便宜上、カテゴリーを「本」にしていますが
読書感想でも観劇評でないです、私の感じたことなので、興味の無い人はスルーの方向で。
すごく長い上に、暗くて、説教っぽいです。精神的な話ばっかりです。
それでもいいと思う方、時間がある方は読んでくださいね。
****
子どもの頃に「ああ無情」を見たり、読んだりして残った印象は、
「幼い子が意地悪なあずけられた家で不当な扱いをうけまくる」
「パンを盗んだだけで19年牢獄に入れられた不遇な男の人の話」ということだった。
小学生の時にも学校の先生からジャン・バルジャンのことは説明を受けたと思い出した。
小さすぎて「なんでパンを盗んだだけで19年も」とそこばっかり印象に残ってしまいました。
成人したころ、親友が彼氏に初デートに誘われて「レ・ミゼラブル」を見に行くと聞いて、
親友たちとともに驚いた(彼氏はバリバリ体育会系なのだった)のだが、
「そうか~ミュージカルあるんだ~へ~でもきっとかわいそうな話だろうしな、私はいいや」と終わりました。
それから10年以上過ぎてから、友人につきあって見に行ったら、
確かに可哀想な話なんだけど、印象は全然違っていた。
「いい話」だった。
そして原作を慌てて読む。
この年齢で、この時に見たから、とっても良かったんだと思います。
銀の食器を盗んだジャン・バルジャンを庇い「これは彼にあげたものです」といってさらに燭台まで渡して
「あなたの魂を買った」という神父さんの姿勢が素晴らしすぎて、
フィクションだけど、私が理想とする聖職者そのものの姿です。
原作では、ミュージカルみたいにその日からバルが真人間になるわけではないのですが、そこがまたいいんです。
そして神父さんは、バルジャンを信じているし、全く責めたりしない。
もしバルジャンがその後、自分の意に添う行動をしなくっても、きっと神父さんは責めたりはしなかったでしょう。
神父さんは、きっとどんなことがあっても、バルジャンの為に祈ったでしょう。
彼が自分の真実神の御心に添う人間になれるように、祈るだけです。
決して、矯正したり、ののしったり、責めたりしないのです。
ただひたすら、祈るだけです。
人を変えるのは、言葉や物などではないのです。
すんなりとはいかなかったけど、いろいろあって、
バルジャンは、そっから頑張って普通の人並以上の暮らしを手に入れるのだけど、
もちろんかなり世のため人のために働いてしまう。命をかけたりもする。
でもちっともメデタシメデタシにならない。
地獄の番犬みたいなジャベールが決して見逃さないし、次々と偶然が重なってピンチが訪れる。
フィクションだから、当たり前かもしれません。次々とアクシデントが起きないと物語にならないからね。
でも、これを見ていてふと感じたことがありました。
真面目に信仰している人たちと触れ合って、彼らから話を沢山聴く機会があったのですが、似てるんですね。
日本人は無宗教というか信仰を持ってないとはっきり言う人が多いと思いますが、
お正月には初詣に、受験の時などに祈願に行ったりするわけです。
そしていろんな人生のピンチでもお賽銭を入れて頼んだりする事が多いと思います。
稀に聞いて貰えた!という方もいるし、そうでない人もいる。
さらに新興宗教などでは、これだけのお供えや何事かをしたら、
なんらかの結果を保証してくれるらしいことを言うところもある。
でも、バルジャンの様子を見ていたら、明らかにそれとは逆行している気がします。
バルジャンも、信仰を持ち、人々のために尽くしたはずですが、どんどんハードルが高くなっていくのです。
あれ~?という感じですよね。
そしてわが身を振り返るわけです。私も長らくの持病に、時々負けそうになりました。
結構、真面目に生きてきたと思うんだけど、病気はちっともよくならないし、挙句の果てに無職です。
信仰に励めば治ると信じていたし、余計ショックだった。
天職だと思った仕事は多分、一生もうできません。
なんと不幸なことかと思わないではない。
この年齢してもうなんの希望も無いわ・・と思っていました。
家族がいるからいいじゃないとか言う人もいるけど、
とても世話になれる状況ではありません。私のプライドも邪魔します。
というか病気があまりにも辛くて、もうなんで生きてるのかすらよくわからない感じでかなりヤバかった。
(ほぼ24時間動けず、寝ているのか起きてるのかもよくわかならい状態だったらおかしくもなるわな)
自殺する気力もなく、ただひたすら生ける屍と言った感じで・・
それでも、約束してた舞台の日が迫るとなんとかでかけられて、我ながらすごい!と思ったな~
でも今になって思うと、本当にあんな状態でよくでかけたなと思う、今なら行かない。
日記なども普通に書いているところもあるし、私って二面性がそ~と~キツイのかもね。
というか、自分の辛いこととか、悲しいこととか、なんでも他人にダダモレというのもおかしいよね。
そんな人嫌われると思うし。
仲良くしたい人って、いつも機嫌がよくて(本当は辛いことがあってもですよ)人に優しい人じゃない?
自分が辛いからこそ、他人には優しく出来る人、そんな人に私はなりたいし、仲良くするならそんな人がいい。
私は少なくともそうです。
ま、本当に人生何度目かのヤバい状態だったのですが、
だからといってどうにもならないので、本当にひたすら横になっている状態だったわけです。
そんな中、1人の友人が電話くれて、ひたすら「治る」て言うんです。
単なる励ましとやや斜に構えた受け取り方でありつつ、
でも、そうかな、よくなるかもね。という気持ちにもなってくるんですね。
やっぱり嘘でもいいから前向きな気持ちになれる言葉は大事です、
とにかくその友人の気持ちが嬉しかったし、私は彼女のおかげで、少し上向きになれたのです。
で現在悪くなっても、あの時の友人の言葉を思い出して、何度かもうあそこまでヤバい状態にはならずにきたのです。
それと友人の励ましと同時期に、
講習の時のクラスメイトから手紙が届いたんですが、
そこには私になどより大変な目に遭ってる人が明るく元気に生きていることが書かれていました。
なんというタイミングかと、驚きました。
日記にも書いたけど、そこで自分のダメなところを再認識して、反省して変わっていきました。
そして改めてバルジャンの苦難に立ち向かう姿を見て、納得できたことがある。
神様はその人が成長するために、その人が越えなくてはならない、越えられるべき試練を与えてくれるんだな~と。
バルジャンはすごく悩むんです。ミュージカルではアッサリ描かれているけど、原作ではイラ~とくるくらい悩むんです。
当然です。自分の命がかかってるんだもの。それは本当に、悪いカツオと良いカツオの間でゆれる状態です。
結局は悪の誘いに乗らず、神様の心に添った答えを選ぶんですよ。
4巻では、自ら一番の幸せ、望みを遠ざけます。
それは過去に自分が犯した過ちゆえに、その望みが壊れないためにです。
バルジャンは、コゼットやマリウス、そしてジャベール。
沢山の人たちを助けてきました。暮らしだけでなく命までもです。
でも、それでも過去に犯した過ちは許してくれません。自分が許さないのです。
もういいじゃない?と見ているこちらやマリウスは言うにしても、自分が許さないのです。
何より、きっと事情を知るものは許しても、何も知らない人たちは、
バルジャンの過去を知ったら今までのようにはいきません。それをよく知ってるのです。
私は若い頃から1つの失敗を挽回しようとしたら、100回成功しなくてはなかなか塗り替えられないと思っていました。
それが罪ならもっとかもしれません。
それほど世間は、人の世は厳しいということです。
だから、最初から失敗を恐れるのだし、ごく普通に生きて生きたいと思ってる人は罪などをおかさないようにしているのだと思います。
バルジャンには最後、神様の親切によって救いがあります。
でも、それはバルジャンだからこそ、思えたことです。
「神は親切であらるる証拠だ」とコゼットにいいます。
今わの際で、愛するコゼットに会えたことが親切で、その場でもマリウスに許しを感謝するのです。
人生はこんな風に絶えず試練を与えられて、悩みっぱなしで、当たり前なんだな~と思えた。
伝説の頃から聖者ってエラい目にあってるしね。徳が高くなればなるほど、そのレベルもあがっていくってことでしょうか。
怖い。平凡でいいや、こんくらいの病気で弱音吐いてる私ですから、無理です。
「なんで自分ばっかりこんなめに・・」とか「こんなに尽くしたのに(人も神様も)
私のいう事を何も聞いてくれない」と言う人の多い世の中ですが、そうではないんだな、とうっすらわかった気がします。
もともと、熱心に信仰している祖母を見ていて、なるほどこれくらい信仰を持ち続けているから、
こういうお助けもあるときあるんだな~と思うことはあるのですが、それも万能ではありません。
(しかも祖母はいつも他人のタメに尽くしている、自分の事を祈ったりはほとんどしていない)
神様は試練と同時に、その試練を乗り越えるヒントも与えてくれるんだと思うのですが、それに気付けない人のほうが多いのでしょう。
今、私もこんなことを悟ったように書いていますが、明日にはまたダメになってるかもしれません。
これからもずっとこうして行きつもどりつの繰り返しでしょうね。
結局、宗教系の話になってしまいました。すみません。
でも、「レ・ミゼラブル」のユゴーは本当に文豪なんだな~と改めて感心したのです。
欧米の文学は宗教的背景を知ると、さらにいろいろ理解は深まるというのがわかる気がします。
(もちろん私はキリスト教とかには詳しくないので、あくまで気がするのですが)
と書きつつ、こちらの動画を見ました。
訳詞を見たほうが、より理解が深まるかもしれません。
すごく納得しました。
レ・ミゼラブル 10周年記念コンサート(13/14)‐ニコニコ動画(ββ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm462938
人を愛する事は、神様に近づく事。
すごく難しいことですよね。
バルジャンのように、人を愛する事は・・
そしてこの世の中のほとんどの人ができていません。
死を肯定する意味でなく、バルジャンのように、精一杯生きて、
試練に打ち勝った人には鎖を断ち切ってこの与えられた体とサヨナラできるってことですね。
まずは精一杯生きる事ですね。
繰り返しですが、
「なんで自分ばっかりこんなめに・・」とか
「こんなに尽くしたのに(人も神様も)私のいう事を何も聞いてくれない」と
言う人の多い世の中ですが、そうではないと思います。
他人を責めてられる間は幸せだと思います。
また他人を責めている人とは仲間だとは思えないでしょう。
自分の至らない点をどこまでも深く深く見つめてこそ、初めて少しは世界が見えてくるのだと思います。
最後まで読んでくれた方がいてくれたら、感謝します。
ありがとうございます。
--------------------------
2009-06-18 23:32:56レ・ミゼラブル(3)読了
2009年06月17日17:23
バルジャンに活を入れられ、マリユスとコゼットの愛にうっとりする巻でした。
ミュージカルでいうと、マリウスとコゼットが心を通わせ、エポニーヌがテナルディエたちがバルジャンの家に踏み込むのを阻止するくらいまでが描かれていました。
ネタばれなので、これから読む人は回避願います。
***
バルジャンに活を入れられる。
バルジャンは街で、モンパルナスという19歳の無頼漢に襲われますが、もちろん腕っ節の強いバルジャンはそれを返り討ちに。
そして、そのモンパルナスに獄中での生活を語り、諭し、有り金を渡します。
329p
「何もしないことは、痛むべき方針だ。わかるだろうね。社会の財産をあてにしてなまけて暮らすこと、何の役にも立たない生活を送ること、言いかえれば有害な生活をすること、それは人を真っ逆様に悲惨のどん底に投げ込んでしまう~略~ああお前は働く事を好まない、うまい酒を飲み、うまいものを食い、楽に寝ていたいという考えきり持っていない。」
もちろん私は強盗はしませんが、そして好きでなまけているわけではないのですが、心の片隅に「楽に暮らしたい」と思ってるので、バルジャンに申し訳ない気持ちに。
「うまいコーヒーを飲み、うまい食い物を食い、楽に寝ていたい」と思わないではない。
仕事をしていると、真面目な働き者と言われるけど、本音はそんなものなので、いつも「違うのにな~」と思っていました。
基本は怠け者です。1年近く無職だし、10年もあの魔窟にいたので、再就職がすごく怖いです。
でも、やはりがんばらないとね。
マリウスとコゼットの純愛にうっとり。
理想の恋愛って、これよね~と思った。
「彼らはかかる守歌に揺られながら目を開いたまま眠っていた。理想によって圧倒されたる現実の光輝ある昏睡であった。
時とすると、コゼットの美しさにもかかわらず、マリユスはその前に目をふさいだ。目をふさぐのは魂をながむる最上の方法である。
マリユスもコゼットも、かくしてついにはどこに導かれんとするかを自ら尋ねなかった。彼らは既に到達したものと自ら思っていた。愛が人をどこかに導かんことを望むのは。人間の愚かなる願いである。」
久しぶりにうらやましいな~と思う恋物語を「レミゼ」で見られるとは思いませんでした。
改めてミュージカルって本当に、よく脚色してまとめているな~と感心しました。
これほどの大作だから、どうしても唐突に感じてしまう場面もあるのですけど、こうして読んでいると、原作とミュージカルの相乗効果で胸が痛くなるくらい感じ入ります。
テナルディエ一家は、この物語に深く深く根を広げている、影の主役なんだな~と改めて思いました。
テナルディエ一家の子どもの悲劇は、原作でないとこれほどわからないですね。
子どもはエポニーヌだけでないのは1巻でわかるんですけど、3巻でさらに新事実が!!
そしてそんなもはや人間のレベルではない親子関係もあれば、現代にも通じるマリウスの親子関係の悲哀。
どんなに愛情があっても、それを態度や言葉にしめさなくては、相手にはわかってもらえません。
でも、そもそも自分の愛情こそが全てで、それしかないと思っている人には、最初から子どもの愛情を得るチャンスはないのかもしれませんね。
マリウスを心から愛している祖父だけど、自分のプライドが高すぎて、再びマリウスを失い、二度と取り戻せないんだろうという場面があり、これは親子などに限らず、いろんな人間関係に当てはまると思いました。
相変らず、歴史や解説がエピソードの間に必ず入るので、じっくり読むと時間がかかりますが、本筋に入るとさっさと読めます(^^;)
さていよいよ最終巻です。
------------------------
レ・ミゼラブル第2巻 2009年05月13日09:49
前の職場で仕入れた「岩波ジュニア文庫版」で読んで、あまりにも面白かったので
これは普通の文庫で読まなくては!と思いまして、買いましたが何年経過したでしょう。
4巻セットですがやっと2巻を読み終えました。
読んでも読んでも進まないんだな、これがw
611ページで太いので持ち歩くのもはばかられるし、
ジュニア版にはない物語の筋に直接関係ないその時代の政治や風習、そして市民の生活や歴史もいっぱいはさんであるのです。
わかんないことがあったら、注釈もあるけど、今はPCもあるし、すぐ調べられて便利ですよね。ですが本当に時間かかるのね~
肝心のバルジャンやコゼットのところいなると、ゆっくりゆっくり読みたくなるし・・
でも、2巻の途中からついに「マリユス」が登場。
「マリユス」は舞台と境遇がちょっとどころかかなり違うというか詳しいのかな・・
そして「マリユス」の人物造詣はジュニア版ではかなりはしょっていたので、本当にこちらを読んでよかったです。
深いです。でも舞台で描かれている不器用で、まっすぐな部分はそのまんまです。
で驚いたのが「アンジョーラ」。どんだけ美形やねん!どんだけ有能やねん!
もう天使のごとくの美貌ですよ。BL小説もかくやなんて失礼だけど、とにかくアンジョがどれほど美しく、人をひきつけるか、ず~~~と書いてある!
なんか意外でした。
とにかく楽しいです。
読書、最近本当に時間かかるようになったけど、やっぱり楽しいね。
読書感想でも観劇評でないです、私の感じたことなので、興味の無い人はスルーの方向で。
すごく長い上に、暗くて、説教っぽいです。精神的な話ばっかりです。
それでもいいと思う方、時間がある方は読んでくださいね。
****
子どもの頃に「ああ無情」を見たり、読んだりして残った印象は、
「幼い子が意地悪なあずけられた家で不当な扱いをうけまくる」
「パンを盗んだだけで19年牢獄に入れられた不遇な男の人の話」ということだった。
小学生の時にも学校の先生からジャン・バルジャンのことは説明を受けたと思い出した。
小さすぎて「なんでパンを盗んだだけで19年も」とそこばっかり印象に残ってしまいました。
成人したころ、親友が彼氏に初デートに誘われて「レ・ミゼラブル」を見に行くと聞いて、
親友たちとともに驚いた(彼氏はバリバリ体育会系なのだった)のだが、
「そうか~ミュージカルあるんだ~へ~でもきっとかわいそうな話だろうしな、私はいいや」と終わりました。
それから10年以上過ぎてから、友人につきあって見に行ったら、
確かに可哀想な話なんだけど、印象は全然違っていた。
「いい話」だった。
そして原作を慌てて読む。
この年齢で、この時に見たから、とっても良かったんだと思います。
銀の食器を盗んだジャン・バルジャンを庇い「これは彼にあげたものです」といってさらに燭台まで渡して
「あなたの魂を買った」という神父さんの姿勢が素晴らしすぎて、
フィクションだけど、私が理想とする聖職者そのものの姿です。
原作では、ミュージカルみたいにその日からバルが真人間になるわけではないのですが、そこがまたいいんです。
そして神父さんは、バルジャンを信じているし、全く責めたりしない。
もしバルジャンがその後、自分の意に添う行動をしなくっても、きっと神父さんは責めたりはしなかったでしょう。
神父さんは、きっとどんなことがあっても、バルジャンの為に祈ったでしょう。
彼が自分の真実神の御心に添う人間になれるように、祈るだけです。
決して、矯正したり、ののしったり、責めたりしないのです。
ただひたすら、祈るだけです。
人を変えるのは、言葉や物などではないのです。
すんなりとはいかなかったけど、いろいろあって、
バルジャンは、そっから頑張って普通の人並以上の暮らしを手に入れるのだけど、
もちろんかなり世のため人のために働いてしまう。命をかけたりもする。
でもちっともメデタシメデタシにならない。
地獄の番犬みたいなジャベールが決して見逃さないし、次々と偶然が重なってピンチが訪れる。
フィクションだから、当たり前かもしれません。次々とアクシデントが起きないと物語にならないからね。
でも、これを見ていてふと感じたことがありました。
真面目に信仰している人たちと触れ合って、彼らから話を沢山聴く機会があったのですが、似てるんですね。
日本人は無宗教というか信仰を持ってないとはっきり言う人が多いと思いますが、
お正月には初詣に、受験の時などに祈願に行ったりするわけです。
そしていろんな人生のピンチでもお賽銭を入れて頼んだりする事が多いと思います。
稀に聞いて貰えた!という方もいるし、そうでない人もいる。
さらに新興宗教などでは、これだけのお供えや何事かをしたら、
なんらかの結果を保証してくれるらしいことを言うところもある。
でも、バルジャンの様子を見ていたら、明らかにそれとは逆行している気がします。
バルジャンも、信仰を持ち、人々のために尽くしたはずですが、どんどんハードルが高くなっていくのです。
あれ~?という感じですよね。
そしてわが身を振り返るわけです。私も長らくの持病に、時々負けそうになりました。
結構、真面目に生きてきたと思うんだけど、病気はちっともよくならないし、挙句の果てに無職です。
信仰に励めば治ると信じていたし、余計ショックだった。
天職だと思った仕事は多分、一生もうできません。
なんと不幸なことかと思わないではない。
この年齢してもうなんの希望も無いわ・・と思っていました。
家族がいるからいいじゃないとか言う人もいるけど、
とても世話になれる状況ではありません。私のプライドも邪魔します。
というか病気があまりにも辛くて、もうなんで生きてるのかすらよくわからない感じでかなりヤバかった。
(ほぼ24時間動けず、寝ているのか起きてるのかもよくわかならい状態だったらおかしくもなるわな)
自殺する気力もなく、ただひたすら生ける屍と言った感じで・・
それでも、約束してた舞台の日が迫るとなんとかでかけられて、我ながらすごい!と思ったな~
でも今になって思うと、本当にあんな状態でよくでかけたなと思う、今なら行かない。
日記なども普通に書いているところもあるし、私って二面性がそ~と~キツイのかもね。
というか、自分の辛いこととか、悲しいこととか、なんでも他人にダダモレというのもおかしいよね。
そんな人嫌われると思うし。
仲良くしたい人って、いつも機嫌がよくて(本当は辛いことがあってもですよ)人に優しい人じゃない?
自分が辛いからこそ、他人には優しく出来る人、そんな人に私はなりたいし、仲良くするならそんな人がいい。
私は少なくともそうです。
ま、本当に人生何度目かのヤバい状態だったのですが、
だからといってどうにもならないので、本当にひたすら横になっている状態だったわけです。
そんな中、1人の友人が電話くれて、ひたすら「治る」て言うんです。
単なる励ましとやや斜に構えた受け取り方でありつつ、
でも、そうかな、よくなるかもね。という気持ちにもなってくるんですね。
やっぱり嘘でもいいから前向きな気持ちになれる言葉は大事です、
とにかくその友人の気持ちが嬉しかったし、私は彼女のおかげで、少し上向きになれたのです。
で現在悪くなっても、あの時の友人の言葉を思い出して、何度かもうあそこまでヤバい状態にはならずにきたのです。
それと友人の励ましと同時期に、
講習の時のクラスメイトから手紙が届いたんですが、
そこには私になどより大変な目に遭ってる人が明るく元気に生きていることが書かれていました。
なんというタイミングかと、驚きました。
日記にも書いたけど、そこで自分のダメなところを再認識して、反省して変わっていきました。
そして改めてバルジャンの苦難に立ち向かう姿を見て、納得できたことがある。
神様はその人が成長するために、その人が越えなくてはならない、越えられるべき試練を与えてくれるんだな~と。
バルジャンはすごく悩むんです。ミュージカルではアッサリ描かれているけど、原作ではイラ~とくるくらい悩むんです。
当然です。自分の命がかかってるんだもの。それは本当に、悪いカツオと良いカツオの間でゆれる状態です。
結局は悪の誘いに乗らず、神様の心に添った答えを選ぶんですよ。
4巻では、自ら一番の幸せ、望みを遠ざけます。
それは過去に自分が犯した過ちゆえに、その望みが壊れないためにです。
バルジャンは、コゼットやマリウス、そしてジャベール。
沢山の人たちを助けてきました。暮らしだけでなく命までもです。
でも、それでも過去に犯した過ちは許してくれません。自分が許さないのです。
もういいじゃない?と見ているこちらやマリウスは言うにしても、自分が許さないのです。
何より、きっと事情を知るものは許しても、何も知らない人たちは、
バルジャンの過去を知ったら今までのようにはいきません。それをよく知ってるのです。
私は若い頃から1つの失敗を挽回しようとしたら、100回成功しなくてはなかなか塗り替えられないと思っていました。
それが罪ならもっとかもしれません。
それほど世間は、人の世は厳しいということです。
だから、最初から失敗を恐れるのだし、ごく普通に生きて生きたいと思ってる人は罪などをおかさないようにしているのだと思います。
バルジャンには最後、神様の親切によって救いがあります。
でも、それはバルジャンだからこそ、思えたことです。
「神は親切であらるる証拠だ」とコゼットにいいます。
今わの際で、愛するコゼットに会えたことが親切で、その場でもマリウスに許しを感謝するのです。
人生はこんな風に絶えず試練を与えられて、悩みっぱなしで、当たり前なんだな~と思えた。
伝説の頃から聖者ってエラい目にあってるしね。徳が高くなればなるほど、そのレベルもあがっていくってことでしょうか。
怖い。平凡でいいや、こんくらいの病気で弱音吐いてる私ですから、無理です。
「なんで自分ばっかりこんなめに・・」とか「こんなに尽くしたのに(人も神様も)
私のいう事を何も聞いてくれない」と言う人の多い世の中ですが、そうではないんだな、とうっすらわかった気がします。
もともと、熱心に信仰している祖母を見ていて、なるほどこれくらい信仰を持ち続けているから、
こういうお助けもあるときあるんだな~と思うことはあるのですが、それも万能ではありません。
(しかも祖母はいつも他人のタメに尽くしている、自分の事を祈ったりはほとんどしていない)
神様は試練と同時に、その試練を乗り越えるヒントも与えてくれるんだと思うのですが、それに気付けない人のほうが多いのでしょう。
今、私もこんなことを悟ったように書いていますが、明日にはまたダメになってるかもしれません。
これからもずっとこうして行きつもどりつの繰り返しでしょうね。
結局、宗教系の話になってしまいました。すみません。
でも、「レ・ミゼラブル」のユゴーは本当に文豪なんだな~と改めて感心したのです。
欧米の文学は宗教的背景を知ると、さらにいろいろ理解は深まるというのがわかる気がします。
(もちろん私はキリスト教とかには詳しくないので、あくまで気がするのですが)
と書きつつ、こちらの動画を見ました。
訳詞を見たほうが、より理解が深まるかもしれません。
すごく納得しました。
レ・ミゼラブル 10周年記念コンサート(13/14)‐ニコニコ動画(ββ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm462938
人を愛する事は、神様に近づく事。
すごく難しいことですよね。
バルジャンのように、人を愛する事は・・
そしてこの世の中のほとんどの人ができていません。
死を肯定する意味でなく、バルジャンのように、精一杯生きて、
試練に打ち勝った人には鎖を断ち切ってこの与えられた体とサヨナラできるってことですね。
まずは精一杯生きる事ですね。
繰り返しですが、
「なんで自分ばっかりこんなめに・・」とか
「こんなに尽くしたのに(人も神様も)私のいう事を何も聞いてくれない」と
言う人の多い世の中ですが、そうではないと思います。
他人を責めてられる間は幸せだと思います。
また他人を責めている人とは仲間だとは思えないでしょう。
自分の至らない点をどこまでも深く深く見つめてこそ、初めて少しは世界が見えてくるのだと思います。
最後まで読んでくれた方がいてくれたら、感謝します。
ありがとうございます。
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2009-06-18 23:32:56レ・ミゼラブル(3)読了
2009年06月17日17:23
バルジャンに活を入れられ、マリユスとコゼットの愛にうっとりする巻でした。
ミュージカルでいうと、マリウスとコゼットが心を通わせ、エポニーヌがテナルディエたちがバルジャンの家に踏み込むのを阻止するくらいまでが描かれていました。
ネタばれなので、これから読む人は回避願います。
***
バルジャンに活を入れられる。
バルジャンは街で、モンパルナスという19歳の無頼漢に襲われますが、もちろん腕っ節の強いバルジャンはそれを返り討ちに。
そして、そのモンパルナスに獄中での生活を語り、諭し、有り金を渡します。
329p
「何もしないことは、痛むべき方針だ。わかるだろうね。社会の財産をあてにしてなまけて暮らすこと、何の役にも立たない生活を送ること、言いかえれば有害な生活をすること、それは人を真っ逆様に悲惨のどん底に投げ込んでしまう~略~ああお前は働く事を好まない、うまい酒を飲み、うまいものを食い、楽に寝ていたいという考えきり持っていない。」
もちろん私は強盗はしませんが、そして好きでなまけているわけではないのですが、心の片隅に「楽に暮らしたい」と思ってるので、バルジャンに申し訳ない気持ちに。
「うまいコーヒーを飲み、うまい食い物を食い、楽に寝ていたい」と思わないではない。
仕事をしていると、真面目な働き者と言われるけど、本音はそんなものなので、いつも「違うのにな~」と思っていました。
基本は怠け者です。1年近く無職だし、10年もあの魔窟にいたので、再就職がすごく怖いです。
でも、やはりがんばらないとね。
マリウスとコゼットの純愛にうっとり。
理想の恋愛って、これよね~と思った。
「彼らはかかる守歌に揺られながら目を開いたまま眠っていた。理想によって圧倒されたる現実の光輝ある昏睡であった。
時とすると、コゼットの美しさにもかかわらず、マリユスはその前に目をふさいだ。目をふさぐのは魂をながむる最上の方法である。
マリユスもコゼットも、かくしてついにはどこに導かれんとするかを自ら尋ねなかった。彼らは既に到達したものと自ら思っていた。愛が人をどこかに導かんことを望むのは。人間の愚かなる願いである。」
久しぶりにうらやましいな~と思う恋物語を「レミゼ」で見られるとは思いませんでした。
改めてミュージカルって本当に、よく脚色してまとめているな~と感心しました。
これほどの大作だから、どうしても唐突に感じてしまう場面もあるのですけど、こうして読んでいると、原作とミュージカルの相乗効果で胸が痛くなるくらい感じ入ります。
テナルディエ一家は、この物語に深く深く根を広げている、影の主役なんだな~と改めて思いました。
テナルディエ一家の子どもの悲劇は、原作でないとこれほどわからないですね。
子どもはエポニーヌだけでないのは1巻でわかるんですけど、3巻でさらに新事実が!!
そしてそんなもはや人間のレベルではない親子関係もあれば、現代にも通じるマリウスの親子関係の悲哀。
どんなに愛情があっても、それを態度や言葉にしめさなくては、相手にはわかってもらえません。
でも、そもそも自分の愛情こそが全てで、それしかないと思っている人には、最初から子どもの愛情を得るチャンスはないのかもしれませんね。
マリウスを心から愛している祖父だけど、自分のプライドが高すぎて、再びマリウスを失い、二度と取り戻せないんだろうという場面があり、これは親子などに限らず、いろんな人間関係に当てはまると思いました。
相変らず、歴史や解説がエピソードの間に必ず入るので、じっくり読むと時間がかかりますが、本筋に入るとさっさと読めます(^^;)
さていよいよ最終巻です。
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レ・ミゼラブル第2巻 2009年05月13日09:49
前の職場で仕入れた「岩波ジュニア文庫版」で読んで、あまりにも面白かったので
これは普通の文庫で読まなくては!と思いまして、買いましたが何年経過したでしょう。
4巻セットですがやっと2巻を読み終えました。
読んでも読んでも進まないんだな、これがw
611ページで太いので持ち歩くのもはばかられるし、
ジュニア版にはない物語の筋に直接関係ないその時代の政治や風習、そして市民の生活や歴史もいっぱいはさんであるのです。
わかんないことがあったら、注釈もあるけど、今はPCもあるし、すぐ調べられて便利ですよね。ですが本当に時間かかるのね~
肝心のバルジャンやコゼットのところいなると、ゆっくりゆっくり読みたくなるし・・
でも、2巻の途中からついに「マリユス」が登場。
「マリユス」は舞台と境遇がちょっとどころかかなり違うというか詳しいのかな・・
そして「マリユス」の人物造詣はジュニア版ではかなりはしょっていたので、本当にこちらを読んでよかったです。
深いです。でも舞台で描かれている不器用で、まっすぐな部分はそのまんまです。
で驚いたのが「アンジョーラ」。どんだけ美形やねん!どんだけ有能やねん!
もう天使のごとくの美貌ですよ。BL小説もかくやなんて失礼だけど、とにかくアンジョがどれほど美しく、人をひきつけるか、ず~~~と書いてある!
なんか意外でした。
とにかく楽しいです。
読書、最近本当に時間かかるようになったけど、やっぱり楽しいね。