今回は東野圭吾さんのこちらの本のまとめクローバー ガリレオシリーズにはいかない私です笑


「片想い」 東野圭吾



第1章

11月の第3金曜日。
哲朗の大学時代のアメフト部のメンバーは毎年この日に集まり、飲み会が行なわれる。
今日もそうだった。

いつも”あの話”が出てくる。リーグ戦最終試合。この戦いに勝てばチームは優勝していた。
あの時、ああしてれば、こうしてれば、酒を飲んだ席では誰かが必ず言う。
あれから10年も経っているというのに・・・・哲朗も、もう飽き飽きしていた。

静かに飲んでいた早田が「高倉は、今日も仕事か?」と聞いてきた。
「ああ、京都に行ってる」
哲朗の妻、理沙子はアメフト部のマネージャーだった。旧姓・高倉だ。
ここにいる皆はいまだに理沙子のことを「高倉」と呼ぶ。
理沙子はカメラマンでこの日も仕事で京都まで撮影に行っていた。


「日浦もずっと会ってないな」須貝が思い出したように言った。

同じくマネージャーだった日浦は”女子マネ”という感じじゃなかったが
誰よりもルールやゲームプランに詳しかった。
日浦も結婚して子供がいるそうだが、話したのは理沙子で3年前が最後だ。


酒宴がお開きになると、哲朗と須貝は地下鉄の駅に歩き出した、その時だった。

人の流れのむこうにじっとこっちを眺める人物が・・・・

「おい、あれ日浦じゃないか」
「そうだよな、なにしてるんだ、あいつ」


間違いなく日浦美月(みつき)だった。


黒いスカートをはき、グレーのジャケットを羽織り、手には大きなスポーツバッグを抱えていた。

須貝が話しかけると、美月は声が出せないという風にノートとペンをカバンから出し、
『どこかで話を』と書いた。 
不思議に思いながら、哲朗たちは電車に乗り、哲朗の家に行くことになった。
途中、須貝が自宅に電話を入れた。
電車の中で美月を見ると、先ほどは暗くてわからなかったが、ひどい化粧の仕方だった。


哲朗の家に着くと須貝がリビングを見回し、美月は筆談で『洗面所は?』と聞いた。
まだ筆談か・・・と思いながら洗面所の場所を案内した。

哲朗がコーヒーを入れようとキッチンに行くと、須貝の様子がおかしかったのでキッチンを出た。


するとドアの前に小柄な見たこともない男が立っていたので絶句した。


その男はゆっくりと哲朗のほうを振り向いた。
よく見ると、すぐにそれが美月であることに気付いた。


二人は口を半開きにして、目を大きく見開いて呆然としていた。


「久しぶりだな、QB 」
やっと美月が言葉を発した。 
美月は哲朗のことをQBと呼んでいた。クォーターバック(アメフトのポジション)のことだ。

しかしそれは男の声だった。


その後、美月は設計がやりたくて会社に入ったけど雑用しかさせてもらえず会社を退職した話。
結婚したけど、相手は誰でもよくて「自分は女であって女としか生きるしかないって、
自分に思い込ませよう」として結婚した話。
子供の頃から女として違和感を感じていたけど、母親を悲しませないために女の子の真似をしていた話。
そんなことを話してくれた。


その時、妻の理沙子が帰ってきた。
理沙子は思ったほど驚かなかった。気付いていたわけではないらしいが、
皆とは何かが違うとは大学時代から思っていたようだ。

そして美月の母ががんで亡くなったこと、美月は旦那に手紙を残して家を出たことを明かした。

哲朗は気になっていたことを聞いた。

「ホルモン注射してるのか?」
「してるよ」

家を出てすぐホルモン注射を始めたという美月はシャツを脱ぎ始めた。
その胸にはサラシが巻かれていた。
うっすらヒゲも生えているが、胸だけはなかなか小さくならないそうだ。

「その声はホルモン注射で?」
「それもあるけど、金串で声帯に傷をつけた。何本もね。」
それを聞くと須貝は顔をしかめた。 「聞いてるだけで痛いよ」

その後は再び酒を飲んで大学時代の思い出話を皆でした。
須貝が酔いつぶれたところで、和室に運び寝かせ、お開きになった。
美月、理沙子と一緒にベッドで寝ろよ。と言ったがリビングのソファでいい、と言った。


午前三時をまわっていたが、哲朗は寝室で全く寝付けずにいた。



―――ある日の光景が蘇ってきた。

クラブの飲み会の帰り、哲朗の下宿に何故か美月がついてきた。
美月を女性と意識したことのなかった哲朗は何事もなく美月を部屋に迎え、酒を飲んだ。
美月は酒が強かった。哲朗も弱くない。しかしこの日はかなり酔っていた。

哲朗がトイレに入って出てくると、呆然とした。


そこには全裸の美月がいた。

「しようよ」 彼を見上げて言った。


美月は引き締まった体でなめらかな肌、抱きしめると若竹のようにしなった。
最初の射精を終え、しばらくすると再び美月のほうから誘ってきた。
性欲が有り余ってる年頃だった。 夜明けまで何度も肌を重ねた。

それは一度きりの出来事だった。
美月がどうやって帰ったのかも覚えてないし、それ以降その話題を持ち出すこともなく、普通に接した。


そんなことを哲朗はベッドに入り思い出していると、ミシミシと廊下を歩く音が聞こえた。
ゆっくりと扉が開閉された。
哲朗が玄関に行くと、美月の履いていたスニーカーが消えていた。

急いで鍵と財布を持って下まで降り、周りを見回すが見当たらない。
雨露をしのぐところと探していると、公園で膝を抱え顔をうずめていた。

「哲朗たちには迷惑かけられないんだ。」という美月。
なにが迷惑なんだ?夜中に逃げられるほうが困る・・・というが
美月は心を決めたように哲朗に告白をする。


「人を殺したんだ。」


美月は説明を始めた。
『猫目』という店でバーテンをしていた美月。
そこのホステスにカオリちゃんという子がいて、彼女に悪質なストーカーがついていた。
美月はカオリちゃんを家まで送っていたが、ある日そのストーカーと車の中で揉みあいになった。
そうして、夢中になり気がついたら首を絞めていた。
思いのほかあっけなくそのストーカーは死んでしまった・・・・・というのだ。


美月は考えたあげく、「やっぱり自首しようと思う。じゃあ俺は消えるよ。色々ありがとう。」
そう言い、くるりを背を向けた美月の腕を哲郎は掴んだ。
強く強く掴んだ。 「とにかくもう一度マンションに戻ってくれ。」

あらためて理沙子と須貝の前で今の説明をした。 理沙子は言った。
刑務所に入っても男として生きていく・・・・でもホルモン注射はどうするの?
家庭を捨ててまでも手に入れた体でしょ?

「美月を警察には行かせない。誰が何といおうともね。」



第2章


哲朗と理沙子はこれからどうするか話し合った。 
殺した男性の免許証等は持っていて、氏名は戸倉明雄。門松鉄工所というところで働いていたようだ。
一緒にあったメモ帳にはカオリの日々の行動が事細かに書かれている。
美月が働いていた『猫目』では、ママとカオリさんだけが美月が女だということを知っていた。
そして店では神崎ミツルという偽名で働き、履歴書の氏名と住所も本当のものを書いていない。

昼前に須貝が帰った。
「おまえたちも関わりあいにならないほうがいいと思うぜ。」
冷たくも思えるが、家庭を持った彼を責める言葉はない。 むしろ常識的な言葉かもしれない。


理沙子が美月を守ろうとする理由も哲朗にはわかっていた。

二人が結婚したのは27歳の時だった。  親を安心させたいとともに、
以前勤めていた出版社をやめて二人で助け合って生活していこうというのもあった。
その後、どちらも仕事が忙しくなった二人は家でもイライラがつのる。
どちらが使った食器を洗うかという単純なものだ。 
ある日言い合いになり、結局自分が使った食器は自分で洗うということに決まった。


また理沙子は子供が早く欲しいと言っていたが、哲朗は自分がライターをしてやっていく自信がつくまで待ってほしかった。
しかし収入が安定しだした頃には理沙子はカメラマンとして成功しつつあった。

―――2年前、理沙子が海外に行きたいと言いだした。

親友の女性ライターとルポルタージュをしたい、と。
ヨーロッパでも最も緊迫した地域だった。

危険だからと反対する哲朗の声に耳を貸す気配は全くなかった。

そんな時だ。 理沙子が妊娠した。

「絶対におかしい。 ちゃんと避妊してたよね?」理沙子は哲朗を問い詰めた。
理沙子は避妊具として殺精子剤を使っていた。
彼女は毎回メモしていたのだが、その数がどうにも合わないのだ。

結局のところ、哲朗は殺精子剤を使わなかったのだ。
彼女の渡航を思いとどまらせるにはこれしかないと思った。
理沙子も傷ついたようだが、子供が成長すれば母としての自覚が出てくると思っていた。


しかし、それから4日後・・・泊まりの仕事から帰った哲朗が見たのは
やつれた顔でベッドで横たわる理沙子だった。  
どうしたのかと聞くと・・・・

「堕ろしたのよ」

彼は半狂乱になり、罵声を浴びせた。 彼女は死んだ虫のように動かなかった。
それ以後、二人は別々に眠るようになった。
そして一緒に渡航するはずだった親友は現在行方不明になっている。
それもまた理沙子を苦しめている。 二度と親友を失いたくないのだ。



マンションに中尾功輔がやってきた。
須貝の家に電話したときにうちに美月がいるのを聞いたそうだ。
中尾は美月を大学時代付き合っていた。 
ただそれを知っていたのは哲朗と理沙子だけだった。  彼から口止めされていた。

彼は美月と二人だけで話をさせてくれということで、リビングの扉を閉めて美月と二人で話した。

久しぶりにあった中尾はひどく痩せていた。
彼は大手食品メーカーの重役の娘と結婚して、今は成城の一軒家で妻と二人の子供と暮らしている。
婿養子になった中尾は今は高城という姓だ。もっとも皆いまだに中尾と呼んでいたが。

その後、美月は女の姿をして暮らすのが一番カモフラージュになるんじゃないか、
という理沙子の意見に納得のいかない様子の美月だった。


そんな時、須貝から電話があった。
中尾に美月のことを言った件と、俺なりに情報を集めてみた、という須貝。
早田に江戸川区の殺人事件についてなにか知ってないか聞いたのだ。
早田は同じく大学時代のアメフト仲間で今は新聞社の記者をしている。

「オーケー、サンキュー、でももう早田には電話しないでくれよ。」
正直、哲郎たちは余計なことをしてくれた、と思った。
早田はすさまじく勘が鋭いやつだった。


中尾をマンションの下まで送る途中、気になっていることを聞いた。

「あの時俺と一緒にいた美月は間違いなく女だったよ」

そう言うと中尾は乗ってきたボルボを静かに発進させた。



―――> 第3章へ続く