本日は夜の世界に生きる登場人物たちの人間模様を描いたこちらの作品です
「地下の鳩」 西加奈子
この本は「地下の鳩」と「タイムカプセル」の2本立てになっています。
同じ世界が舞台ですが、違う視点から描かれています。
■地下の鳩(吉田&みさを編)
大阪のミナミ。 大阪は心斎橋周辺の歓楽街のことを、関西の人間は「大阪ミナミ」と呼ぶ。
ミナミのキャバレーで客引きをする男がいた。 名は吉田。 歳は40歳。
暗い目をしたその男は、若い頃こそ先輩と一緒に酒を飲んでは毎日のように喧嘩三昧だったが、
今はこのミナミのキャバレー「ばらもの」で従順に働いていた。
吉田は女にはよく好かれた。 彼は独身だ。
島之内に時折立ち寄る女がいたが、本気のつきあいではなかった。
女の家にはどんなに遅くなっても絶対に泊まることはない。
吉田はもう長い間、女は性の対象くらいにしか思えなくなっていた。
昔からあるキャバレー「ばらもの」はよく流行っている。
吉田は19時から店の外で客引きをした後、24時になるとチーフや黒服が帰り出すので、
ホールの仕事を手伝ったりした。
昔からモテる吉田は店の女から口説かれることもあった。
そして閉店から始発まで従業員数人が店で眠る。 タクシー代を出すのがもったいないからだ。
そうそうにオーナーは金庫を持って帰り、店には盗むものなど何もなかった。
店の鍵を預かる自分は最後に店を出ないといけない。
結局、いいように使われているだけだ。 正直、何が信頼だ!と思った。
ある雨の日・・・・・とある女と出会った。
ホール長から「すまん、ちょっとチョコレート買ってきてくれ月型のやつな」と言われると、
このへんのコンビニエンスストアのような店、「オルテス」にむかった。
途中にはオカマバーのママ、ミミィが客を見定めるように客引きをしていた。
この界隈では知らない人がいないほど有名人だった。
買い物を終え外に出ると、ひとりの女が騒いでいた。
たこ焼き屋の台の下に自転車のカギを落としたというのだ。
女は水商売の女のようだが素人のような髪型に夏物のサンダル、
そしてこの時間から酔っている女に、派遣かなにかのホステスか・・・などと思いながら
吉田もたこ焼きの台をどかすのによいしょっと・・・手伝うと、カギが見つかった。
「ありがとぉ!」 と大げさに女は頭を下げていた。
オカマのミミィは「今度はちゃんとキーホルダーつけときや、こういうの。」とピンクのとさかをふった。
吉田が歩き出すと、ひっかかるものが。
後ろを振り返ると、女が腕をつかみ 「お兄さんも、ありがとぉ♪」 と言った。
女は不思議な顔をしていた。
左右の目の大きさが全然違うのだ。 大きな右目に対して、左目はにゅうっと横に長いだけだった。
しかしそれが絶妙に他のパーツとバランスが取れていて、彼女を可愛らしく見せていた。
また来てな! と女から渡された名刺を見てみると 『郡 チーママ みさを』 を書いていた。
チーママという肩書きに吉田は驚いた。 あんな素人くさい、チーママがいるのかと。
その日から毎日オルテスに寄って買い物しては、自分の店に出勤するようになった。
その途中にある彼女の働く店の入っているビルをチラチラと見るものの、
彼女を見かけることはなかった。
吉田はあの日以来・・・・・彼女の目が焼きついて離れなかった。
そしてついに彼女と再会することになる。
いつものようにオルテスで買い物を終えると・・・・いた!
ミミィと話をしているみさをがそこに。 まだ出勤前の様子のみさををまじまじと眺める。
「お前、カギにキーホルダーはつけたのか?」
吉田はみさをの姿を間近で見て今、ハッキリとこの子に恋をしていることに気づいた。
「店何時までや?」
まるで自分の女にでも話しかけるように聞いた。
「店は2時までやで、仕事終わったらきてよー♪」
「そうか、わかった」
吉田は一度も笑みを見せることなく、踵を返すとその場を去った。
みさをも吉田のことを覚えていた。
その理由は、吉田と同じく「目」だった。
あの日、みさをのことじっと見る目、いや睨んでいたといったほうがいいだろうか。
あそこまでぶしつけに人のことを覗き込む人も珍しかったからだ。
しかし吉田とは違い、恋のはじまりなどとは程遠く、
ただその目が印象に残っていたというだけだった。
ミミィや他の人たちの強烈な個性の前で吉田は「ただ覚えていた」という程度だった。
実際、この後みさをは吉田のことをすぐに忘れた。
みさをは今年で29歳。
学生時代から明るく活発でクラスの人気者だった。
女子からも男子からも好かれていた。
彼女には体の弱い気の弱い妹がいて、両親の悪いところばかり受け継いだような妹に
両親の愛情は自分よりも妹に注がれていることは気付いていたが、
そのような妹を不憫に思うのもあって、何も不満を言うこともなく、
親に心配をかけるようなことをすることもなく、手のかからない子に育った。
みさをは学校の男子から告白されることもたびたびあったが・・・・
彼女が初めて身を捧げたのは数学の教師だった。
その後も会社の妻子持ちの上司など、普通の恋愛でなかったかもしれない。
店ではチーママという肩書きだが、この店で働いて長いわけではない。
以前ここで働いていたママとチーママが結託して店を辞めたのだ。
この業界ではホステスの引き抜きなど、よくあることだった。
そんな時に面接にやってきたのが、みさをだった。
水商売の面接にきちんと履歴書を書いて持ってきたところ、大学を卒業しているところが
オーナーに気に入られ、店に入ってすぐ、チーママになったのだ。
みさをが店に入ると、チーフが先に出勤していた。
チーフは25歳になる女性だが、毛玉のついたセーターにコーデュロイのズボンと化粧っけもなく
水商売の仕事をしているとは思えない格好で出勤してくる。
真面目なチーフは安い時給で朝まで付き合わされ、可哀想に思うこともあった。
みさをの店は2時で閉店だが、オーナーの知り合いなど閉店時間を過ぎても常連客がいる場合、
朝まで付き合わされることはたびたびあった。
その日、店を出たのは2時半ごろだった。
自転車で来ているチーフを見送ると、 「おう。」と、後ろから声をかけられた。
驚いた。 みさをはすっかり忘れていた。 吉田に店に来て、と言ったこともそうだが
存在そのものも、すっかり忘れていたのだ。
「腹、減ったか?」 「お腹? あぁ、うん。すいたわ」
吉田とみさをは近くの寿司屋「さかき」に行った。
小さな店で安いのでいつも混んでいる。
吉田はビールだけ頼むと、食べ物はほとんど口にせず、ひたすら飲んだ。
酒を飲む時は食べない、そういうタイプだった。
それに比べてみさをはよく食べた。
酒を飲んでもいくらでも食べれるタイプだ。
しかし体は店のホステスからうらやましがられるほど細かった。
みさをはほとんど初対面の吉田とこうして寿司を食べてることに、不思議な感覚を覚えながらも
美味そうに寿司をほおばった。
店を出ると4時をまわっていた。
「どこに住んでるんだ?」と聞かれると「谷六よ」と答えた。
みさをは ”きた!” と思った。
すぐさま、タクシーで帰ると言おうとすると・・・
「じゃあな、気をつけてな」とさっと背を向けて立ち去った。
みさをは呆気にとられた。 絶対に ”誘ってくる” と思ったからだ。
対して、吉田は有頂天になっていた。
完全に恋していた。
みさをが自分の金で飯を食い、美味そうに食べてるのを見てるだけで嬉しかった。
それからは二人はたびたび会って食事に行った。
お互いの連絡先を交換したわけではなかったが。そもそも吉田は携帯電話を持っていなかった。
食事代は全て吉田が出した。
イキリ癖のある吉田は過去の話・・・バンド・ライブ・暴力・女・・・
自分が危険でミステリアスな男だというアピールを全力でした。
しかし、悪い男アピールをする男には慣れているみさをは全く興味をしめさなかったが、
吉田はみさをのことが愛おしくてしょうがなかった。
そして毎回食事だけしては帰る、という関係を2ヶ月ほど続けていた。
そんな関係が変わったのは、やはり雨の日だった。
二人が傘をさして歩いていると、傘をぐいと引っ張られる・・・。
吉田が通っていた、島之内の女だ。
「最近、全然来てくれへんやん!」 島之内の女はしゃがれた声だった。
みさをは吉田の腕をふりほどくと、自分の傘をさして歩き出す。
何故だかすごく腹が立った。
この女が吉田の女だ、と思うと無性に腹が立った。
一方、吉田は妬いてくれているみさをを見て嬉しかった。
そしてこの日・・・初めてみさをは自分のマンションに吉田を招く。
二人はとてもぎこちなく、体を重ねた。
吉田はみさをが目が覚める前にマンションを去った。
目が覚めると吉田はいない・・・みさをはどうしたもんだろう・・・と思ったが、
これは事故だ。と思うことにした。
もう会うこともないだろう、と思う予想に反して二人はそれからも会った。
「腹減ったか?」 「減ったわ。」 それが二人の合言葉だ。
必死に何事もなかったように平静を装う吉田に、それを見抜いていたみさをは吉田が可愛く思えた。
いつものように食事に行くと、その日みさをは「飲みにいこうよ!」と
女の子がいる店に行きたいと言い出す。
吉田はホール長の秋山に連れて行ってもらったことのある、クラブに行くことにした。
道中でみさをの店のチーフがいた。
チーフはカメラを片手に写真を撮っていた。
写真家を目指しているんだそうだ。 というのをこの時、みさをも初めて聞いた。
チーフと話してる途中、みさをは「げふっ」とゲップをした。
吉田は、あ・・・嫌いになるかも・・・と思った。
みさをは酔いもあって、二人の写真をチーフに撮ってもらう。
吉田はゲップのことを忘れようとしていた。
クラブに到着すると、美しく着飾られたホステスに囲まれた。
そして、秋山のキープしていたボトルを持ってきてもらうと、
みさをは 「これ誰のん? 新しいやつ持ってきてもらおうよ」 と言った。
吉田は初めてこの女が嫌いになりそうだった。
「でも俺は・・・」 金が無かった。
「いいやん、お金は私出すから」 吉田は死にたいくらい恥ずかしい気持ちになった。
また、みさをも完璧な水商売のホステス達を前に、自分はなんて素人じみてるんだろう
と彼女も辱められてる気持ちになり、酒を酔いつぶれるほど飲んだ。
目が覚めると、そこはみさをの部屋だった。
みさをがシャワーを浴びて部屋にもどると、
「この灰皿、誰のんや?」と過去のみさをの男を気にする、吉田。
その様子を見てるとなんだか優しい気持ちになった。
「吉田さん、可愛い人やね。」
「もう、金が無い。」 ぽろりと涙を流す吉田を、みさをは抱き寄せた。
吉田はその日から「ばらもの」へは行かなくなった。
店の者は連絡のとりようがなかった。
店の鍵は地下鉄の線路に捨て、吉田の面倒はみさをがみた。
みさをが飲みに行きたいというので、店が終わる時間に合わせて外を歩いていると、
通りで男が腹を刺されて血を流していた。
そして取り乱したミミィが叫んでいた。 その姿は醜かった・・・が、逆にとても崇高なものに見えた。
「ミミィさん、俺や。ミミィさん、俺・・・」
興奮するミミィの拳が吉田の右目に飛んできた。
ミミィは警察に連れられていった。 一体、なんだったんだろう・・・
吉田とみさをは香港にきていた。
夏の香港は暑かった・・・・
飲食店に入ると、みさをは食べて食べて食べまくった。
この頃、みさをは「吐く」ようになっていた。トイレで吐いては、また食べる。
そんな行為を繰り返していた。 レバーを回すと何もかもリセット出来るようで気持ちよかった。
みさをはこの旅行で自分のお金を使い切るつもりでいた。
なんとなく、二人共この旅行が終われば会うこともないだろうな、と思っていた。
日本に帰ってきてみさをの食べる量は減ったが、少し太った。
何気ない会話をしながら歩く二人。
ぶわっと鳩が飛び立った。 それをしばらく眺めていた吉田。
「どないしたん。」
あ・・・・。 みさをの頭の上に鳩の糞が乗っていた。 べったりと。
鳩の糞をのっけた女。 少し太った女。 嫌いになるかもしれない、と思った。
「なによ」 「いや、何も」
「もう帰る?」 「おう。」
でも吉田はみさをのことが、まだ好きだった。
今回は手元に本があったので、カンニングしながらまとめてみたんですけど、
あまり大きな起伏のないストーリーなので大変でした。
おかげで長くなってしまいましたが、
全部読んでくれたかたがもしいましたら、本当にありがとうございます。
こちら「地下の鳩」は吉田とみさをの不器用な恋愛模様が描かれています。
次回はサイドストーリーになります「タイムカプセル」です。
感想はその時に書きます!
-----> 後編へ続く
「地下の鳩」 西加奈子
この本は「地下の鳩」と「タイムカプセル」の2本立てになっています。
同じ世界が舞台ですが、違う視点から描かれています。
■地下の鳩(吉田&みさを編)
大阪のミナミ。 大阪は心斎橋周辺の歓楽街のことを、関西の人間は「大阪ミナミ」と呼ぶ。
ミナミのキャバレーで客引きをする男がいた。 名は吉田。 歳は40歳。
暗い目をしたその男は、若い頃こそ先輩と一緒に酒を飲んでは毎日のように喧嘩三昧だったが、
今はこのミナミのキャバレー「ばらもの」で従順に働いていた。
吉田は女にはよく好かれた。 彼は独身だ。
島之内に時折立ち寄る女がいたが、本気のつきあいではなかった。
女の家にはどんなに遅くなっても絶対に泊まることはない。
吉田はもう長い間、女は性の対象くらいにしか思えなくなっていた。
昔からあるキャバレー「ばらもの」はよく流行っている。
吉田は19時から店の外で客引きをした後、24時になるとチーフや黒服が帰り出すので、
ホールの仕事を手伝ったりした。
昔からモテる吉田は店の女から口説かれることもあった。
そして閉店から始発まで従業員数人が店で眠る。 タクシー代を出すのがもったいないからだ。
そうそうにオーナーは金庫を持って帰り、店には盗むものなど何もなかった。
店の鍵を預かる自分は最後に店を出ないといけない。
結局、いいように使われているだけだ。 正直、何が信頼だ!と思った。
ある雨の日・・・・・とある女と出会った。
ホール長から「すまん、ちょっとチョコレート買ってきてくれ月型のやつな」と言われると、
このへんのコンビニエンスストアのような店、「オルテス」にむかった。
途中にはオカマバーのママ、ミミィが客を見定めるように客引きをしていた。
この界隈では知らない人がいないほど有名人だった。
買い物を終え外に出ると、ひとりの女が騒いでいた。
たこ焼き屋の台の下に自転車のカギを落としたというのだ。
女は水商売の女のようだが素人のような髪型に夏物のサンダル、
そしてこの時間から酔っている女に、派遣かなにかのホステスか・・・などと思いながら
吉田もたこ焼きの台をどかすのによいしょっと・・・手伝うと、カギが見つかった。
「ありがとぉ!」 と大げさに女は頭を下げていた。
オカマのミミィは「今度はちゃんとキーホルダーつけときや、こういうの。」とピンクのとさかをふった。
吉田が歩き出すと、ひっかかるものが。
後ろを振り返ると、女が腕をつかみ 「お兄さんも、ありがとぉ♪」 と言った。
女は不思議な顔をしていた。
左右の目の大きさが全然違うのだ。 大きな右目に対して、左目はにゅうっと横に長いだけだった。
しかしそれが絶妙に他のパーツとバランスが取れていて、彼女を可愛らしく見せていた。
また来てな! と女から渡された名刺を見てみると 『郡 チーママ みさを』 を書いていた。
チーママという肩書きに吉田は驚いた。 あんな素人くさい、チーママがいるのかと。
その日から毎日オルテスに寄って買い物しては、自分の店に出勤するようになった。
その途中にある彼女の働く店の入っているビルをチラチラと見るものの、
彼女を見かけることはなかった。
吉田はあの日以来・・・・・彼女の目が焼きついて離れなかった。
そしてついに彼女と再会することになる。
いつものようにオルテスで買い物を終えると・・・・いた!
ミミィと話をしているみさをがそこに。 まだ出勤前の様子のみさををまじまじと眺める。
「お前、カギにキーホルダーはつけたのか?」
吉田はみさをの姿を間近で見て今、ハッキリとこの子に恋をしていることに気づいた。
「店何時までや?」
まるで自分の女にでも話しかけるように聞いた。
「店は2時までやで、仕事終わったらきてよー♪」
「そうか、わかった」
吉田は一度も笑みを見せることなく、踵を返すとその場を去った。
みさをも吉田のことを覚えていた。
その理由は、吉田と同じく「目」だった。
あの日、みさをのことじっと見る目、いや睨んでいたといったほうがいいだろうか。
あそこまでぶしつけに人のことを覗き込む人も珍しかったからだ。
しかし吉田とは違い、恋のはじまりなどとは程遠く、
ただその目が印象に残っていたというだけだった。
ミミィや他の人たちの強烈な個性の前で吉田は「ただ覚えていた」という程度だった。
実際、この後みさをは吉田のことをすぐに忘れた。
みさをは今年で29歳。
学生時代から明るく活発でクラスの人気者だった。
女子からも男子からも好かれていた。
彼女には体の弱い気の弱い妹がいて、両親の悪いところばかり受け継いだような妹に
両親の愛情は自分よりも妹に注がれていることは気付いていたが、
そのような妹を不憫に思うのもあって、何も不満を言うこともなく、
親に心配をかけるようなことをすることもなく、手のかからない子に育った。
みさをは学校の男子から告白されることもたびたびあったが・・・・
彼女が初めて身を捧げたのは数学の教師だった。
その後も会社の妻子持ちの上司など、普通の恋愛でなかったかもしれない。
店ではチーママという肩書きだが、この店で働いて長いわけではない。
以前ここで働いていたママとチーママが結託して店を辞めたのだ。
この業界ではホステスの引き抜きなど、よくあることだった。
そんな時に面接にやってきたのが、みさをだった。
水商売の面接にきちんと履歴書を書いて持ってきたところ、大学を卒業しているところが
オーナーに気に入られ、店に入ってすぐ、チーママになったのだ。
みさをが店に入ると、チーフが先に出勤していた。
チーフは25歳になる女性だが、毛玉のついたセーターにコーデュロイのズボンと化粧っけもなく
水商売の仕事をしているとは思えない格好で出勤してくる。
真面目なチーフは安い時給で朝まで付き合わされ、可哀想に思うこともあった。
みさをの店は2時で閉店だが、オーナーの知り合いなど閉店時間を過ぎても常連客がいる場合、
朝まで付き合わされることはたびたびあった。
その日、店を出たのは2時半ごろだった。
自転車で来ているチーフを見送ると、 「おう。」と、後ろから声をかけられた。
驚いた。 みさをはすっかり忘れていた。 吉田に店に来て、と言ったこともそうだが
存在そのものも、すっかり忘れていたのだ。
「腹、減ったか?」 「お腹? あぁ、うん。すいたわ」
吉田とみさをは近くの寿司屋「さかき」に行った。
小さな店で安いのでいつも混んでいる。
吉田はビールだけ頼むと、食べ物はほとんど口にせず、ひたすら飲んだ。
酒を飲む時は食べない、そういうタイプだった。
それに比べてみさをはよく食べた。
酒を飲んでもいくらでも食べれるタイプだ。
しかし体は店のホステスからうらやましがられるほど細かった。
みさをはほとんど初対面の吉田とこうして寿司を食べてることに、不思議な感覚を覚えながらも
美味そうに寿司をほおばった。
店を出ると4時をまわっていた。
「どこに住んでるんだ?」と聞かれると「谷六よ」と答えた。
みさをは ”きた!” と思った。
すぐさま、タクシーで帰ると言おうとすると・・・
「じゃあな、気をつけてな」とさっと背を向けて立ち去った。
みさをは呆気にとられた。 絶対に ”誘ってくる” と思ったからだ。
対して、吉田は有頂天になっていた。
完全に恋していた。
みさをが自分の金で飯を食い、美味そうに食べてるのを見てるだけで嬉しかった。
それからは二人はたびたび会って食事に行った。
お互いの連絡先を交換したわけではなかったが。そもそも吉田は携帯電話を持っていなかった。
食事代は全て吉田が出した。
イキリ癖のある吉田は過去の話・・・バンド・ライブ・暴力・女・・・
自分が危険でミステリアスな男だというアピールを全力でした。
しかし、悪い男アピールをする男には慣れているみさをは全く興味をしめさなかったが、
吉田はみさをのことが愛おしくてしょうがなかった。
そして毎回食事だけしては帰る、という関係を2ヶ月ほど続けていた。
そんな関係が変わったのは、やはり雨の日だった。
二人が傘をさして歩いていると、傘をぐいと引っ張られる・・・。
吉田が通っていた、島之内の女だ。
「最近、全然来てくれへんやん!」 島之内の女はしゃがれた声だった。
みさをは吉田の腕をふりほどくと、自分の傘をさして歩き出す。
何故だかすごく腹が立った。
この女が吉田の女だ、と思うと無性に腹が立った。
一方、吉田は妬いてくれているみさをを見て嬉しかった。
そしてこの日・・・初めてみさをは自分のマンションに吉田を招く。
二人はとてもぎこちなく、体を重ねた。
吉田はみさをが目が覚める前にマンションを去った。
目が覚めると吉田はいない・・・みさをはどうしたもんだろう・・・と思ったが、
これは事故だ。と思うことにした。
もう会うこともないだろう、と思う予想に反して二人はそれからも会った。
「腹減ったか?」 「減ったわ。」 それが二人の合言葉だ。
必死に何事もなかったように平静を装う吉田に、それを見抜いていたみさをは吉田が可愛く思えた。
いつものように食事に行くと、その日みさをは「飲みにいこうよ!」と
女の子がいる店に行きたいと言い出す。
吉田はホール長の秋山に連れて行ってもらったことのある、クラブに行くことにした。
道中でみさをの店のチーフがいた。
チーフはカメラを片手に写真を撮っていた。
写真家を目指しているんだそうだ。 というのをこの時、みさをも初めて聞いた。
チーフと話してる途中、みさをは「げふっ」とゲップをした。
吉田は、あ・・・嫌いになるかも・・・と思った。
みさをは酔いもあって、二人の写真をチーフに撮ってもらう。
吉田はゲップのことを忘れようとしていた。
クラブに到着すると、美しく着飾られたホステスに囲まれた。
そして、秋山のキープしていたボトルを持ってきてもらうと、
みさをは 「これ誰のん? 新しいやつ持ってきてもらおうよ」 と言った。
吉田は初めてこの女が嫌いになりそうだった。
「でも俺は・・・」 金が無かった。
「いいやん、お金は私出すから」 吉田は死にたいくらい恥ずかしい気持ちになった。
また、みさをも完璧な水商売のホステス達を前に、自分はなんて素人じみてるんだろう
と彼女も辱められてる気持ちになり、酒を酔いつぶれるほど飲んだ。
目が覚めると、そこはみさをの部屋だった。
みさをがシャワーを浴びて部屋にもどると、
「この灰皿、誰のんや?」と過去のみさをの男を気にする、吉田。
その様子を見てるとなんだか優しい気持ちになった。
「吉田さん、可愛い人やね。」
「もう、金が無い。」 ぽろりと涙を流す吉田を、みさをは抱き寄せた。
吉田はその日から「ばらもの」へは行かなくなった。
店の者は連絡のとりようがなかった。
店の鍵は地下鉄の線路に捨て、吉田の面倒はみさをがみた。
みさをが飲みに行きたいというので、店が終わる時間に合わせて外を歩いていると、
通りで男が腹を刺されて血を流していた。
そして取り乱したミミィが叫んでいた。 その姿は醜かった・・・が、逆にとても崇高なものに見えた。
「ミミィさん、俺や。ミミィさん、俺・・・」
興奮するミミィの拳が吉田の右目に飛んできた。
ミミィは警察に連れられていった。 一体、なんだったんだろう・・・
吉田とみさをは香港にきていた。
夏の香港は暑かった・・・・
飲食店に入ると、みさをは食べて食べて食べまくった。
この頃、みさをは「吐く」ようになっていた。トイレで吐いては、また食べる。
そんな行為を繰り返していた。 レバーを回すと何もかもリセット出来るようで気持ちよかった。
みさをはこの旅行で自分のお金を使い切るつもりでいた。
なんとなく、二人共この旅行が終われば会うこともないだろうな、と思っていた。
日本に帰ってきてみさをの食べる量は減ったが、少し太った。
何気ない会話をしながら歩く二人。
ぶわっと鳩が飛び立った。 それをしばらく眺めていた吉田。
「どないしたん。」
あ・・・・。 みさをの頭の上に鳩の糞が乗っていた。 べったりと。
鳩の糞をのっけた女。 少し太った女。 嫌いになるかもしれない、と思った。
「なによ」 「いや、何も」
「もう帰る?」 「おう。」
でも吉田はみさをのことが、まだ好きだった。
今回は手元に本があったので、カンニングしながらまとめてみたんですけど、
あまり大きな起伏のないストーリーなので大変でした。
おかげで長くなってしまいましたが、
全部読んでくれたかたがもしいましたら、本当にありがとうございます。
こちら「地下の鳩」は吉田とみさをの不器用な恋愛模様が描かれています。
次回はサイドストーリーになります「タイムカプセル」です。
感想はその時に書きます!
-----> 後編へ続く