今日、8月15日は終戦の日。

 

山口では、広島と長崎の原爆の日、終戦の日も

サイレンが鳴りましたが

最近ではサイレンが鳴らない都市も多いようですね。

 

 

私は、数年前まで、祖父と二人暮しをしていましたが、

祖父がよく戦争のことを語っていました。

 

ほんの50年くらい、生まれた時が違うだけで、

こうも違う人生が待っているとは・・・。

 

 

 

 

父方の祖父は、

戦争に行っています。

 

 

母方の祖父は、

原爆が落ちた日に広島県内にいて、

きのこ雲を目にし、

翌日には広島市内を訪れたそうです。

 

肉眼で目にしたその光景は、

多くは語りませんでしたが、

85歳を過ぎても、鮮明に脳裏に焼き付いているようでした。

 

 

私と祖父は、ほんの50数年の差。

 

たった少しの差で、

まったく違う時代背景。

 

 

今、戦争のない日本に住んでいるありがたさを痛感しています。

 

だからこそ、

生かされている命を大切に

生きていられる時間を大切に

今日も明日も生きていきます。

 

 

どうか、これからますます

平和な世界となりますように。

 

 

 

私にできることは、

祈ることと

一人ひとりの心の平和を伝えていくこと。

 

 

 

小林麻耶さんがブログで

回天特攻隊員の遺書を投稿されていましたので、

シェアさせていただきます。

 

 

山口県周南市に、人間魚雷回天の訓練基地がありました。

もう、2度とこんな悲劇は起きないように心からお祈りいたします。

 

 

いつもは、幸せへのアクセスを。

でも、今日だけは、過去の悲しみに祈りを。

 

 

 

 

 

以下、小林麻耶さんのブログより

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《18歳 回天特攻隊員の遺書》

を 記させていただきます。



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お母さん、
私は後3時間で祖国のために散っていきます。  




胸は日本晴れ。 
本当ですよお母さん。
少しも怖くない。  


しかしね、
時間があったので考えてみましたら、
少し寂しくなってきました。



それは、
今日私が戦死する、通知が届く。 
お父さんは男だからわかっていただけると思います。  


が、お母さん。 



お母さんは女だから、
優しいから、
涙が出るのでありませんか。



弟や妹たちも
兄ちゃんが死んだといって
寂しく思うでしょうね。 
 


お母さん。 

こんなことを考えてみましたら、
私も人の子。やはり寂しい。 



しかしお母さん。 
考えて見てください。 
 

 


今日私が、
特攻隊で行かなければ、
どうなると思いますか。  



戦争は
この日本本土まで迫って、
この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。



母さん


今日私が特攻隊で行かなければ、
年をとられたお父さんまで、
銃をとるようになりますよ。


だからね、お母さん。  


今日私が戦死したからといって
どうか涙だけは耐えてくださいね。


でもやっぱりだめだろうな。 
お母さんは優しい人だから。  



お母さん、

私はどんな敵だって怖くはありません。


私が一番怖いのは、
母さんの涙です。



18歳
回天特攻隊の遺書