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神経症(境界線パーソナリティ障害寄)*と向き合う

自ら名付けた幼く脆い私、

『リヴァ』と真正面から向かい合うブログ。


地元を離れ、己の心と闘い治療していく日々を綴ります。


『これ以上、大事な人も、私も、誰も傷つけない。』
『約束は必ず守る。』



父にはとても感謝しております。
前記事に愚痴らしいことを沢山書いておりますが、
愛情の裏返しとはこの事を言うのでしょうか。
そもそも大事に思ってくれる存在に対して嫌悪感を抱く人の方が少ないと思いますけど、
特に今の私には、大変ありがたい存在だなと感じております。

具体的に言うと、
私の人格の再構築にとって、とても有益な接し方をしてくれています。
私が基本あまりしゃべらないせいか、父はあったことや感情を、極力私に表現します。
仕事終わって疲れてることを感じさせないくらいに、よく話しかけてくれます。
母に聞いたところ、昔からこんな感じだそうです(笑)

私の
突き放し癖、
特定の人物のみの依存症、
極端なコンタクトの取り方、

これが生じた結果、自分が苦しい思いをすることが多く、人付き合いはめちゃくちゃでした。
受け入れてくれる人は数えるくらいです。
悪いと分かっていても、己を見つめるのが怖く、気づいていないふりをしてきました。
今まで築き上げてきた『私』を、全て否定してるようで、
それが嫌で嫌で、ものすごい勢いで拒んでました。

ここ数日、
私はどうなりたいのか、
これから私という存在はどうありたいのか、
りりあとは、どんな人格であっていきたいか、
心の奥で怖がってる弱い自分とできる限り向き合い、四苦八苦考えておりました。
(おそらくですがそのおかげで偏頭痛が酷かったんだと思います)
その甲斐あって、大分りりあの人格のイメージが確立してきました。

その『これからのりりあ人格の理想』に近づく手助けを
父には沢山してもらってます。
対 相手 に対する受け答え方の鍛練をさせていただいてます。

これがカウンセラーさんと同居とかになると、間違いなく妨げになります。
一緒に居ればとても楽です。
ただ、本当の意味で良くはならないです。
必然的に常にこちらが話し手になりますので、そこが楽ということ。
この楽さは、自分より長けた人に心を寄り添わすことができる安堵感で、依存と類似します。
対象がいなくなれば、あっという間に崩れます。
感覚を麻痺させる薬、そのものなのです。


接客の仕事に触れれば(明日、合否が決まります)
父だけでなく色んな人の情報が入ってきます。
多種多様な方々と触れ合うことができます。
接し方のレパートリーも増えるだろうし、相手がどんな人なのか、見極める力もつくでしょう。
私の弱い心を鍛えるために、もっと前進する機会が増えます。
最終的には、今は意識してやってることを自然と振る舞えるようになるつもりです。

どちらにせよ、いい方向に進んでいけばいいなと願うばかりでございます。


信じるという行為を忘れてた私にとっては、
信じるという感覚を少しずつ取り戻しつつあるので、
それだけでも前進かなとは思ってます。

本来、人は急に変化できません。
時間をかけて、焦らずに、落ち着いて。
やっていこうと思います。