母親が絵画教室で出会った田所と結婚し、子供が生まれ、幸せに暮らすも
台風による土砂崩れで大切な母(おばあちゃん)を亡くしたところまでいきました。
では、続きです・・・・・
「母性」 湊かなえ
■第三章 嘆き
母性について
せっかくだから晩飯でも食いながら話そう。
隣の席の国語教師に言われ、<りっちゃん>という店に案内した。
「おいおい、たこ焼き屋か?ケチりすぎだろ。」
「見た目で判断しちゃいけませんよ。夜は名の知れた飲み屋になるんです。」
店はりっちゃん一人できりもりしている。
「あの新聞記事のこと、考えてみたんだが・・・あの子が自殺するとは考えれん。俺が知ってるのはおととしまでだが俺にはわからん。それよりどうしてお前はあの事件に興味をしめすんだ?」
と言ったところで焼きたてのたこ焼きがカウンターに置かれた。
「まずは食べましょう」 この人に身の上話をするかどうかは食べながら考えるとしよう。
母の手記
神父様・・・・・母を亡くした日から私の人生は一変しました。
私の家族はこの世に誰もいなくなってしまったのです。 広い世界に一人ぼっち。
田所や娘、田所家の人はこちらがどんなに喜びを与えても、その百分の一も返してはくれませんでした。
娘の心には温かい光を跳ね返す、暗い大きな壁があったのです。
娘の10歳の誕生日の夜でした。
眠る娘の頭を撫でてやろうと手を伸ばし、髪に手が触れた瞬間、あのこは私の手を強くはじきました。
忌まわしいものでも振り払うかのように。
この絶望感をわかっていただけますか。 母は私の頭をいつも撫でてくれました。
でも自業自得かもしれません。 あの日以来、娘に触れようとしたことはなかったのですから。
私には母親がいないのに、この子にはいる。 どうしてこの子にはいるのに私にはいないのだろう。
娘は悪くないとわかっていながらも、握った手を振り払ってしまうこともありました。
罪滅しであの子の頭を撫でてやろうと思ったのに、それなのにあの子は私を拒否した。
高台の家は全焼し、必然的に田所の実家に住むことになりました。
義母は転がり込んできた私たち3人を迷惑そうな顔で迎えました。
わたしたちには2階のひと部屋があてがわれ、息をひそめるように生活しました。
風呂に入るのは私が最後なのに、風呂からあがると脱衣所に義母がいて、
お湯の使いすぎだと裸のまま怒られ、冷め切った浴槽のお湯で音を立てないように体を洗い流しました。
そのせいか風邪をひいてしまい横になっていると、
「何様のつもりなんだい」と優しい言葉など何一つかけてはくれません。
田所と娘には新品の服が買い与えられましたが、私には田所の妹のお古があてがわれました。
手をかけて作った食事は、口に合わないとごみ箱に皿ごと捨てられました。
こんな日々が続くのならいっそ母のところにいってしまいたい。
庭の木を見ながらあの木で首をくくろうか・・・などと考えていると、母の四十九日の朝、
しだれ桜の木に八重桜が一輪だけ咲いていたのです。
母ががんばりなさい、と言っているようでした。
誠心誠意尽くせば、義母も受け入れてくれるに違いない、そう思ったのです。
良いこともありました。 私たち用の母屋が建てられたのです。
女子大に行っていた次女の律子が帰ってくるためでした。
食事は母屋でみな揃ってとることになっていました。
毎日のように義父と義母は寺への寄付金や減反政策をめぐって口論をしていました。
ふいに意見を求められることもありました。 うまく答えられないと
「これだから四年制大学を出ていない嫁は、頭が悪くて困るんだ」
まさか学歴を否定されるなんて。 義母にとっては見下すところだったんです。
義父母が口論になると娘はまだ小学生なのに会話によく口をはさんできました。
「お寺の寄付金なんて本堂の入口のところにある石に一番目に名前を彫って欲しいからいくらにしようか考えてるんでしょ。 バカバカしい。 パパの会社だって仕事減ってきてるのに、そんなところにお金かけてる場合じゃないじゃん」
娘の意見は正論でした。 田所の会社は受注が減ってきて収入も減っていたのです。
一喝する義母に娘も負けていません。
「じゃあママにちゃんとお給料を払ってよ。朝から晩まで働いて家事もしてるんだから。」
この頃になると私は家事だけでなく、農作業も手伝うようになりました。
でも義母もいつか私が義妹よりも何倍も尽くしていることに気付き、
愛情を注いでくれるのではないかと信じていたのです。
この頃、一日中部屋にこもって人形作りなどをしていて律子が、ちょくちょく外出するようになりました。
ある日律子が男の人といるのを見かけたのです。
律子は垢抜けない女で、ぽっちゃりとした体におたふくのような顔、ただ品の良さはありました。
一緒にいた男は正反対の派手なシャツに軽薄そうな表情、律子とは釣り合っていませんでした。
おまけに律子は男に高そうな腕時計を買ってあげていたのです。
その後も夜田んぼのあぜ道に車を止めて二人が会っているのを度々見かけました。
その3ヶ月後・・・・・
「お義姉さん、お金を貸してもらえないかしら。 百万円、どうにかならない?」
こんなことを言ったのです。 我が家にお金などあるはずがありません。
亡くなった母の家を、絵画教室で一緒だった仁美さんが借りたいというので、
家賃として月々2万円は受け取っていますが、ほとんど手元に残っていません。
律子は、今恋人がいて結婚を考えているんだけど父親に借金があり、
それを返済するまでは結婚できないのだという。
私は「金額が大きすぎるから、哲史さんに相談してみるわ」と言うと、
兄には言わないで、と機嫌を損ねたように出て行きました。
その夜、律子が家を抜け出すのを確認すると義母に全て打ち明けました。
口をあんぐりとあけた義母。 例の田んぼのあぜ道まで行きました。
家で話をすることになりました。 私は席をはずされました。
娘とひと月後の誕生日会の話をしました。
前年、3人お友達を呼んだのですが、そのうちの一人がよくない噂のある家の子で
義母からあの子とはつきあうなと厳しく言われたのです。
「映画のチケットを2枚買って誕生日会の日に律子さんにおばあさんを誘ってもらうのはどうかしら」
「それいい。 ママ、グッドアイデアだよ!」
しかしひと月後律子はこの家にはもういませんでした。
お誕生日会も中止になりましたが、娘の自業自得です。
母屋での話し合いは、男に金目当てのペテン師だ!と言って、もう二度と会うなと追い返したそうです。
家を出ないように律子のことを誰かが四六時中見張ることになりました。
律子は食事もとらずに泣いていましたが、半月もすれば元に戻り手芸も再開しました。
が・・・・・、それは律子の作戦だったのです。
稲刈りで忙しい時期だったため、娘に律子のことを見張っててもらうことにしました。
それなのに、夕方皆で家に帰ると、律子の姿はなかったのです。
「りっちゃんに商店街の手芸屋で綿買ってきてって。絶対に出て行かないって約束したのに・・・」
娘は泣きながらそう言いました。
「いつもえらそうな口を利いているのに、この役立たずが」
義母は娘を怒鳴りつけると腰が抜けて泣き出しました。
律子が出て行ったことよりも、私は娘に失望しました。
2週間後・・・・田所と義母は律子を探しに大阪へ行くことになりました。
学生時代に住んでいたアパート周辺を探してみるとのことでしたが、9割がた無理だろうと思っていたら
律子さんは見つかりました。
観光名所として有名な公園の入口で彼と一緒にたこ焼きを売っていました。
義母はワッと顔を覆って泣き出しました。
娘の誕生日会などできたものではありません。 何もせず、眠る娘を撫でてやろうとしたら―――
冬がやってきて律子は寒い思いをしていないだろうか、ちゃんと食べてるだろうか、と義母が涙ぐむと
「大丈夫ですよ」 精一杯慈愛を込めて声をかけたのに・・・・・
「はっ、誰のせいでこうなったと思ってるんだ」 吐き捨てるようにそう言って睨みつけました。
1年経っても2年経っても同じ状態が続きました。
何故、私のせいなのでしょう。 あの子の罪は私の罪―――。
では、母が死んだのも私の罪なのでしょうか。
娘の回想
親に愛されない子どもが、他人から愛されることなどあり得るのだろうか。
中谷享と付き合い始めて数ヵ月後、観に行った映画館で思い切り寝てしまった。
そのとき享はわたしの髪に触れようとした。 横髪が顔を覆っていて息苦しそうに見えたらしい。
指先が頬に軽く触れた瞬間、力一杯、享の手をはじき、その衝撃で目が覚めた。
ポカンとした享の顔があった。 どうして手をはじいてしまったんだろう。
思い返してみると、夢の家での生活が終わってから、母に触れられた記憶がほとんどない。
「触らないで。あんたの手はべたべたして気持ち悪いのよ」
胸を切り裂かれるような言葉を投げかけられてからは一度も触れたことがないはずだ。
今になって思うのは母は決してわたしを憎んでいたのではない。
心を煩わせることが多すぎて、余裕が持てなかった。
台風の夜に火事で家を失ったわたしたちは、父の実家で暮らすことになった。
共に暮らすにつれ不満が募った。 母を使用人のように扱い一日中働かせた。
何より不満だったのは父が何も言わなかったことだ。
元々口数の少ない父だったがここに来てからは貝のように口を閉ざした。
母の味方は誰もいない。 おばあちゃんも、もういない。
おばあちゃんの代わりにわたしが母の味方になろう。 母を守ってあげよう。
小学4年の頃、屋敷に離れが建てられた。
律子おばさんが帰ってくるからだ。 「りっちゃんって呼んでね」 と言ったためそう呼んでいた。
夕食後離れに戻ると父とまったく会話をせずにテレビを見て過ごす。
母の風呂は短い。 なのに肌のお手入れはその3倍ほど時間をかけていた。
夢の家にいた頃は、ハンドクリーム塗ってあげようか、と言いピンク色の桃の香りのクリームをわたしの手に塗りこみながら話を聞いてくれた。
今でも桃の香りのハンドクリームは取り出すけど、塗ってあげようか、と言うことはなかった。
ある日、家族会議が開かれた。 りっちゃんと、付き合っている男の人とだ。
父は怒っていたけど、わたしはりっちゃんはかわいそうだと思った。
だからりっちゃんに協力してあげたのだ。
3日くらいで帰ってくるって言ったりっちゃん。 わたしは手芸屋へ買い物へ行った。
なのに、りっちゃんは3日経っても一週間経っても帰ってくることはなかった。
誕生日会は中止になったけれど、最初からその覚悟だったから落胆はしなかった。
わたしのたった一つの望みは母に優しく触れてもらうことだった。 そういう愛が欲しかった。
だから、ママ、この手を離さないで―――。
■第四章 ああ 涙でいっぱいのひとよ
母性について
「はい、お待たせ」 りっちゃんが豚バラのもやし炒めを出してくれる。
国語教師は嬉しそうに言った。「うちの定番メニューじゃないか」 「こんなのが定番だったんですか?」
「失礼だぞ。 子供の頃の話だよ。 よくお母ちゃんが肉食えって更に乗っけてくらたなあ」
「先生は一人っ子ですか?」「いや、姉ちゃんと妹が一人ずついるが」
「飛び降りた子に兄弟はいるんでしょうか」
「どうしてあの事件に興味を持つんだ」 「ああ、それは・・・・・」
「母親の証言に、ひっかかるところがあったからです」 正確には、たった一言が―――。
母の手記
眠る娘に手を払われ、私は他にこどもがいたらどうだっただろうと考えました。
高台にいる頃から、田所は男の子をほしがっていたようでした。
でも家事に農作業に朝から晩まで休みなく働く私に、子どもを一人生み育てる余裕などどこにあるのか。
義母は田んぼに出ずに寝室に籠るようになっていました。
翌年、義父も肝臓癌であっけなく亡くなりました。
避妊していたわけではありません。
二人目がなかなかできない人が多いとテレビで見たことがあったので、その体質なのだろうと
自分なりに解釈し、神様は望んでいないものに授けたりするものか、とも思っていました。
しかし、そうやって「ない」と決めつけると、起きてしまうものなのです。
早朝、炊飯器の湯気の匂いで吐き気を催し、もしやと思ったのは母の命日と同じ日でした。
夕飯の席で皆に報告すると、義母はあからさまに顔をしかめて言いました。
「いい歳してまだそんなことをしていたのかい。子どもが欲しいなら山の上にいる時に産んどきゃいいものを」
「そうよ、母さんにこれ以上苦労させないでちょうだい」
助太刀したのは憲子です。
憲子は7年前に結婚して田所の家を出ました。 嫁ぎ先は隣町の森崎という名士の家です。
結婚3年後に男の子を授かり楽しく暮らしていたようなのに、この半年ほど前から
毎日のように田所の家を訪れるようになっていたのです。
朝早くから息子の英紀を連れてやってきて、だらだらとテレビを見て昼食と夕食をとって帰っていく。
理由は、英紀にありました。
成長するにつれ、行動が乱暴になり発達の遅い言葉が気持ちに追いつかず、
キーキーと甲高い奇声をあげる英紀に、森崎家の人たちは奇異なものを見るようになったという。
そして憲子は私に英紀の世話を頼むようになってきました。
両手を合わせて頭を下げられると、断るわけにはいきません。
そうして英紀を預かると、思っていたほど乱暴な行動や奇声を発することはなかったのです。
「すごいわお義姉さん。英紀がこんなに落ち着いてるとこ久しぶりに見た。やっぱり子供にはわかるのよ。お義姉さんが天使のように優しい人だってことが」
「あんたは気の利いた言葉がすぐ出てくるからねぇ。英くんもわかってもらえて嬉しいんだろうよ」
田所家の人からこんな褒め言葉が出るとは思ってもいませんでした。
私の本質に気付いてくれたのだ。 もしかして、今まで伝わらなかったのは娘のせいではないだろうか。
「私でよければ、いつでも頼ってね」 そう言ったことをとても後悔しています。
遠慮をしらない憲子は毎日英紀を私のところに連れてきました。
私は少しの休息もなくなり、でも憲子が家事を手伝ってくれることはありません。
娘以上に英紀の世話をしました。 それなのに憲子は私の妊娠を歓迎してくなかったのです。
「そういう言い方はないだろう。うちに跡取りができるんだから。それとも英紀を跡取りにでもしようと思ってたのか? まあ次の代で田所家が終わってもいいなら、それもありだろうけどな」
田所が私のために親や妹に反論してくれたのは後にも先にもこれだけです。
「英紀は森崎家の子だ。跡取りどころか田所家の子でもない。大事な時期だ。私も田んぼにでなきゃね。 ああ、苦労なことだ」
厳しい口調でしたが、私は嬉しくて胸がいっぱいでした。
お腹の子はきっと女の子だろうと確信しました。名前も「桜」に決めていたのです。
義母が田んぼに出ていた間は憲子は田所の家から遠ざかってたものの、
田んぼが落ち着き、家にいるようになると再び英紀を連れてやってくるようになりました。
英紀が癇癪をおこすと私は英紀と手をつないで散歩にでます。
「おばちゃん、ぼくのことすき?」 散歩の途中、いつもこう訊いてきました。
「好きよ」 「なんばんめに?」 息を止めて私の目を見て返事を待っていました。
「もちろん一番目よ」 そう言うと嬉しそうに笑うのです。
あと1週間で安定期に入るという頃、軽い出血があり病院に行くと絶対安静と言い渡されました。
離れで寝ていることを許してもらえました。
田所の家にきて初めて、一日中体を横たえました。
昼食は離れに田所が持ってきてくれました。 チャーハンともやし炒めでした。
「あの子、こんな料理どこで覚えてきたのかしら」
「これは、俺が作ったんだ」 田所は少し照れたようにそう言いました。
「田所食堂、復活ね」
しばらくして娘が温かい牛乳を持って離れに戻ってきました。
「しっかり栄養とってね」 そんな心遣いできるようになったとは。
「ありがとう。ママ、嬉しいわ。こんなにしっかりしたお姉ちゃんがいてくれて赤ちゃんも幸せね」
そう褒めてやったのに娘は厳しい顔をしたまま黙っていたのです。 何が不満なんだろう。
ふと見ると娘の手は荒れており、鏡台からピンク色のハンドクリームを持ってこさせると
娘の手に丁寧に塗りこんでやりました。
桃の香りが広がりました。 母が愛用していたものです。私も大好きな香りです。
「今まで気づかなくてごめんね。お小遣いあげるから、自分用のを買ってらっしゃい。」
そう言うと、娘は黙ったまま頷き、俯いていました。
私だったら大喜びで お母さんありがとう! と母に言ったはずです。
いつの間にこんな陰気な子になってしまったのだろう。 娘は私の気持ちを汲み取ろうとしないのだろう。
桜が生まれれば、あの子もきっと変わるに違いない。
しかし、桜の命はこの数時間後にはかなく散ってしまうのです。
憲子が泣き叫ぶ英紀を連れてきたのは離れで一人夕食をとっているときでした。
「お義姉さんお願い。家の周りを一周してくるだけでいいから、この子を散歩に連れてってくれないかしら」
その後ろから娘が飛び込んできました。
「やめて。ママは寝てなきゃいけないんだから。どうしてそれがわかんないの?」
「何よえらそうに。元はといえば昼に英紀があんたと出かけてからぐずりだしたんじゃない」
憲子と娘が口論している隙に英紀が靴を脱いで上がってこようとした時です。
「やめな、この、バカ!」 娘は英紀の頭をぶったのです。 我が目を疑いました。
「ちょっと、何するのよ!」
「黙れバカ親。大体こんなときにまでうちに来るなんて、頭おかしいんじゃないの?ガツガツ食べて、昼寝して、また食べて。 豚と同じ。 今日の餌はもうやったんだからこのバカ連れてとっとと帰れ!」
娘の口から出た言葉は心を真っ黒に塗りつぶしてしまう汚いものでした。
どうして、いつの間に、こんな子になってしまったんだろう。
「いいわ。出血も治まったようだから、少し気分転換をしたいと思っていたところなの。英くん、おばちゃんと一緒にお散歩しましょう」
英紀も少し歩くと泣き止みました。
「おばちゃん、ぼくのこと好き?」 いつもの質問でした。
「好きよ」 「なんばんめに?」 「もちろん一番目よ」 そう答えると満足するはずが・・・
「うそだ。 ほんとうはあかちゃんがいちばんなんでしょ。 おねえちゃんがいってたもん」
「そうよ、おばちゃんのお腹の中には赤ちゃんがいて一生懸命頑張ってるの。だから今おばちゃんには赤ちゃんが一番大切。 でも、英君も大切。 赤ちゃんが生まれたら優しくしてあげてね」
「いやだ!」
英紀はそう叫ぶと力一杯、私を突き飛ばし暗い夜道を駆けていきました。
尻もちをついた瞬間、下腹に激痛が走り、股のあいだから生温かいどろりとした液体が流れ出ました。
目が覚めると病院のベッドで私のお腹にはもう桜はいなかった。
田所と娘はただ涙を流しているだけでした。 憲子と英紀は一度病院に来ただけでした。
退院後、この親子が田所家を訪れることはありませんでした。 このことが原因ではなく、
英紀が火傷をしてしまったからです。
ボロボロの身体で帰った私に義母は心配するどころか怒りながら詰め寄ってきました。
娘が天ぷら油で火傷を負わせたというのです。
それからふた月後、憲子の夫が大阪へ出ることになり憲子と英紀もついて行きました。
私の大切な桜。
娘が英紀に赤ちゃんのことをあの時言わなければ・・・・でも私は娘を恨んだりはしていません。
娘の回想
享の妹の春奈ちゃんの手は甘いにおいがした。 毎日クッキーを焼いてるんだそうだ。
もらったクッキーは懐かしい味がした。
享の家に初めて訪れた。 享の家を眺め、ぐるりとあたりを見渡して思い出した。
おばあちゃんの家はこのあたりではなかったかと。
春奈ちゃんと享を見ていると、きょうだいっていいなと思った。
もし、あの子が無事に生まれていたら―――。
憲子おばさんが英紀を連れて毎日我が家に来るようになった。
幼稚園でも癇癪をおこして物を壊したり周りの子にケガを負わせて、ひと月でやめたのだ。
週末家族全員で田んぼに出ている頃はわたしが家に残り昼食の支度をしなければならなかった。
祖母も父もおいしいとは言わなくても、文句を言わずに食べていた。
けれど、憲子おばさんが来るようになってからは、祖母が食事に注文をつけるようになった。
憲子おばさんが好きな揚げ物を必ず作るように言われた。
母の妊娠を機に父は煙草を減らし、祖母は農作業に出始めた。少し見直した。
「お姉ちゃん、協力してね」
母が私を必要としたので、私は今まで以上に家の手伝いを頑張った。
母のために、赤ちゃんのために。
昼食の準備をしていると父がやってきた。 「一人じゃ大変だろ」
サッと作ったもやし炒めは美味しかった。 夢の家での田所食堂を思い出した。
祖母と憲子おばさんが食い散らかした食器を片付けた後は、母に温めた牛乳を持っていった。
「ありがとう。 ママ、本当に嬉しいわ。こんなにしっかりしたお姉ちゃんがいてくれて、赤ちゃんも幸せね」
母に優しい言葉をかけてくれたことが嬉しくて涙がこみあげてきた。
でもここで泣くと母屋で辛いことがあったんじゃないかと母を心配させてしまうので、
歯をくいしばって涙がこぼれるのをこらえた。
そうすると、母は桃の香りのハンドクリームを私の手に優しく塗りこんでくれた。
涙がこぼれないようにするので必死だった。 このまま時間が止まればいいのに。
そんな期待は半日ともたなかった。
母からもらった小遣いでハンドクリームを買いに行こうとすると、英紀がやってきて
自分も行きたいと言い出した。 仕方なく連れていくことにした。
「おばちゃんどこがいたいの?」
「おばちゃんは病気じゃなくておなかに赤ちゃんがいるの。だからゆっくり休んでるんだよ」
「あかちゃん・・・おばちゃんはあかちゃんが好き?」
「そりゃあ好きよ」 「何番目に?」 「一番に決まってるでしょう」
「だから、あんまりおばちゃんおばちゃんってまとわりついちゃダメだよ。わかった?」
英紀はおかしな顔のまま黙って頷いた。
この子はこちらがペースを合わせてあげれば理解することができるのかもしれない。
だが、まったく理解などできていなかったのだ。
しばらく昼寝をした後、英紀は火が付いたように大暴れしだしたのだ。
食器の片付けをしていたら、英紀が離れのほうへと向かった。
憲子おばさんは母に散歩を頼んだ。 母が断れないとわかって言ってるのが、許せなかった。
母が英紀を散歩に連れ出してからしばらくして英紀だけが大泣きしながら帰ってきた。
電話がなると近所の人からだった。母が転んで出血しているから救急車を呼んだと。
わたしは家を飛び出した。 思い切り走りながら自分を責めた。
どうして止めることができなかったのだろう。
どうして隠れながらでもいいからついていかなかったのだろう。
母と赤ちゃんをわたしが守る、と誓ったのに。
どうして、どうして、どうして、どうして―――。
憲子おばさんは翌日も英紀を連れてきた。
父は憲子おばさんに、どの面下げてきたんだ、と吐き捨てるように言っただけだ。
シュンとしているように見えたのに・・・・・昼食の支度で天ぷらを揚げていると、
「何よ、あのお兄ちゃんの態度。まるで英紀のせいでお義姉さんが流産したような言い方じゃない。最初に出血した時点でダメだったのよ」
からだじゅうの血が逆流するような感覚だった。
「あんたが死ねばよかったんだ!」
居間に飛び込み振り上げたのが菜箸ではなく包丁だったら、憲子おばさんを殺していたかもしれない。
だけど背後から叫び声が聞こえてきた。
勝手に台所に入ってきた英紀が天ぷら油に手を突っ込んだのだ。
イタイイタイとわめく英紀の手を氷水で浸してやりながら、耳元で言ってやった。
「死んだ赤ちゃんも、おばちゃんも、もっと痛かっただろうね」
母がわたしの手にハンドクリームを塗ってくれることは二度となかった。
―――>第五章へと続く
台風による土砂崩れで大切な母(おばあちゃん)を亡くしたところまでいきました。
では、続きです・・・・・
「母性」 湊かなえ
■第三章 嘆き
母性について
せっかくだから晩飯でも食いながら話そう。
隣の席の国語教師に言われ、<りっちゃん>という店に案内した。
「おいおい、たこ焼き屋か?ケチりすぎだろ。」
「見た目で判断しちゃいけませんよ。夜は名の知れた飲み屋になるんです。」
店はりっちゃん一人できりもりしている。
「あの新聞記事のこと、考えてみたんだが・・・あの子が自殺するとは考えれん。俺が知ってるのはおととしまでだが俺にはわからん。それよりどうしてお前はあの事件に興味をしめすんだ?」
と言ったところで焼きたてのたこ焼きがカウンターに置かれた。
「まずは食べましょう」 この人に身の上話をするかどうかは食べながら考えるとしよう。
母の手記
神父様・・・・・母を亡くした日から私の人生は一変しました。
私の家族はこの世に誰もいなくなってしまったのです。 広い世界に一人ぼっち。
田所や娘、田所家の人はこちらがどんなに喜びを与えても、その百分の一も返してはくれませんでした。
娘の心には温かい光を跳ね返す、暗い大きな壁があったのです。
娘の10歳の誕生日の夜でした。
眠る娘の頭を撫でてやろうと手を伸ばし、髪に手が触れた瞬間、あのこは私の手を強くはじきました。
忌まわしいものでも振り払うかのように。
この絶望感をわかっていただけますか。 母は私の頭をいつも撫でてくれました。
でも自業自得かもしれません。 あの日以来、娘に触れようとしたことはなかったのですから。
私には母親がいないのに、この子にはいる。 どうしてこの子にはいるのに私にはいないのだろう。
娘は悪くないとわかっていながらも、握った手を振り払ってしまうこともありました。
罪滅しであの子の頭を撫でてやろうと思ったのに、それなのにあの子は私を拒否した。
高台の家は全焼し、必然的に田所の実家に住むことになりました。
義母は転がり込んできた私たち3人を迷惑そうな顔で迎えました。
わたしたちには2階のひと部屋があてがわれ、息をひそめるように生活しました。
風呂に入るのは私が最後なのに、風呂からあがると脱衣所に義母がいて、
お湯の使いすぎだと裸のまま怒られ、冷め切った浴槽のお湯で音を立てないように体を洗い流しました。
そのせいか風邪をひいてしまい横になっていると、
「何様のつもりなんだい」と優しい言葉など何一つかけてはくれません。
田所と娘には新品の服が買い与えられましたが、私には田所の妹のお古があてがわれました。
手をかけて作った食事は、口に合わないとごみ箱に皿ごと捨てられました。
こんな日々が続くのならいっそ母のところにいってしまいたい。
庭の木を見ながらあの木で首をくくろうか・・・などと考えていると、母の四十九日の朝、
しだれ桜の木に八重桜が一輪だけ咲いていたのです。
母ががんばりなさい、と言っているようでした。
誠心誠意尽くせば、義母も受け入れてくれるに違いない、そう思ったのです。
良いこともありました。 私たち用の母屋が建てられたのです。
女子大に行っていた次女の律子が帰ってくるためでした。
食事は母屋でみな揃ってとることになっていました。
毎日のように義父と義母は寺への寄付金や減反政策をめぐって口論をしていました。
ふいに意見を求められることもありました。 うまく答えられないと
「これだから四年制大学を出ていない嫁は、頭が悪くて困るんだ」
まさか学歴を否定されるなんて。 義母にとっては見下すところだったんです。
義父母が口論になると娘はまだ小学生なのに会話によく口をはさんできました。
「お寺の寄付金なんて本堂の入口のところにある石に一番目に名前を彫って欲しいからいくらにしようか考えてるんでしょ。 バカバカしい。 パパの会社だって仕事減ってきてるのに、そんなところにお金かけてる場合じゃないじゃん」
娘の意見は正論でした。 田所の会社は受注が減ってきて収入も減っていたのです。
一喝する義母に娘も負けていません。
「じゃあママにちゃんとお給料を払ってよ。朝から晩まで働いて家事もしてるんだから。」
この頃になると私は家事だけでなく、農作業も手伝うようになりました。
でも義母もいつか私が義妹よりも何倍も尽くしていることに気付き、
愛情を注いでくれるのではないかと信じていたのです。
この頃、一日中部屋にこもって人形作りなどをしていて律子が、ちょくちょく外出するようになりました。
ある日律子が男の人といるのを見かけたのです。
律子は垢抜けない女で、ぽっちゃりとした体におたふくのような顔、ただ品の良さはありました。
一緒にいた男は正反対の派手なシャツに軽薄そうな表情、律子とは釣り合っていませんでした。
おまけに律子は男に高そうな腕時計を買ってあげていたのです。
その後も夜田んぼのあぜ道に車を止めて二人が会っているのを度々見かけました。
その3ヶ月後・・・・・
「お義姉さん、お金を貸してもらえないかしら。 百万円、どうにかならない?」
こんなことを言ったのです。 我が家にお金などあるはずがありません。
亡くなった母の家を、絵画教室で一緒だった仁美さんが借りたいというので、
家賃として月々2万円は受け取っていますが、ほとんど手元に残っていません。
律子は、今恋人がいて結婚を考えているんだけど父親に借金があり、
それを返済するまでは結婚できないのだという。
私は「金額が大きすぎるから、哲史さんに相談してみるわ」と言うと、
兄には言わないで、と機嫌を損ねたように出て行きました。
その夜、律子が家を抜け出すのを確認すると義母に全て打ち明けました。
口をあんぐりとあけた義母。 例の田んぼのあぜ道まで行きました。
家で話をすることになりました。 私は席をはずされました。
娘とひと月後の誕生日会の話をしました。
前年、3人お友達を呼んだのですが、そのうちの一人がよくない噂のある家の子で
義母からあの子とはつきあうなと厳しく言われたのです。
「映画のチケットを2枚買って誕生日会の日に律子さんにおばあさんを誘ってもらうのはどうかしら」
「それいい。 ママ、グッドアイデアだよ!」
しかしひと月後律子はこの家にはもういませんでした。
お誕生日会も中止になりましたが、娘の自業自得です。
母屋での話し合いは、男に金目当てのペテン師だ!と言って、もう二度と会うなと追い返したそうです。
家を出ないように律子のことを誰かが四六時中見張ることになりました。
律子は食事もとらずに泣いていましたが、半月もすれば元に戻り手芸も再開しました。
が・・・・・、それは律子の作戦だったのです。
稲刈りで忙しい時期だったため、娘に律子のことを見張っててもらうことにしました。
それなのに、夕方皆で家に帰ると、律子の姿はなかったのです。
「りっちゃんに商店街の手芸屋で綿買ってきてって。絶対に出て行かないって約束したのに・・・」
娘は泣きながらそう言いました。
「いつもえらそうな口を利いているのに、この役立たずが」
義母は娘を怒鳴りつけると腰が抜けて泣き出しました。
律子が出て行ったことよりも、私は娘に失望しました。
2週間後・・・・田所と義母は律子を探しに大阪へ行くことになりました。
学生時代に住んでいたアパート周辺を探してみるとのことでしたが、9割がた無理だろうと思っていたら
律子さんは見つかりました。
観光名所として有名な公園の入口で彼と一緒にたこ焼きを売っていました。
義母はワッと顔を覆って泣き出しました。
娘の誕生日会などできたものではありません。 何もせず、眠る娘を撫でてやろうとしたら―――
冬がやってきて律子は寒い思いをしていないだろうか、ちゃんと食べてるだろうか、と義母が涙ぐむと
「大丈夫ですよ」 精一杯慈愛を込めて声をかけたのに・・・・・
「はっ、誰のせいでこうなったと思ってるんだ」 吐き捨てるようにそう言って睨みつけました。
1年経っても2年経っても同じ状態が続きました。
何故、私のせいなのでしょう。 あの子の罪は私の罪―――。
では、母が死んだのも私の罪なのでしょうか。
娘の回想
親に愛されない子どもが、他人から愛されることなどあり得るのだろうか。
中谷享と付き合い始めて数ヵ月後、観に行った映画館で思い切り寝てしまった。
そのとき享はわたしの髪に触れようとした。 横髪が顔を覆っていて息苦しそうに見えたらしい。
指先が頬に軽く触れた瞬間、力一杯、享の手をはじき、その衝撃で目が覚めた。
ポカンとした享の顔があった。 どうして手をはじいてしまったんだろう。
思い返してみると、夢の家での生活が終わってから、母に触れられた記憶がほとんどない。
「触らないで。あんたの手はべたべたして気持ち悪いのよ」
胸を切り裂かれるような言葉を投げかけられてからは一度も触れたことがないはずだ。
今になって思うのは母は決してわたしを憎んでいたのではない。
心を煩わせることが多すぎて、余裕が持てなかった。
台風の夜に火事で家を失ったわたしたちは、父の実家で暮らすことになった。
共に暮らすにつれ不満が募った。 母を使用人のように扱い一日中働かせた。
何より不満だったのは父が何も言わなかったことだ。
元々口数の少ない父だったがここに来てからは貝のように口を閉ざした。
母の味方は誰もいない。 おばあちゃんも、もういない。
おばあちゃんの代わりにわたしが母の味方になろう。 母を守ってあげよう。
小学4年の頃、屋敷に離れが建てられた。
律子おばさんが帰ってくるからだ。 「りっちゃんって呼んでね」 と言ったためそう呼んでいた。
夕食後離れに戻ると父とまったく会話をせずにテレビを見て過ごす。
母の風呂は短い。 なのに肌のお手入れはその3倍ほど時間をかけていた。
夢の家にいた頃は、ハンドクリーム塗ってあげようか、と言いピンク色の桃の香りのクリームをわたしの手に塗りこみながら話を聞いてくれた。
今でも桃の香りのハンドクリームは取り出すけど、塗ってあげようか、と言うことはなかった。
ある日、家族会議が開かれた。 りっちゃんと、付き合っている男の人とだ。
父は怒っていたけど、わたしはりっちゃんはかわいそうだと思った。
だからりっちゃんに協力してあげたのだ。
3日くらいで帰ってくるって言ったりっちゃん。 わたしは手芸屋へ買い物へ行った。
なのに、りっちゃんは3日経っても一週間経っても帰ってくることはなかった。
誕生日会は中止になったけれど、最初からその覚悟だったから落胆はしなかった。
わたしのたった一つの望みは母に優しく触れてもらうことだった。 そういう愛が欲しかった。
だから、ママ、この手を離さないで―――。
■第四章 ああ 涙でいっぱいのひとよ
母性について
「はい、お待たせ」 りっちゃんが豚バラのもやし炒めを出してくれる。
国語教師は嬉しそうに言った。「うちの定番メニューじゃないか」 「こんなのが定番だったんですか?」
「失礼だぞ。 子供の頃の話だよ。 よくお母ちゃんが肉食えって更に乗っけてくらたなあ」
「先生は一人っ子ですか?」「いや、姉ちゃんと妹が一人ずついるが」
「飛び降りた子に兄弟はいるんでしょうか」
「どうしてあの事件に興味を持つんだ」 「ああ、それは・・・・・」
「母親の証言に、ひっかかるところがあったからです」 正確には、たった一言が―――。
母の手記
眠る娘に手を払われ、私は他にこどもがいたらどうだっただろうと考えました。
高台にいる頃から、田所は男の子をほしがっていたようでした。
でも家事に農作業に朝から晩まで休みなく働く私に、子どもを一人生み育てる余裕などどこにあるのか。
義母は田んぼに出ずに寝室に籠るようになっていました。
翌年、義父も肝臓癌であっけなく亡くなりました。
避妊していたわけではありません。
二人目がなかなかできない人が多いとテレビで見たことがあったので、その体質なのだろうと
自分なりに解釈し、神様は望んでいないものに授けたりするものか、とも思っていました。
しかし、そうやって「ない」と決めつけると、起きてしまうものなのです。
早朝、炊飯器の湯気の匂いで吐き気を催し、もしやと思ったのは母の命日と同じ日でした。
夕飯の席で皆に報告すると、義母はあからさまに顔をしかめて言いました。
「いい歳してまだそんなことをしていたのかい。子どもが欲しいなら山の上にいる時に産んどきゃいいものを」
「そうよ、母さんにこれ以上苦労させないでちょうだい」
助太刀したのは憲子です。
憲子は7年前に結婚して田所の家を出ました。 嫁ぎ先は隣町の森崎という名士の家です。
結婚3年後に男の子を授かり楽しく暮らしていたようなのに、この半年ほど前から
毎日のように田所の家を訪れるようになっていたのです。
朝早くから息子の英紀を連れてやってきて、だらだらとテレビを見て昼食と夕食をとって帰っていく。
理由は、英紀にありました。
成長するにつれ、行動が乱暴になり発達の遅い言葉が気持ちに追いつかず、
キーキーと甲高い奇声をあげる英紀に、森崎家の人たちは奇異なものを見るようになったという。
そして憲子は私に英紀の世話を頼むようになってきました。
両手を合わせて頭を下げられると、断るわけにはいきません。
そうして英紀を預かると、思っていたほど乱暴な行動や奇声を発することはなかったのです。
「すごいわお義姉さん。英紀がこんなに落ち着いてるとこ久しぶりに見た。やっぱり子供にはわかるのよ。お義姉さんが天使のように優しい人だってことが」
「あんたは気の利いた言葉がすぐ出てくるからねぇ。英くんもわかってもらえて嬉しいんだろうよ」
田所家の人からこんな褒め言葉が出るとは思ってもいませんでした。
私の本質に気付いてくれたのだ。 もしかして、今まで伝わらなかったのは娘のせいではないだろうか。
「私でよければ、いつでも頼ってね」 そう言ったことをとても後悔しています。
遠慮をしらない憲子は毎日英紀を私のところに連れてきました。
私は少しの休息もなくなり、でも憲子が家事を手伝ってくれることはありません。
娘以上に英紀の世話をしました。 それなのに憲子は私の妊娠を歓迎してくなかったのです。
「そういう言い方はないだろう。うちに跡取りができるんだから。それとも英紀を跡取りにでもしようと思ってたのか? まあ次の代で田所家が終わってもいいなら、それもありだろうけどな」
田所が私のために親や妹に反論してくれたのは後にも先にもこれだけです。
「英紀は森崎家の子だ。跡取りどころか田所家の子でもない。大事な時期だ。私も田んぼにでなきゃね。 ああ、苦労なことだ」
厳しい口調でしたが、私は嬉しくて胸がいっぱいでした。
お腹の子はきっと女の子だろうと確信しました。名前も「桜」に決めていたのです。
義母が田んぼに出ていた間は憲子は田所の家から遠ざかってたものの、
田んぼが落ち着き、家にいるようになると再び英紀を連れてやってくるようになりました。
英紀が癇癪をおこすと私は英紀と手をつないで散歩にでます。
「おばちゃん、ぼくのことすき?」 散歩の途中、いつもこう訊いてきました。
「好きよ」 「なんばんめに?」 息を止めて私の目を見て返事を待っていました。
「もちろん一番目よ」 そう言うと嬉しそうに笑うのです。
あと1週間で安定期に入るという頃、軽い出血があり病院に行くと絶対安静と言い渡されました。
離れで寝ていることを許してもらえました。
田所の家にきて初めて、一日中体を横たえました。
昼食は離れに田所が持ってきてくれました。 チャーハンともやし炒めでした。
「あの子、こんな料理どこで覚えてきたのかしら」
「これは、俺が作ったんだ」 田所は少し照れたようにそう言いました。
「田所食堂、復活ね」
しばらくして娘が温かい牛乳を持って離れに戻ってきました。
「しっかり栄養とってね」 そんな心遣いできるようになったとは。
「ありがとう。ママ、嬉しいわ。こんなにしっかりしたお姉ちゃんがいてくれて赤ちゃんも幸せね」
そう褒めてやったのに娘は厳しい顔をしたまま黙っていたのです。 何が不満なんだろう。
ふと見ると娘の手は荒れており、鏡台からピンク色のハンドクリームを持ってこさせると
娘の手に丁寧に塗りこんでやりました。
桃の香りが広がりました。 母が愛用していたものです。私も大好きな香りです。
「今まで気づかなくてごめんね。お小遣いあげるから、自分用のを買ってらっしゃい。」
そう言うと、娘は黙ったまま頷き、俯いていました。
私だったら大喜びで お母さんありがとう! と母に言ったはずです。
いつの間にこんな陰気な子になってしまったのだろう。 娘は私の気持ちを汲み取ろうとしないのだろう。
桜が生まれれば、あの子もきっと変わるに違いない。
しかし、桜の命はこの数時間後にはかなく散ってしまうのです。
憲子が泣き叫ぶ英紀を連れてきたのは離れで一人夕食をとっているときでした。
「お義姉さんお願い。家の周りを一周してくるだけでいいから、この子を散歩に連れてってくれないかしら」
その後ろから娘が飛び込んできました。
「やめて。ママは寝てなきゃいけないんだから。どうしてそれがわかんないの?」
「何よえらそうに。元はといえば昼に英紀があんたと出かけてからぐずりだしたんじゃない」
憲子と娘が口論している隙に英紀が靴を脱いで上がってこようとした時です。
「やめな、この、バカ!」 娘は英紀の頭をぶったのです。 我が目を疑いました。
「ちょっと、何するのよ!」
「黙れバカ親。大体こんなときにまでうちに来るなんて、頭おかしいんじゃないの?ガツガツ食べて、昼寝して、また食べて。 豚と同じ。 今日の餌はもうやったんだからこのバカ連れてとっとと帰れ!」
娘の口から出た言葉は心を真っ黒に塗りつぶしてしまう汚いものでした。
どうして、いつの間に、こんな子になってしまったんだろう。
「いいわ。出血も治まったようだから、少し気分転換をしたいと思っていたところなの。英くん、おばちゃんと一緒にお散歩しましょう」
英紀も少し歩くと泣き止みました。
「おばちゃん、ぼくのこと好き?」 いつもの質問でした。
「好きよ」 「なんばんめに?」 「もちろん一番目よ」 そう答えると満足するはずが・・・
「うそだ。 ほんとうはあかちゃんがいちばんなんでしょ。 おねえちゃんがいってたもん」
「そうよ、おばちゃんのお腹の中には赤ちゃんがいて一生懸命頑張ってるの。だから今おばちゃんには赤ちゃんが一番大切。 でも、英君も大切。 赤ちゃんが生まれたら優しくしてあげてね」
「いやだ!」
英紀はそう叫ぶと力一杯、私を突き飛ばし暗い夜道を駆けていきました。
尻もちをついた瞬間、下腹に激痛が走り、股のあいだから生温かいどろりとした液体が流れ出ました。
目が覚めると病院のベッドで私のお腹にはもう桜はいなかった。
田所と娘はただ涙を流しているだけでした。 憲子と英紀は一度病院に来ただけでした。
退院後、この親子が田所家を訪れることはありませんでした。 このことが原因ではなく、
英紀が火傷をしてしまったからです。
ボロボロの身体で帰った私に義母は心配するどころか怒りながら詰め寄ってきました。
娘が天ぷら油で火傷を負わせたというのです。
それからふた月後、憲子の夫が大阪へ出ることになり憲子と英紀もついて行きました。
私の大切な桜。
娘が英紀に赤ちゃんのことをあの時言わなければ・・・・でも私は娘を恨んだりはしていません。
娘の回想
享の妹の春奈ちゃんの手は甘いにおいがした。 毎日クッキーを焼いてるんだそうだ。
もらったクッキーは懐かしい味がした。
享の家に初めて訪れた。 享の家を眺め、ぐるりとあたりを見渡して思い出した。
おばあちゃんの家はこのあたりではなかったかと。
春奈ちゃんと享を見ていると、きょうだいっていいなと思った。
もし、あの子が無事に生まれていたら―――。
憲子おばさんが英紀を連れて毎日我が家に来るようになった。
幼稚園でも癇癪をおこして物を壊したり周りの子にケガを負わせて、ひと月でやめたのだ。
週末家族全員で田んぼに出ている頃はわたしが家に残り昼食の支度をしなければならなかった。
祖母も父もおいしいとは言わなくても、文句を言わずに食べていた。
けれど、憲子おばさんが来るようになってからは、祖母が食事に注文をつけるようになった。
憲子おばさんが好きな揚げ物を必ず作るように言われた。
母の妊娠を機に父は煙草を減らし、祖母は農作業に出始めた。少し見直した。
「お姉ちゃん、協力してね」
母が私を必要としたので、私は今まで以上に家の手伝いを頑張った。
母のために、赤ちゃんのために。
昼食の準備をしていると父がやってきた。 「一人じゃ大変だろ」
サッと作ったもやし炒めは美味しかった。 夢の家での田所食堂を思い出した。
祖母と憲子おばさんが食い散らかした食器を片付けた後は、母に温めた牛乳を持っていった。
「ありがとう。 ママ、本当に嬉しいわ。こんなにしっかりしたお姉ちゃんがいてくれて、赤ちゃんも幸せね」
母に優しい言葉をかけてくれたことが嬉しくて涙がこみあげてきた。
でもここで泣くと母屋で辛いことがあったんじゃないかと母を心配させてしまうので、
歯をくいしばって涙がこぼれるのをこらえた。
そうすると、母は桃の香りのハンドクリームを私の手に優しく塗りこんでくれた。
涙がこぼれないようにするので必死だった。 このまま時間が止まればいいのに。
そんな期待は半日ともたなかった。
母からもらった小遣いでハンドクリームを買いに行こうとすると、英紀がやってきて
自分も行きたいと言い出した。 仕方なく連れていくことにした。
「おばちゃんどこがいたいの?」
「おばちゃんは病気じゃなくておなかに赤ちゃんがいるの。だからゆっくり休んでるんだよ」
「あかちゃん・・・おばちゃんはあかちゃんが好き?」
「そりゃあ好きよ」 「何番目に?」 「一番に決まってるでしょう」
「だから、あんまりおばちゃんおばちゃんってまとわりついちゃダメだよ。わかった?」
英紀はおかしな顔のまま黙って頷いた。
この子はこちらがペースを合わせてあげれば理解することができるのかもしれない。
だが、まったく理解などできていなかったのだ。
しばらく昼寝をした後、英紀は火が付いたように大暴れしだしたのだ。
食器の片付けをしていたら、英紀が離れのほうへと向かった。
憲子おばさんは母に散歩を頼んだ。 母が断れないとわかって言ってるのが、許せなかった。
母が英紀を散歩に連れ出してからしばらくして英紀だけが大泣きしながら帰ってきた。
電話がなると近所の人からだった。母が転んで出血しているから救急車を呼んだと。
わたしは家を飛び出した。 思い切り走りながら自分を責めた。
どうして止めることができなかったのだろう。
どうして隠れながらでもいいからついていかなかったのだろう。
母と赤ちゃんをわたしが守る、と誓ったのに。
どうして、どうして、どうして、どうして―――。
憲子おばさんは翌日も英紀を連れてきた。
父は憲子おばさんに、どの面下げてきたんだ、と吐き捨てるように言っただけだ。
シュンとしているように見えたのに・・・・・昼食の支度で天ぷらを揚げていると、
「何よ、あのお兄ちゃんの態度。まるで英紀のせいでお義姉さんが流産したような言い方じゃない。最初に出血した時点でダメだったのよ」
からだじゅうの血が逆流するような感覚だった。
「あんたが死ねばよかったんだ!」
居間に飛び込み振り上げたのが菜箸ではなく包丁だったら、憲子おばさんを殺していたかもしれない。
だけど背後から叫び声が聞こえてきた。
勝手に台所に入ってきた英紀が天ぷら油に手を突っ込んだのだ。
イタイイタイとわめく英紀の手を氷水で浸してやりながら、耳元で言ってやった。
「死んだ赤ちゃんも、おばちゃんも、もっと痛かっただろうね」
母がわたしの手にハンドクリームを塗ってくれることは二度となかった。
―――>第五章へと続く