前回のあらすじ。 醜い容姿で生まれ育った和子は孤独に学生時代を過ごします。
しかし高校で初恋の相手と再会を果たします。
その相手、英介に和子はとんでもないことをしてしまい、親と絶縁します。
町の人たちからは「モンスター」と呼ばれました。



「モンスター」 百田尚樹



東京の短大時代は最も惨めな時だったかもしれない。

両親が私を母方の祖母の養子にして苗字が変わった。 田淵家から追い出された恰好だった。
名前が変わるのは嫌ではなかった。 養子になる際、下の名前も変えた。
養子という特別な事情から認められた。

私の新しい戸籍名は 『鈴原未帆』 になった。

新しい自分になって生きていく。 しかし捨てられないものがあった。 自分の醜い顔だ。
東京は美女で溢れていた。


短大に入って何回かは合コンに参加した。 何故か女子からよく誘われた。
地方出身の素朴な雰囲気が好まれるのかもしれない、と思ったが勘違いもいいところだった。
男子学生たちは 「これが評判のブスか」 と珍獣を見るように眺めていたのだ。
ある日あまり親しくないクラスメートが教えてくれた。 綺麗な子だった。
その日以来、合コンには一度も参加しなかった。


アルバイトもしたが客商売は全て面接ではねられた。 やっと見つけたアルバイトは工場の配送係だ。
短大で学んだことは何も覚えてないが、今でも記憶にあるのが心理学の授業だ。

講師は玉井雄一朗という名前だった。

彼の話は面白く興味深かった。 特に記憶にあるのが 『美人と不美人』 の話だった。
美人か不美人かの判断は4歳から7歳の間につちかわれるという。
また、美人というのは平均的な顔で、典型的な美人というのは個性が乏しい顔だ。
逆にブスな顔というのは平均から大きくはみ出しているケースが多い、と言った。

玉井の話でもう一つ印象的な言葉があった。 「僕は女性を顔で判断しない」 という台詞だ。
「美人とか不美人という判断も、結局本人が持って生まれた感性ではなくて、その時代の流行に踊らされてるだけなんだ。 そんなのに振り回されるのはむなしいよ」
それを聞いたとき、私は感動し希望を見出した。

大学時代も私には友人はいなかった。
恋とは無縁だったが、私はセックスに憧れた。 しかし、私は醜い顔のせいでその機会もなかった。



私は珍しく客と同席してワインを飲んでいた。
テーブルに座っているのは教育委員会の3人と中学校の教師だった。

「清水谷君は来年には教頭になるんです」 「教頭先生ですか、まだお若いのに」
彼は優秀なんだ、と褒められ謙遜し、嬉しそうだった。
私は時折、右隣に座る清水谷の顔を見た。 その顔は自信に溢れていた。

「かつて醜い女は性格も醜い」 と笑った国語教師は、教頭になるほど優秀だったのだ。

釣りの話をしていた時だ。
私は少し間を置いてから、いきなり立ち上がって、隣に座る清水谷の頬を平手で打った。

「あまりにも失礼じゃありませんか!」
「何をするんだ」 清水谷は頬を押さえて言った。
「私に言わせるんですか? あなたが今テーブルの下で行った行為を」
「何を言うんだ―――私は何もしていない」
「恥を知りなさい!」 私は席を離れ、厨房へ引っ込んだ。

「いえ、私は何も―――彼女の誤解です」
「やめなさい。 見苦しい真似は」 という声が聞こえた。 清水谷は泣きそうだった。
私はシェフの村上に帰って貰うよう頼んだ。

「恐れ入りますが、今夜は皆さん、お帰り下さいませんか。 もちろん今夜のお代は頂きません。 当店のオーナーの気分がすぐれないので、今夜はこれで店を閉めたいと思います。 まことに申し訳ありませんがご了承ください」


後日、清水谷の教頭の内定がなくなったことを知った。

村上がぽつりと言った。
「あの時、何もなかったんでしょう。 なぜあんなことをしたんですか」
「ただの退屈しのぎよ」 それから大きな声で笑った。
そんな私をじっと見つめていたが、村上は何も言わなかった。



私の短大時代はあっという間に過ぎた。
会社の就職試験には軒並み不合格だった。 全て面接で落とされた。
面接官の私を見る眼は嫌悪ではなく、むしろ哀れみだった。 深く傷ついた。
美人のほうが圧倒的に有利だった。 私のほうが学力があっても学力なんか関係ないのだ。


私がようやく就職したのは製本会社だった。 ラインで働く女子工員として雇われたのだ。
給料は安かった。 手取りで12万円ちょっと。 生活していくのがギリギリだった。
工員の8割は女性で若い女性だった。 体力のいる仕事だからだろう。
彼女たちは私を露骨に嫌った。 私の顔を嘲笑った。

忘れられないのが、同僚の奥井直子が「醜い」は「見にくい」という言葉からきているという話を、
私を見ながら言った。 皆は笑った。
私はトイレに行って、わずかに滲んだ悔し涙を拭った。


ただ生きているだけの毎日で、貯金は全然できなかった。
実家に手紙を出したら宛先不明で返ってきた。 私は家族にも見放された。
23歳の誕生日の夜、一人でケーキを食べているとき、突然涙がこぼれた。 絶望的だ。

その時。英介を思い出した。
彼が恋しい。 彼が欲しい。 英介に会いたい。  しかし彼は私を狂人だと思っている。
あの時、確かに私は狂っていた。   「英介」 心の中で叫んだ。
なんであの時、砂場で私を助けてくれたの?   ブスとののしってくれたらよかったのに―――。



私が初めて整形をしたのは24歳の時だ。

週刊誌で見た恵比寿の美容整形の横山クリニックというところに行った。
最初に相談料を取られた。 20分5千円だった。
私が一日工場で働く日当がわずか20分で消えていく。 5分でも超過すれば1万円かかる。

「初めまして、横山と言います。 今日はどんなご相談ですか?」 にこやかな笑顔だった。
「目を―――二重にしようかと思って」
すると、横山は一重と二重の違いを説明してくれた。 時計を見ると15分が過ぎている。

「先生、二重にしてください」 気づけば、私はそう言っていた。
横山は埋没法と切開法の違いを教えてくれた。
私は3日後に、埋没法の手術をすることに決めた。


3日後、仕事を早退して夕方クリニックに行った。
局部麻酔をすると、わずか15分ほどで手術は終わった。
鏡を見ると、少し腫れてはいたがそこには美しい二重瞼の目があった。 これが私の目!?
思わず、涙がこぼれた。
家に帰ってからも鏡に穴が開くほど見つめた。 手に入れた。 たったの8万4千円で。


翌日出社した時、同僚たちは私の目を見て驚いた。 上司は私を見て不思議そうな顔をした。
トイレに入った時、洗面所で噂する声が聞こえた。

「笑いをこらえるのに苦労したわ」 「ブルドックに目だけお人形さんの目がくっついてるんだもん」
大笑いした。 私は心臓が凍りつく思いがした。
「個室にいらしたらどうするの?」 誰かが言った。
「かまわないわよ」 奥井直子だ。 
「思ったこと言っただけだもん。腹が立てば出てくればいいんだわ。 ドア開けたらブルドッグ泣いてたりしてね」
皆が一斉に笑った。 私の心の中で何かが爆発した。

「いいかげんにしろよ」  ドアを乱暴に開け大声で言った。 3人の女子社員は固まった。

私は直子の前に立って怒鳴った。 「もう一回言ってみろ!」
「てめえ、顔を刻んでやろうか!」 直子の襟元を掴んで言うと、彼女は悲鳴を上げた。
「謝れよ!」  直子は泣きながら 「ごめんなさい」 と謝った。
「土下座しろ!」 「そこまでしなくてもいいでしょう」

私は直子の髪を掴み、洗面所の鏡に顔を叩きつけた。 直子は泣き叫んだ。
直子は泣きながらトイレの床に土下座した。 私は土下座する直子の肩を蹴った。


その時、トイレのドアが叩かれ、異常を察した男性社員が入ってきた。
「何をしてるんだ!」 声を荒らげて私に言った。 しかし私はそれ以上の大声で怒鳴り返した。
「やかましいっ、何でもないわ!」 男性社員は目を丸くした。
「女子トイレを覗くな、この変態野郎!」 男性社員は慌ててドアを閉めた。




私は厨房にやってきた宇治原陽子の前に皿を突き出した。 「汚れがとれてないじゃないの!」
店のフロアと厨房の清掃のために求人広告を出した。 
驚いたことに、そこに高校時代のクラスメートの岡田陽子がいた。
かつて美少女を呼ばれた面影は失せ、くたびれた中年のおばさんに足を踏み入れていた。

高校時代、彼女は私に対して随分高圧的に接した。 彼女が友人達に話しているのをこっそりと見た。
「田淵さんがアイドルのAのファンだなんて、身の程知らずもいいところだわ」
私は体が固まった。
「好きなタレントが田淵さんと同じというだけで、いやになっちゃった」 岡田の言葉に友人は笑った。
その後、私の存在に気づいたようで笑いは急に止まったが、私は彼女たちのほうを見なかった。

岡田とは卒業するまで一言も話さなかった。
まさか20年後に自分の店に働かせてほしいと言ってくるとは。
私は彼女を顎で使った。 雑用を何でもさせたが、フロアスタッフにはしなかった。




トイレで怒鳴った時から私の中で何かが変わった。

堂々と自己主張するようになった。 嫌われたって構わない。 どうせ友人なんていないのだ。
先輩の山岸敦子からシフトを代わってくれと頼まれた。 本当は嫌だったが今まで断ったことはない。

「鈴原さん、来週の日曜のシフト代わってね」 返事をしなかった。  「ちょっと聞こえてるの?」
私は振り返った。
「なんでお前のシフトを代わらないといけないんだよ」
「その言葉遣いは何よ」 私を睨みつけ言った。  彼女に近づいて言った。 「ぶっ殺してやろうか」
山岸は一言も言い返せなかった。
その日以降、私に話しかける女子社員は誰もいなくなった。

数日後、工場長に呼ばれ、咎められた。 説教とでもいうべきか。 クビも視野に入れていると言った。

「あんたが女子社員と不倫してるのを会社に言ってやろうか」 工場長は顔色を変えた。
くずかごを蹴った。 中の紙くずが散らばったが、工場長は何も言わなかった。
「すみませんでしたって言えよ!」 と私は言った。
工場長は俯いたまま小さな声で、すみませんでした、と言った。
私は声を上げて笑いながら部屋を出た。


もう誰に何を思われようと構わない。 どうせ私は醜い女なんだ。



続く・・・