に強敵だった。
イツキですら途中で 「ああ畜生!」 と根を切ってしまうことがあった。

本日の夕食分を採り終えたところでイツキが川の水で手を洗いに行った。
「ハンカチは?」 「そんな気の利いたもの持ってない」 さやかはハンカチを渡した。
「お、サンキュ」 風にさらされた手は痛々しいほどに赤い。
イツキの手を握り、包んだ両手に息を吐きかける。 手をさする。 手の体温はもう取られてしまった。

イツキからは何も言わなかった。 言わなかったからやることがうっかり大胆になってしまった。
「えいっ」
長い指先を顎と鎖骨の間に挟んでしまう。 少しは温まったと思った頃、イツキが口を開いた。

「・・・・・さやか、ごめん。 そろそろちょっと動揺しそうなんだけど、俺」
ひゃあっと悲鳴を上げてイツキの両手を突き返す。 「ごめん、冷たそうだったからつい!」
しゃがんだイツキがどんな表情をしているのかは窺えなかった。
すこしは異性として意識はしてるのかな。

帰り道、「もう少し温めてあげようか?」 と訊くと頭を小突かれた。
フキを採るのを忘れたな、とイツキが呟いた。 それなりに動揺が長引く出来事だったらしい。


今日の獲物はどんな料理に化けるのか。
ノビルの球根はさやかが切った。 セイヨウカラシナを茹でこぼすとイツキはパスタを取り出した。

「え、パスタになるの?」 「うん、今日は一品料理。 けっこう旨いよ」 パスタは意外だった。
「イツキって何か湯がくとき中華鍋使うよね」
「湯がきものは浅い鍋のほうがいいんだ。 すぐに湯が沸くから。 麺類も中華鍋で充分」

いただきます、というのはもう習慣になった。
さやかはパスタをフォークに巻きつけて、こぼれるノビルの玉もすくい口の中に放り込む。


「やだ・・・・おいしい」 「やだってなんだよ」 「おいしいのに説明できないからイヤなの!」


ベーコンの甘さとセイヨウカラシナのほろ苦さとノビルの甘さ! 
特に球根部分のカリッと噛み砕いた食感は説明できる例えがない。 パスタは絶品といってもいい。
「どうしよう、今まで食べたパスタの中で一番好きかも!」
「そりゃ大変だ、ノビルって基本的に流通に乗ってない食い物だから。 自生してる場所も少ないし」

週の半ばにイツキはもう一度ノビルとセイヨウカラシナのパスタを作ってくれた。
昼間のうちにノビルを採りに行ってくれたらしい。 嬉しかった―――
「でもこの春はこれでおしまいな」 「え、何で?」 「採り尽くしちゃうわけにもいかないからさ。 ノビルは生長に時間もかかるしね」 「そっかー」

この春でおしまい。―――次の春、イツキはここにいるだろうか。  ここにいて。


定時で会社を上がった日、さやかはドラッグストアに寄った。

手にとったのはプレストタイプのフェイスパウダー、おしろいである。
無色透明から肌色まで4段階ほどある。 日頃のメイクはリキッドでシッカリ派だ。
でもイツキに選ばせたら多分・・・・結局さやかは無色透明のを選んだ。

けっこう振り回されてるよ、あたし。 罪作りなんだから。


次の散歩の時、買ってきたプレストパウダーを塗っていると、
「何やってんの」 「え、これは」
イツキは洗面台に置いてあったパッケージを見た。
「ん、それくらいならいいんじゃない?」

さやかの顔は見る見る赤くなった。  前に言ったこと―――覚えてたんだ。
やっぱり罪作りな同居人だった。


続く・・・