世界が塩に侵食されていく・・・・
人間が塩に変わる。 そんな不思議な世界観を描いたストーリー。
今回はこの本をピックアップしてみましたひらめき電球

「塩の街」 有川浩


scene1.街中に立ち並び風化していく塩の柱は、もはや何の変哲もないただの景色だ

「・・・いってェ」 リュックの肩紐がきつく食い込む。
群馬を出発してから東京を目指してもう丸二日歩いている。
最後に食べたのはカロリーメイト一本。 お腹も限界だ。
家を出てから車は一台も見てない。 遼一は気が付くと道に倒れていた。 

「あの―――大丈夫ですか? もしもし?」

目を開けると高校生くらいの女の子が立っていた。
女の子が、背負ってるリュックを引き上げようとすると、「うわ!?」 予想外の重量にぐらついた。

海、どっちかな。 遼一が聞くと東京湾を指差してくれた。

彼方、ビル群から斜めに突き抜けてそびえる白い塔のような物体が見えた。
オブジェのような物体は塩の結晶だった。
それは遼一の家のそばで見たものよりはるかに大きかった。

「あの・・・あたしの大家さんのとこ、来ませんか?」
飯を食わせてくれるというその子の言葉に、ありがたく寄らせてもらうことにした。

彼女の名前は 『小笠原真奈』 と言った。
遼一を連れ帰ったのは年季の入ったマンションで、部屋の外に 『秋庭』 と書いてある。
チャイムを鳴らすと鍵が内側から開いた。
そして中から長身の男が顔を出した。 26歳の遼一より2,3歳年上に見えた。

「―――捨ててこい!」 彼は真奈に叫んだ。
「秋庭さん秋庭さん!!待って待って!!」
「毎度毎度何か拾ってきやがって! 犬猫の次は男か! 噛まれる前に捨ててこい!」
喧嘩がおっぱじまったが何とか中に入れてもらえた。
真奈ちゃんが作ってくれた料理は美味かった。 腹いっぱいに食べた。


「海に行きたいんです。 出来るだけ綺麗な海に」  遼一は言った。
「鎌倉のほういいですね。由比ヶ浜って今日中くらいで着けますかねぇ」
「無理だな」
この場所から鎌倉までざっと50kmある。 しかし遼一は行く気だ。
「行く気か、歩いて」
「しょうがないです。急いで行かなきゃいけないもんですから」
「・・・・秋庭さん、何とかなりませんか?」 真奈も一緒にお願いをした。


「ええいクソ!!」 秋庭は頭を掻きむしって立ち上がった。
「ちょっと待ってろ! 何時間かで戻る!」 言い捨てて玄関へ向かった。
真奈はテーブルの上の食器を片付けはじめた。 
「誰かに優しくするとき、怒るんです。 そういう人なんです」

数時間後、戻ってくると白いセダンがアイドリングしていた。
「廃車寸前でそのへんにあったやつだ。どこまでエンジンが持つかもわからん」

3人は目的の海を目指した。
遼一は車内で秋庭と真奈の会話を見ていて、秋庭は一見恐くて冷たそうに見えるが
実は照れてるだけで本当は優しい人なのだということに気付いた。


海辺へたどり着くと、海が金色に染まっていた。
「綺麗―――」真奈がぽつりと呟いた。

遼一は重たいリュックを波打ち際まで持っていくと、リュックを下ろした。
「遼一さん・・・・それ、何が入ってるんですか?」

「ああ、これ? 海月って言うんだ」
覗き込んだ真奈はリュックの中身を見て、固まった。
リュックの中は塩で詰まっていった。
そこだけ形を残したのだろう、女性の顔立ちがはっきりと見て取れた。
思わずふらついた真奈の肩を秋庭が抱き止め、そのまま自分の胸にもたれさせるように支えた。

彼女は遼一の幼なじみだった。 他の男性と結婚する予定だった。
しかしこんな状況に訪ねてきたのは彼氏ではなく、遼一だった。
そんな状況になって遼一を好きだと、彼女は言った。彼女はごめん、と謝った。
遼一は海月に口づけた。 一生で一番激しいキスをした。 一生忘れないキスをした。

そんな話をすると、遼一はリュックの中の塩をすくいあげ口づけて海に撒いた。
撒き終わると遼一は秋庭と真奈に丁寧にお礼を言った。

「ありがとう、ホントにありがとう・・・・・」
「じゃあ元気でな」

真奈がぎゅっと遼一の手を握り締めると、手のひらにざらりとした感触―――。
もう、手が塩を吹きはじめていた。
「秋庭さん」  「要らん心配だ」

彼女を海に溶かして自分も溶ける・・・そのためにここに来たのだ彼は。

彼女とひとつに溶け合うために―――



scene2.それでやり直させてやるって言ったんじゃねえのかよ。

鎌倉から車で帰る途中だ。
暗闇から鮮やかなオレンジ色の火線が車体の鼻先に突き刺さった。
秋庭はブレーキを踏みかけたが、逆にアクセルを踏み込んだ。
すると前方に人が立ちふさがってハンドルを左にきる。 車は数十m横滑りしてようやく停まった。

人影は長い銃を構えて近づいてきた。 「えっれえ反射神経だな、オヤジのくせに」
秋庭をオヤジ呼ばわりする男は削いだように頬がこけている。二十歳そこそこだろう。
刑務所から逃げ出してきたようだ。

男は車に乗せるように指示した。
男が後部座席に一人乗って、前の真奈のヘッドレストに拳銃を突きつけている。


男は秋庭のマンションへ連れて行かせると、まず包丁を要求した。
長時間銃口をむけるには重い拳銃だったからだ。
次に、食べ物をよこせというと真奈がカバンに入れていた弁当を手掴みで真奈に口まで運ばせた。

男は真奈が気に入ったようだ。 

「あんたらって一体何?兄弟?親戚?恋人?」 

「他人だ」

「じゃあ遠慮することないってわけだ―――真奈、お茶飲ませろよ。口移しでさ」
「は!?」「あんまり調子乗るなよ」 秋庭の一言に激昂し、部屋の壁には弾痕が穿たれた。
「やめて!」 真奈はやむなく、口にお茶を含むと唇を押し当てる。
睨む真奈を次に男は抱き寄せ、真奈の首筋に刃を当てる。首筋から赤い血がつたった。
そのあとも執拗なことを繰り返す男に耐える真奈と秋庭。

「あなたはホントにあたしとこういうことがしたいんですか!? あたしじゃないんでしょ、ホントにキスしたい人はっ!」

叫んだ真奈の言葉に、明らかに男が怯んだ。
その隙に秋庭は男の腕を取った。 ボキリ。 男が倒れ込んだ。
秋庭の手には折れた男の腕が・・・・彼は塩化していたのだ。


彼は話し始めた。
囚人がどこかに連れて行かれること。  そして連れて行かれたものは帰ってこないこと。
ついにその順番が自分にもやってきて、特別な部屋に連れて行かれた。
そこは壁一面が真っ白にキラキラと光っていた。 そして、そのうちに塩が吹いてきたんだという。

話してるうちに彼の塩害はどんどん進行していった。

「真奈ァ・・・・目が濁ってきたよォ・・・」
「好きだった人の名前で呼んでいいですよ」  真奈が言うと、男の目に涙が溢れた。
「横山・・・怖いよ、俺・・・もう死ぬのかなぁ、俺、こんなところで、もう、俺」
「なあ・・・名前で呼んでくれよ。トモヤって」
「トモヤ。 あたしのことも名前で呼んでいいよ」
「・・・・ユウコ」

トモヤは完全に塩化してしまった。


突然、ドアが激しくノックされた。 自衛官が数人踏み込んできた。
そしてトモヤを運んでいった。 このことは口外禁止と言い残して。

「―――大丈夫か」 秋庭は真奈を強く抱きしめた。 「・・・・秋庭さん?」 

「約束する」   秋庭は真奈を抱きしめたまま、誰もいない虚空を睨んだ。


「もう二度と他人とは言わない。 二度とだ」



scene.3 この世に生きる喜び そして悲しみのことを

真奈は塩害がおこった瞬間のことを覚えていない。

あの日、具合が悪くて学校を休んで寝ていた。
夜になっても両親は帰ってこない。パンを口にほおりこみ、TVをつけてみた。


午前八時半、東京湾羽田空港沖に建設中の埋立地に巨大な隕石らしき物体が落下。
映像が映し出された。 白く、光り輝く結晶のような塊だった。

東京湾のものよりは小規模ながら全国に同様の隕石が落下。
そしてカメラのアングルが変わると・・・・道行く人が動いていない。
ストップモーションをかけられたように止まっている。髪も顔も真っ白だった。

アナウンサーが叫んだ。

「ご覧下さい、なんということでしょう! 人が、人間が、
塩です! 塩の彫像になっています!
ちょっと失礼―――間違いありません。 塩です! 確かに食塩の味がします!」

真奈の両親は帰ってこなかった。 次の日も次の日も次の日も―――ずっと。

被害はこの日の東京だけでも500万とも600万とも言われた。
更に塩害の被害は増え続けていた。 塩害を防ぐ方法は不明だった。

2週間ほどひきこもって家にある食料でしのいでいたが、底も尽きたので真奈は学校に行ってみることにした。 
初めて外に出てみるとそこは荒れ果て殺伐とした世界に変わっていた。
学校は配給所に変わっていた。 そこで食べ物やちょっとした生活用品を受け取った。
しばらくは配給所の食事でなんとか過ごした。両親のことについて相談所にも一度行ったが、
何をしてくれるわけでもなかった。


―――ある日の昼下がり、玄関のドアが突然ガチャガチャと鳴った。
数人の人の気配がある。 ドアを蹴る音も聞こえた。 ドアの内側からそっと聞き耳を立ててみると、

間違いないんだろうな親がいないってのは。 
間違いないって相談所に勤めてるババアが言ってたんだから。 
うちのオカンとそこのババア井戸端仲間なんだよ。
じゃあ女子高生一人ってわけだ やりたい放題かよ たまんねえなぁ


若い男たち数人がそんな話をしていた。
真奈が感じたのは恐怖ではなく、怒りだった。
勝手なこと言ってる外の奴ら。 勝手に喋り歩く相談員。 そして迂闊に人に話した自分。

真奈はベランダへ走ると隅に置いてある緊急救命具の前でしゃがみこんだ。
端部屋だからこんなの置かれちゃって損よね―――お母さんそんなことない。そんなことなかったよ。
中から縄梯子を取り出すと下まで放り投げた。 玄関の外では派手な騒音がしている。
真奈はなんとか縄梯子で下まで降り、必死で走って逃げた。


配給所を点々と渡り歩く生活をしているうち、人口が減って空洞化した地域に入り込んでしまった。
そして家を襲った連中と同じような奴らと遭遇してしまう。
走ったがすぐに追いつかれ、何本の手が真奈の体に伸びた。


「真奈!」

呼ばれた声で目が覚めた。  「大丈夫か」 秋庭が至近距離で顔を覗き込んでいた。
そうだ、あの時も―――悪い夢から起こすように助けてくれたのは・・・・・秋庭だった。

真奈は両親のことを、真実を信じたくなかった。
でも遼一やトモヤ・・・目の前であの人たちを見てきて現実を目の当たりにした。
「あたし、迎えにも行ってあげなかった。きっと家に帰りたかったのに。
もう誰かと混ざって見分けもつかない・・・・・」
秋庭が真奈の頭を抱き寄せると、真奈は初めて声を張り上げて泣いた。


「一度、家へ帰ってみたいんです」
トラウマの残るあの家に帰ることに大丈夫か、と言いそうになったが彼女の気持ちを汲んだ。
「あのボロ車出すにはいい日和だな」  真奈の住んでいたマンションへ向かった。

「お前、ちょっと歌でも歌ってみ」 おとなしく座っている真奈に秋庭は言った。
「え。いやですよ~~~!」
「童謡でも学校唱歌でもいいから歌ってみろって」
真奈は渋々・・・・

♪ある日 パパと二人で語り合ったさ

この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーングリーン 青空には小鳥が歌い
グリーングリーン 丘の上にはララ 緑が燃える・・・・

2番は秋庭も一緒に歌ってくれた。


マンションに着き、恐る恐る鍵の壊されたドアを開けると、想像以上の惨状だった。
ガラスが床に飛び散り、引き出しや扉など物色された跡があった。
真奈は本棚から父が好きだった 「吾輩は猫である」 と 「嵐が丘」 を手に取った。

部屋を見ていると2軒隣に住んでいたおばさんが声をかけてきた。
「あらあら、大変だったわねぇ。みんな心配してたのよ。家もこんなに荒らされてしまって」
興味本位で見に来ただけの、このおばさんに腹が立った。
「そちらのかたは?」 「真奈の保護者です。荷物を取りに来たんですが、ひどい有様ですね」
「ええ、ひどいでしょ。悪そうな奴らでしたから。あたくしももう怖くって」
その台詞に秋庭が微笑み返す。

「そいつらの中には主婦や女性も大勢混ざっていたようですね」

きょとんとする夫人に秋庭は完璧な営業スマイルで言った。
「冷蔵庫に流しの下に炊飯器の中まで。少年達では思いつかないようなところまで荒されてますから」
夫人の顔が青くなったあとに赤くなった。  その後はそそくさと帰っていった。



秋庭と真奈は通りかかった公園で弁当を広げた。
おにぎりとたこさんウィンナーと玉子焼が入った弁当を食べたあとは、
「行きましょうか」 真奈が立ち上がると秋庭が真奈の腕を掴んだ。
「もうちっとくつろげ」

真奈の腕を引くと、片膝を立てて座った足の間に、尻餅を突かせるように座らせた。
心臓が跳ね上がりそうになると、真奈は体を強ばらせた。
秋庭の腕が真奈の両肩に乗り、真奈の目の前で交差する。


こんなのまるで―――・・・みたい。


「あの歌、7番まであるんだ。ラストを教えてやる」

すぐに何の歌のことかわかった。



♪やがて月日が過ぎ行き 僕は知るだろう パパの言ってた言葉の ラララほんとの意味を
グリーングリーン 青空には太陽笑い グリーングリーン 丘の上にはララ 緑があざやか

いつか僕も子供と語り合うだろう この世に生きる喜び そして悲しみのことを
グリーングリーン 青空には霞たなびき グリーングリーン丘の上にはララ 緑が広がる 緑が広がる



歌い終わると秋庭は振り返らず帰るぞと一言、歩き出す。
真奈もゆっくり立ち上がって後を追う。


「知りませんでした。ただ切なく終わる歌じゃないんですね」



―――>後編へ続く