こんにちは、美功です。
今日は少し寂しく、厳しい話です。
あまり書きたくない話の系なので避けていた部分でもあります。
でも、昨日少しそのことを触れたのでがんばって書こうと思いました。
昨日の記事はこちらから
その中で書いたのはこんな内容でした。
この知人は、学生時代の仲間です。
思えばこの知人は、学生時代も、社会人になっても、
待ち合わせの時間に来たことがありませんでした。
学生時代、仲間の間でも、特に気にする人おらず、
そういうもんだと思って、流していました。
知人=時間通りにこない
という認識になっていたのです。
しかし社会人になって何年も過ぎると、
違和感がだんだんと膨れ上がってきたのでした。
そして、最後に上の枠内にかいたように、何時間も待たされたあげく
やっと会えても、他人との電話で、
私の存在は無いに等しい状態でした。
それでも、「知人=時間通りにこないのが普通」という認識で
特に問題を感じたり、怒りを感じることはなかったのです。
「何かがおかしいな」
と思っても、それ以上感情は進みませんでした。
それからしばらくして、別の仲間がやはりその知人
と会うことになったのですが
やはり、同じような扱いだったそうなのです。
これには驚き、初めて怒りが湧いてきました。
自分にされたことは、それほどでもなかったのですが
他の人にされていることを知り、
あきらかに変だとわかったのです。
今思えば、知人は無意識に
他人の時間を奪うことで、優位性を保つ
周囲の人間を試していた
のではないかと思います。
知人は学生時代からも含めて
沢山の仲間の時間を奪い続けていました。
でもそれを許したのも私であり、仲間でした。
長時間、待たせたり、電話で話し続けて放置した
知人が悪いと感じる方もいると思いますが
実際、私も悲しかったですし、
後で、同じことをほかの仲間にしたのをきいて腹も立ちました。
しかし、本当に知人だけが悪いのかというと、そうでもないことに気づけます。
上記の枠の中で数字をふりましたが
この①~③は、すべて受け身です。
ここに人間関係を見直す部分があるのです。
①…誘われなければいかなかったと思います。
もう長年、私からその知人に連絡をしたり、会おうと思うことはなかったのです。
自分から会いたいと思えない人に、
わざわざ会いに行って、何を期待したのかということです。
②…喫茶店で2時間も待たされてる間に、
考えを変えて、帰ることもできたのです。
③…私だったら、お客様が着ていたら、目の前の人を優先し、
電話の方にはあと出かけなおすか、
用事をできるだけ簡略にすまそうと思いますが
それは、あくまで自分の考えなのです。
相手を自分の価値観を押し付けたり、
相手を変えようとしても無理なんですね。
やはり、電話でお忙しいのなら~とさっさとお暇したほうがよかったのです。
その出来事の起きた時は気づけませんでしたが
今、こうして書いてみるととてもよくわかります。
時間は有限です。
とても貴重なものです。
このブログを読んでいるあなたはよくご存じだと思います。
他人の時間も、私の時間も大事です。
お互いに気持ちの良い時間を過ごせるようにするのが理想です。
なので、受け身ばかりでなく
自分自身がどうしたいか、自分で決定すればよいのです。
私も気づくのに大変な時間を費やしました。
それと同時に、私自身も、無意識に、誰かの大切な時間を
奪っていたのかもしれないなと気付けました。
それから一層、
私と会ってくださる方、
私のブログを読んでくださる方、
貴重な時間をくださり、ありがとうございますと
心から感謝するようになれました。
気づくのは遅かったですが
大切なことを意識できることになったのでよかったのかもしれません。
本当に読んでいただいて、ありがとうございます