毎週のように色々イベントがあって、生活を記録しておきたいのになかなか追いつきません~ショック!
これは確か11月の始めの頃にあった、うーのクラスメイトでご近所のAのお誕生日会。




お母さんのKは『デコレーション協会』なるものの会員らしくて、娘たちのお誕生日には毎回びっくりするようなケーキを作ります。
初めて聞いたときは
「なんだデコレーション協会ってはてなマーク♥akn♥
とKの冗談くらいにしか思っていなかったのですが、今ではその実力は冗談どころではないことがこれでもかというくらい判明。
ああ、こんなケーキを作ってくれるお母さん、素晴らしいなあ~!!!


A、4歳のお誕生日おめでとう!クラッカー
アジア系と欧米系のミックスの子って、すごくアジア寄りからまったくの欧米寄りまですごく幅が広いと思うのですが
Aはかなりアジア寄りのためかすごく親近感があり、しかもやること言うことがいつも愛らしいので本当に可愛いですラブラブ
そしてなぜかエタンによくなついています。笑


さて私たちはヤンゴンではGolden HomeというこじんまりしたB&Bに泊まっていました。
全部で10室くらいしかなくて、私たちがいた2階は歩き回るとたぶん1階にすごく響いてうるさいような作りでしたが
部屋は清潔だし、バスタブもあったし(子連れには重要)、熱いお湯もたっぷり出てかなり快適でした。音譜

Pgell and 67days


そしてスタッフの方々も物静かながらとてもフレンドリーで、
私たちがまだ食事が終わっていなかったりするとエタンとうーはよくレセプションに入り浸っていました。
そこでスタッフの方とお話したり遊んでもらっていたようです。

Pgell and 67days

鯉がたくさんいて、エタンはパンをあげさせてもらったりもしていました。
そう言えば、ここのレストランで食べたシーフードのフライが思った以上に美味しかったです。
場所は日本大使館のすぐ近くです。

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ミャンマーに来る前から編み物にはまりだしたエタンは
「ミャンマーにもニッティングを持っていく!」
と聞かず、暇があると鉤針編みをしていました。
たぶんこんな旅行先に来て編み物をしている6歳の男の子って、そんなにいないですよね。笑
これを見て、スタッフの女性が新しい編み方も教えてくれたりして助かりました~
私、鉤針編みなんて全然わからないので・・・・

Pgell and 67days

部屋にあった冷蔵庫。
旦那さんが
「おお、これはインドでベストセラーになったという冷蔵庫じゃないか!!」
と言うのでなぜかと思ったら、冷蔵庫に鍵が付いているからなんですって。
使用人とかが勝手に冷蔵庫から物を盗ったりすることが多いのでしょう、インドでよく売れているそうです。


中心地のホテルでの小さな爆発があった翌日、不安に思いながらも国立博物館へ行ってみることにしました。
一応朝にホテルのスタッフの人に大丈夫か聞いてみたら、
いつもフレンドリーな彼女が明らかに答えにくそうな、嫌そう~な顔をしたのでびっくりしました。
たぶん、あまり触れたくないことなのかな。
彼女は
「犯人はたぶんインド人」
と言っていたけれど、なぜインド人???という感じでした。 たぶん違うのでしょう。
でも普段はこんなことはあまりないし、博物館なら警備はむしろ厳重なので心配ない、と言われてとにかく出かけてみることに。

Pgell and 67days


途中の道で、止まってしまった車を警察官も含めた人たちみんなで押していました。
これがまた、もう少し前から見ていると全員が和やかにしゃべりながらすごい笑顔で押しているんです!
何だかこっちまで笑ってしまった。
アジアのこういうところ、大好きです。星


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庶民の足としてよく見かけたのは、こういう小型の乗り合いバス。
ギュウギュウに乗っていると後ろの部分に人が立ってつかまっているのですが、
そういう場所に立つのはちゃんと男性だけで、混んでいても女性は中に入れてくれるのだそうです。




Pgell and 67days

着きました、国立博物館。
ちなみにうーのこの頭にお花が咲いたスタイルは、我が家では『花かっぱちゃん』と呼ばれています。


Pgell and 67days

参照。


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社会科見学みたいなものでしょうか、ミャンマーの中学生みたいな子がたくさん博物館にいました。
どうやら緑色のロンギが制服なんですね。

ここの博物館は入り口で荷物を預けなければいけなくてカメラも持ち込み禁止なので、残念ながら中の写真はありません。
展示物は10世紀頃のものからイギリスに植民地支配される前までのビルマ王朝のものが主で
館内が広いのでややガランとした印象はありますが、壮麗で見事なものが多かったです。
特に素晴らしかったのは、この獅子の門。


Pgell and 67days

             (写真はお借りしました)

中部のマンダレーという場所にあったビルマ王朝時代のお城の王の門のひとつです。
こちらは当時の現物。
一時期イギリスに略奪されてインドへ運ばれたものをひとつミャンマーへ戻したそうです。
門は他にも孔雀の門、象の門、蓮の門など8つくらいあったらしいのですが、他の門はまだイギリスの博物館にあるそうです。
この門はかなり大きくて4~5mはあると思うのですが、お城のミニチュアを見るとそんなに大きくは見えないので、
当時のビルマ王朝の絢爛さ、建築物のレベルの高さが忍ばれます。

あとは銀で編まれた絨毯や、繊細な彫刻が施された王妃の椅子や・・・
知りませんでしたが、ビルマ王朝は随分と豊かで栄えていたようですし、文化も高かったようです。

そのためもあるのか、かつて1960年代くらいまではアジアの学生が留学していたのはミャンマーのヤンゴン大学だったそうですし(シンガポールやタイから学生が勉強しに来ていたそうです)
当時はタイの駐在員が買いだしに行くのはやっぱりヤンゴンだったとか。
なんと日本の大丸があったそうです。びっくり!!目
今ではすっかりタイやシンガポールの方が発展した国となっていますが、国が開かれていくと
発展する潜在能力??はミャンマーはとても高そうな気がします。
変な言い方ですが、なんとなく、普通の人のIQも高そうだし・・・・
上手く言えませんが、ミャンマーにいる間中そんな印象を持っていました。


そして今まで何と言うこともなく見ていた博物館ですが、
ヨーロッパの博物館にあるアジアの芸術品などは、元をたどれば大航海時代に略奪してきた物も多いのかも・・・とここの博物館の説明を読んで思いました。
もちろんちゃんと買ったりした物もあるでしょうが、そう思うとちょっと複雑です。

東南アジアで暮らしていて思うのは、かつて植民地として支配していた当時の国の影響は、今でもやっぱり大きいな、ということ。
ミャンマーはイギリスに支配されていた訳ですが、同じく植民地としていたインドから多くのインド兵を連れてきたため、今でも北部インドの文化を持っているインド系ミャンマー人がたくさんいます。
当時のイギリスの政策でミャンマーは米の生産担当、インドは紅茶の生産担当だったのが
現代もそれがしっかり残っています。

私の同じ職場でもイギリス人は何人もいますが、彼らの出身は『南アフリカ』だったり『ボツワナ』だったりする訳で、ここでもかつての『大英帝国』の遺産を感じます。
ベトナムはフランスに支配されていたので、言葉の中にそのままフランス語が残っていたりしますしね。
こう考えると、日本はアメリカの影響を一番受けていると考えられるのでしょうか・・・・植民地と言うほどではなかったのかもしれないけど、たぶんそうなのでしょうね。
いや、まだアメリカ軍が我が物顔に駐屯していたりするのだから、今でもそれは続いていると言えるのかもしれません。
個人的には、日本にはもっと毅然とした態度をとって欲しいのだけど。


何だか話がずんずん逸れてしまいましたが、そんなことを考えた博物館でした。

そしてお茶をしに、友人お薦めのホテル The Governor's Residence  に向かいました。
続く~音譜