今日、新しい眼鏡を買いにいきました音譜
眼鏡っ子な私は洋服感覚ですねメガネ 最近は安くて買えるようになったのでありがたいですチョキ


今日の本は、私の好きな湊かなえさん本


「母性」 湊かなえ


■第一章 厳粛な時

10月20日午後6時ごろ、Y県Y市**町の県営住宅の中庭で、市内の県立高校に通う女子生徒(17)が倒れているのを、母親が見つけ、警察に通報した。
**署は女子生徒が4階にある自宅から転落したとして、
事故と自殺の両方で原因を詳しく調べている。
女子生徒の担任教師は「まじめでクラスメイトからの信頼も厚く、悩んでいる様子も特に見られなかった」と語り、母親は「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません」と言葉を詰まらせた。



母の手記

私は愛能う限り娘を大切に育ててきました。

迷いなくそう告げると、神父様は「なぜですか?」とお訊ねになりました。 簡単な質問です。
しかし、即答することが出来ませんでした。
神父様にいただいたこのノートに・・・あの日のことを思い出すのはつらいけれど、心を落ち着けて、
私と娘のことを、順を追って書いていかなければなりません。


結婚をしたのは24歳のときです。
会社の同僚に誘われて通いだした絵画教室で知り合ったのが、田所哲史です。
私は絵を描くのは昔から得意だったのですぐに夢中になりました。
その教室では、毎月先生が選んだ上位3作品が隣にある喫茶店「ルノアール」に展示されるのですが、
3作品目で早くも選ばれることができました。

白い花瓶に生けた赤いバラを描いたものでした。 
どれだけ嬉しかったことか。 同じく初めて展示される佐々木仁美さんと手を取って喜びました。

もう一人が田所でした。 田所はルノアール常連でした。

しかし、私は彼の絵が嫌いでした。  暗いのです。
私の絵からは温かさ、明るさが溢れ出ているのに彼の絵からはまったく感じられません。
それなのに教室の人たちは彼の絵を絶賛しました。 私には辛気臭い絵にしか見えない。
妬んでると思われても嫌なので彼に賞賛の言葉をかけました。

帰宅すると母に嬉しくて報告しました。
母は早速、翌日私の絵を一緒に見に行ってくれました。
「心を込めて描いたのね」 心を込めて。子供の頃から変わらない母の褒め言葉です。
「バラはお母さんの好きな花だから、お母さんのために描いたのよ」

しかし母の熱い視線が注がれている先には田所の絵がありました。
母は私の分身なのだから違う思いを抱くなど、あってはならないこと。
そんな私の胸の内などおかまいなしに絵を賞賛しました。

母はもしかしてこの絵に3年前に癌で亡くなった父の姿を重ねているのではないか。
そう思うと、私は田所に展示が終わったらあの絵を譲ってくれないかと申し出ました。

「意外だな。きみは僕の絵があまり好きじゃないと思っていたのに」
私が褒めたのはお世辞だと気付いていました。
「この絵は死を覚悟したものだけが表現できる美しさを備えている」
と母が言ったことを多少アレンジして伝えると、

「まさか、それに気付く人がいるとは。 きみという人をもっと知りたくなった」
驚いたことに彼は私に交際を申し込んできました。
1,2回デートして絵をもらったら交際はことわろうと決めていました。

初めてのデートでは田所は絵と一緒に『リルケ詩集』をプレゼントしてくれました。
帰宅後、母に話すと歓喜の声をあげました。
「やっぱりリルケが好きだったのね。私も結婚前、お父さんにこの詩集をプレゼントしたことがあるのよ」
といって、その中の「薔薇の内部」を暗唱しはじめました。
喜ぶ母の姿を見ていると、田所の次の誘いを断ることは出来ませんでした。
2度目のデートは映画でした。
この日こそもう二人で会うのは最後だと言おうと心に決めていたのに・・・・。
この時見た映画に深く感動し、喫茶店で田所と熱く感想を語り合ってしまったのです。

プロポーズされたのは三度目のデートの時です。
「結婚しないか」
まずはお互いの親と会うことにしました。

「哲史と結婚するのは絶対に苦労するから、やめておいたほうがいいわ」
仁美さんは田所と同級生で家も近く、家族のこともよく知っており、
あなたみたいなお嬢さんは苦労するわ、と忠告しました。

私は大丈夫。きっと気に入られるはずだ、と自信があった私は
田所の母親が私を一度も褒めなかったことに気付けなかった。
紫陽花の絵を持ってきた田所。母は喜びリルケの「薔薇色のあじさい」を暗唱し、盛り上がりました。
そして田所のことを母は結婚相手として認めてくれました。

あなたはどんな家庭を築きたいの? そう訊ねると、田所はこう答えました。
「美しい家を築きたい」  私は彼との結婚を決めました。


出会ってから一年後、小さな家で田所と私の新婚生活が始まりました。
家は田所の両親が用意してくれました。
庭には季節の花を植え、赤いバラの絵は玄関に飾りました。

田所は私が何を作っても何をしても褒めることはありませんでした。
田所家の人が「褒める」という言葉を知らないことに気づくのはずっと先のことになります。
でも私は頑張っている私を母が褒めてくれれば、それで充分でした。

妊娠に気づいたのは結婚して半年経った頃でした。
田所は彼なりに嬉しかったのか、家事を手伝ってくれました。
朝食はごはんと味噌汁でしたが、夕食にはナポリタンとミックスジュース。
つわりの身には苦しかったけどかなりの完成度でした。
聞けば、大学時代喫茶店でバイトをしていて厨房に立つこともあったのだと言う。

子供を産んだ時、誰よりも先に母に子供を見せたかった。
「元気な女の子ですよ」  田所が入ってきました。 
看護婦さんから手渡された赤ん坊を恐る恐るほんの数秒抱き慌てて返しました。
そして私に、ありがとう、と言って頭をゆっくりと撫でてくれたのです。

涙で滲む目に母の姿が映りました。
「今日ほど嬉しい日はないわ。愛する娘が、こんなにすばらしい宝物を授かった。
本当に、本当によくがんばったわね」
頭に載せられた母の手は田所の何倍も温かく、私は母の愛情で満たされた。
人生で一番幸せな日でした。


―――本当は、不幸の始まりであったのに。


娘は礼儀正しく、周りを思いやる良い子に育ってくれました。
「あなたは本当によく頑張ってるわね。お母さんはそれが一番嬉しい」
娘を愛し、親に愛され、何と私は幸せなのだろう。 幸福を噛みしめていました。
思い描いたままの「美しい家」がそこにあったのです。

しかし、その幸福は長くは続きませんでした。



娘の回想

愛されていないこどもには、あそびがない。

中学時代、バス通学していた私はよく友人とバスの待合室で他愛もない話をし、盛り上がった。
2年生の後半、バス停前に内科の個人病院が出来てからは、
待合室は高齢者や子供連れの母親が多くなった。
いつものようにおしゃべりしている友人たちに 「もうちょっと声落とさなきゃ迷惑だよ」 
そう声をかけた。 みんなはつまらなさそうな顔をして、待合室に静けさが広がった。

わたしは間違ったことはしていない、だけど無駄なことだったのだ。
許される=愛される  そう思っていた。
わたしが暗闇の中で求めていたものの正体がようやくわかった。
無償の愛、だ。


一番古い記憶は3歳頃だろうか。

白い壁と緑の屋根の小さな家。私が木製の白い椅子に座り、カンバスに向かう父。
私に向かってカメラを構える母。
白い椅子に座って父がギターを弾き、隣で母が「小さな木の実」を歌う。

母とおそろいの服を着て、おばあちゃんの家に行く。
おばあちゃんと過ごした幸せな記憶はたくさん残っている。

おばあちゃんから注がれていたのは 「無償の愛」 だった。


でも母から注がれていたのは・・・・・
この頃においても 「無償の愛」 だったのだろうか。



■第二章 立像の歌

母性について

職場の始業15分前に到着。 今朝見た三面記事がひっかかっている。
喉の奥に刺さった小骨のようだ。 自分が高校教師で被害者が高校生だからだろうか。
いや、そうではない。  小骨の正体は母親のコメントだ。

母性とは何なのだろう。 辞書を借りてひいてみる。
―――女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的気質。

喉の奥に刺さった小骨は、できるだけ早いうちに取り除いておいたほうがいい。
化膿して、取り返しがつかなくなる前に。


母の手記

この手記を書く目的は、
私がどれだけ娘に愛情を注いでいたかということを知ってもらうためだ、と認識しています。
まずは神父様に。 そして私に非情の目を向ける世の人たちに。


結婚してから7年、私が31歳になったばかりの秋のことです。

田所は鉄工所の仕事で月の3分の1、夜勤に出なければいけませんでした。 夜勤の日は不安で、
それを母に相談すると、田所が夜勤の日は母が泊まりにきてくれることになりました。
憂鬱だった夜勤の日がワクワクさせてくれる日へと変わったのです。
このまま母と一緒に住めたらいいのに・・・・・
最後の、本当に最後の、幸せな時間だったのです。


10月24日。
午前中からポツポツ雨が降り、テレビをつけると台風情報が流れていました。
夜から明け方にかけて激しい雨が降るでしょう、と伝えていました。
この日も田所は夜勤で母と私と娘の三人で過ごすことになりました。

夕食をとり風呂に入ったところで停電になったのはその直後、8時過ぎでした。
台所と居間のテーブル、2箇所に小皿を置き、ろうそくを立てて、灯りをともしました。

母の布団は居間の奥にある、私の嫁入り道具の箪笥を並べた四畳半の部屋に敷いていました。
娘は寝しなは自分の布団に入るものの、気が付けば母の布団にもぐりこんでいました。

そういったいきさつで、私だけ別の部屋で寝ていたのです。
あのときも・・・・

雨音が尋常ではないことに気付きました。 外から、ビーンという高い音が聞こえてきました。
自動車のクラクションだと気付きました。
鳴ってるのは一台ではありません。ずっと押しっぱなしの音でした。
あとからわかったことですが、川が氾濫し、街中の車が浸水したためでした。

突然、今度はゴーッという音がすぐ近くから地面を突き上げ、覆いかぶさるように降ってきました。
体を起こすと同時に、メリッと家が軋む音がしました。
裏山が崩れ、土砂が押し寄せてきたのです。
ドカン、と大きく重いものが倒れる音が響き、 「ママ!」 娘のくぐもった声が聞こえました。

家が押しつぶされている。 襖に手をかけましたが開けることができませんでした。
「お母さん、大丈夫?」 襖ごしに呼びかけましたが返事がありません。
体当たりし、襖を破ると山側の壁が崩れ、箪笥が並んで倒れていたのです。

「お母さん!」

母の体の上には箪笥がのし掛かり、箪笥の下の方は壊れた壁と土砂で埋まっていました。
震えとともに、声にならない悲鳴がからだの奥から突き上げました。

「わたしはいいから、この子を・・・・・」 布団をかぶった娘がいました。 「ママ、助けて」
一人ずつ助け出すと残ったほうがさらに加重されてしまいます。

すると居間からは炎が上がっていました。 ろうそくの火が燃え移ったのです。
「間に合わない、早く」 母は精一杯の声を張り上げました。
私は箪笥の下に手を伸ばし、母の両腕を掴みました。
「わたしじゃない」 母はさらに声を張り上げました。
「何で? 何でよ」
「あなたが助けなきゃならないのは、わたしじゃないでしょ」
「お母さんは私の一番大切な人なのよ。 私を産んで育ててくれた人なのよ」
「バカなことを言わないで。あなたはもう子どもじゃない。母親なの」
「イヤよ、私はお母さんの娘よ」

母を失いたくない。それだけでした。母の腕を力一杯引っ張りました。
「やめなさい。どうしてお母さんの言うことがわからないの。 親なら子どもを助けなさい」
改めて我にかえり、娘の存在を思い出しました。 でも母から手を離せませんでした。

「イヤよ、イヤ。 私はお母さんを助けたいの。 子どもなんてまた産めるじゃない」

私は何か間違ったことを書いてるでしょうか。
二人助けられるならもちろんそうしてます。

「あなたを産んで、お母さんは本当に幸せだった。 ありがとう、ね。 あなたの愛を今度はあの子に、
愛能う限り、大切に育ててあげて」


母の最期の言葉でした。

無我夢中だったためその後の記憶は曖昧なのですが、娘を助け出したんではないかと思います。

愛能う・・・・、答えがわかりました。
私が娘を大切に育てたのは、それが母の最期の願いだったからです。



娘の回想

夢の家の消失は、おばあちゃんとの永遠の別れでもあった。
たった一人、わたしに 「無償の愛」 を注いでくれた人。

おばあちゃんはどんな時でも優しくわたしを迎えてくれた。
冬場キンキンに冷えた足で布団に潜り込んでも、わたしの足を挟み込み、温めてくれた。

だから、中谷享を好きになったのだ。


高校一年の時、野外合宿でバンガローに男女入り乱れて寝ることになった。
わたしは男女の境界になり、隣で寝たのは享だった。
そして寝返りを打つと私の冷たい足が享の足にぶつかってしまった。
「ごめん」
その瞬間、骨ばった足が私の足を強く挟み込んだ。  おばあちゃん・・・・
享と付き合うようになったのはそれから2週間後だ。


大好きなおばあちゃんとの別れはある日、突然訪れた。 わたしが5歳のときだ。

あの日、おばあちゃんがやってくると玄関まで駆け出し、思い切り飛びついた。
その晩、早々におばあちゃんの布団に潜り込むと、おばあちゃんはわたしの足をはさんでくれていた。

山が唸るような音がして目が覚めると、メリメリと音がし床が揺れ、
起き上がろうとした瞬間、箪笥が続けざまに2つ倒れてきた。 
おばあちゃんが箪笥を背で受けていたのだ。
「おばあちゃん、大丈夫?」 問いかけに返事はなく、うめき声が聞こえた。
「ママ!」 必死で母を呼んだ。
しばらくして母が部屋にやってきたのがわかった。
布団をかぶっていたので話し声はよく聞こえなかったが必死でおばあちゃんを救助しようとしていた。
やがて焦げ臭いにおいがした。火事だ。意識が朦朧とした中で母とおばあちゃんの声が聞こえた。
母とか、娘とか・・・・話してないで早く・・・・・

その直後、母の悲鳴が響いた。
父と母はそれからはその日の出来事について何も語らなかった。


かけがえのない人の死。 わたしに「無償の愛」を与えてくれた人。
あのとき、わたしが死んでいればよかったのではないか。


母から殺したいほど憎まれる、というよりは。



―――>第3章に続く