ずっしり。読み応えのある長編小説です音譜


「片想い」 東野圭吾


■登場人物■

西脇哲朗/主人公。大学時代はアメフトのクォーターバックのエース。現・スポーツライター。
日浦美月/元女子マネ。10年ぶりの再会で男の心を持ち、人を殺したことを告白。
西脇理沙子/哲朗の嫁。元女子マネ。職業はカメラマン。旧姓・高倉
中尾功輔/アメフト仲間で美月の大学時代の彼氏。今は逆玉で成城の家で嫁と子供と暮らす。以前に比べてひどく痩せている。
早田/同じくアメフト仲間。今は新聞の社会部の記事を書く記者。恐ろしく勘が鋭い。
須貝/アメフト仲間。いい奴なのだが、少々天然なところがある友達。

戸倉明雄/美月に殺されたというストーカー男。



第3章

スポーツライターの哲朗は第一高校の末永睦美という陸上選手の話を聞きにきていた。
彼女は”半陰陽”なのだ。  睾丸と卵巣の両方の組織を持った真性半陰陽だという。
半陰陽の選手はやはり女性でも他の女子とは違う。 筋力量も違うし見た目も。
それはやはり男性ホルモンも出ているからだ。
哲朗は半陰陽の女性選手が大会に出場することについて話を聞いた。
この日は末永睦美に会うことはなかった。



家に帰ると上半身裸にトランクスを履いた美月が立っていて思わず目を背けた。
パシャパシャと写真を撮りカメラを構える理沙子。 美月の裸体を撮っていた。

「おい、理沙子」  返事をしない理沙子。
「何をしてるんだと言っている」

カメラマンの魂がうずいたようだ。 理沙子は写真を撮るのに集中してこちらの声が耳に入らないようだった。


4畳ほどの仕事場へ移動すると、記者の早田から電話がかかってきた。
取材したい場所があるのだが、ついてきてほしいというのだ。
電話をかけてくること自体珍しい上にそんなお願い・・・嫌な予感がしたが断れなかった。


彼が一緒に行きたいところという場所は、何と美月が殺したというストーカー男の家だった。
殺された戸倉明雄が勤めていた会社では専務という肩書きだったようだが、
上辺だけの専務で実際、昨年クビになっている。


家の呼び出しベルを押すと、老女が顔を覗かせた。
彼には嫁と子供がいるようだが、前に家を出ていったそうだ。
明雄が生活していた部屋を見せてもらった。 部屋は物であふれていた。

「実は知り合いの刑事から聞いたんですが、この部屋から何人かの戸籍謄本が見つかったそうですね」
「ええ、まぁ・・・破いてゴミ箱に捨ててあったんです」
名前は知らない人物ばっかりだったそうだ。 その書類は警察が持っていてもう無い。

部屋を見回していた時、『猫目』のライターを見つけて思わず手に取る哲朗。
「どうした?」  素早く声をかける早田にどきっとしながら、彼にライターを見せた。

その時、下から階段を上がってくる音が聞こえた。
現れた女性は戸倉明雄の妻だった女性だ。
不機嫌なそぶりを見せた彼女は荷物を取りに来たようだ。
下の階では男の子がテレビゲームで遊んでいた。

戸倉宅を後にすると早田は言った「あの婆さんなかなか曲者だぜ」
「来た時は曲がっていた腰が帰る頃にはぴんとして、階段も苦もなく上り下りしていた。
案外何か隠してることがあるのかもな・・・・」



早田と哲朗は夜の銀座に来ていた。
ずらりと並んだ看板の中に『猫目』の文字が見えた。
早田は慣れた顔で入るとボトルが出てきた。

「昨日来たんだ」
「最初からここに俺を連れてくるつもりだったのか」
「まあな」

やはり早田は哲朗が事件に何か関わってると知り誘ったに違いない。
ママが挨拶に来ると、ホステスの女が座った。
しばらくして、席を立った女は別のテーブルにいたスーツの女に声をかけると、
カウンターに寄ってから哲朗達の席についた。

「カオリです。」

そう、”あの”カオリだった。
小柄で顔が小さく大きな目が印象的だった。 
彼女に名刺をもらうと「佐伯香里」と書かれていた。

軽く挨拶程度の会話を交わした後、早田は煙草を取り出すと香里はライターを取り出し火をつけた。
「門松鉄工って知ってるかい?」と早田は聞いた、死んだ戸倉の勤めていた会社だ。
香里の持つライターの火が一瞬消えたが、あわててつけ直した。動揺していた。
「かどまつ・・・さぁ」
哲朗も聞きたいことは山ほどあったが、早田がいるだけに何も聞けずに世間話をした。

店を出ようとした時、早田は店にいたある男に声をかけた。
「俺たちのことをつけたって何の足しにもなりませんよ」
声をかけた相手は警視庁の刑事で望月と言った。 早田とは顔見知りのようだ。


場所を喫茶店に移した。
コーヒーを飲みながら、望月刑事は尋問とも言えそうな質問を早田にしてきたが
早田はゆらりとその言葉を交わしていた。
「馬鹿な刑事があんたにせがまれて例の戸籍謄本見せたらしいな」
「記事にしてないからいいじゃないですか」 飄々と交わす早田。


刑事が帰ると早田は哲朗にハッキリと言った。

「はっきりいう。俺はお前たちの力にはなれない」

哲朗は何も言葉を発することが出来なかった。

「お前たちは何かを掴んでいる。知っていて、それを隠している。
俺の仕事は隠されたことを暴くことだ。人を傷つけるなんてことは考えない」

早田は哲朗には協力しないこと、しかし哲朗の周辺を探ったりはしないことを約束して喫茶店を後にした。



夜遅く帰宅すると理沙子と美月が言い合う声が聞こえた。
理沙子が美月に女の格好をさせようとしているようだった。
そんな無理強いしても・・・と言うと、

「あなたはわかってないのよ! 美月は少しずつ女に戻ってきてるのよ」と声を荒らげた。
そう、美月がホルモン注射を打ってから3週間が経とうとしていた。

家を飛び出した美月を哲朗は追う・・・・
あの殺人を告白した公園にいた。


「おれ、告白ばかりしてるよな。一つは男になったこと。
2つ目は人を殺したこと。そして3つ目は・・・・・」


「理沙子が好きだったんだよ。あの頃からずっと。今でも気持ちは変わらない」

口が開きっぱなしの哲朗・・・・「驚いた」 
美月は本気だった。


付き合っていた中尾のことはもちろん好きだし安心できた。普通にセックスもしていたという。
ただ、恋愛感情があったかというと難しいそうだ。

そして哲朗とのあの日のことも、理沙子が好きだった奴だからなのか、
QB(哲朗)が憧れの男だったからか、何故だかそういう気持ちになったという。

あの日哲朗と10年ぶりに会った日、あの時も理沙子に会いたかったからだという。


「いいんだよ。俺にだってわかってる永遠の片想いってやつさ。でも俺には大事なことなんだ」

―――永遠の片想い、か。


早田君が家を訪ねてくるんじゃないかとヒヤヒヤする理沙子をよそに、
美月はやはり男物の服しか着なかった。


夜中寝ていると、トイレから「どん、どん、どん」という壁を叩く音が聞こえてきた。
泣きながら飛び出してきた美月は上はTシャツを着ていたが下は何も身につけていなかった。
そしてリビングで泣き崩れた。
明かりをつけようと思ったがやめた。

「こっちへ来ないでくれQB 」

外から漏れるわずかな光で太ももの内側に一本の筋がつたうのが見えた。
それは暗がりでも赤いものだと判別できた。

ホルモン注射を中断している美月にこの日が訪れるのはわかっていたことだ・・・しかし・・・。

近づこうとする理沙子に哲朗はやめろ、と言い、深夜2時だったが中尾に電話をした。
かけつけた中尾が美月を落ち着かせてくれた。
美月は中尾の言うことを素直に聞き、理沙子たちの言うことに出来るだけしたがう、と言った。


哲朗は中尾を玄関まで見送るとキッチンで水を飲み、
すぐに寝る気になれず煙草をくわえ火をつけようとしたが、火を消した。
外の空気にあたろうとベランダに出ると、中尾が乗ってきたボルボがまだ停まっていた。
かなり時間が経っているはずである。 エンジンがかかっていないボルボ・・・・

気になった哲朗は下まで見に行くと、1Fのエントランスでうずくまっている中尾がいた。
顔が真っ青になっていた。
心配する哲朗に中尾は「大丈夫だ。ただの神経痛だ」と言うと、中尾はボルボを運転して帰って行った。


―――>第4章へ続く