ニュースを見るにつれ、フィリピンの台風の被害の大きさに愕然としてしまいます。
私の職場にはフィリピン人の同僚もいて、今日はその一人から
「日本からの救援物資が届いたよ。ありがとう!!」
と言われました。
彼らの家族は大丈夫なようだけど、彼らの友人の出身地だったりするようなので、彼女はもう個人的に募金を送ったと言っていました。
「今何が一番必要そうなの?」
と聞くと
「水!!!」
だそうです。
あと小さな島なので、救援物資が届いてもそれをどうやって運ぶかとか届けるかとかが大きな大きな問題のようで・・・
台風で水の被害と聞くと、どうしても東北の津波と重なって辛い気持ちになります。
私もできるだけのことができたらと思います。
このワルシャワでの国連気候変動会議でのフィリピン代表・サノ氏の演説は本当に胸に迫るものがありました。
私たちの子供の子供のさらに続く子供たちのためにも、人間が地球環境を壊すのを防いでいくような条約が締結されることを強く願います。
さて、旅行代理店で用事が済んだ後はフリーペーパーに載っていたRuby Martというデパートのような所へ行ってみたりしました。
うーん、デパートと言うより小さなショッピングモールと言うべきかな??!
ヤンゴンの状態を見てウェットティッシュを持ってこなかったことを激しく後悔していたので
ここでは携帯用のウェットティッシュやおやつ、除菌用アルコールなんかを一そろい調達しました。
ざっと見ても、品揃えはとても充実していましたよ!
それにしてもベトナムに住んでいても思いますが、
現地で一番情報源として役に立つのは、やっぱり住んでいる日本人が発行しているフリーペーパーだと思います。
ここではずっと以前も書いたように、ミャンマー女性の一般的なファッション、ロンギを見ているのが本当に面白かったです。
旦那さんや子供たちと離れて見ていたら後からなかなか合流できなくてちょっと焦りました。
そうそう、ここのトイレは十分使えますが、女性なら直接座らない『空気椅子テクニック』が必須だと思います。
そして目抜き通りであるアウンサン通りをそぞろ歩き。
この通りの名前は、アウンサンスーチーさんのお父様であるアウンサン将軍からとられています。
当時の国民の英雄であったアウンサン将軍はスーチーさんが2歳の時に暗殺されているのですが
犯人やその理由はいまだに謎なのだそうです。。。
この映画、B級っぽいな。
鍋にいっぱいの飲み物を売るインド系っぽいおばちゃん。
「絶対に暑いから」
とB&Bの方が日よけ用に傘を貸してくれていたのですが、
暑い中歩くのが大嫌いで不機嫌MAXのエタン。
それでも歩いてくれるようにはなったので、昔に比べたら成長したもんです。
屋台でいなごみたいなのも売っていました。
その場で作ってくれるザボンサラダのようなもの。
女性がよく買っていました。
気になったのでトライしてみればよかったなー
お坊さんが普通によく歩いています。
知り合いのように見えますが、たまたま並んだだけ。
日本食レストランを探して歩いていたら、電車が見えました。
これが唯一ヤンゴンを走っているという環状線に違いない!
なんでも1周3時間かけてのろのろ走っているそうです。
ヤンゴンでやることが何もなかったらこれに乗ってみるのもいいかもね、と話していました。
駅舎がストゥーパみたいな形でいい雰囲気だなあー と思っていました。
ぶーぶー文句を言うエタンをなだめなだめ(うーはすでに抱っこ)、ようやく辿り着いた老舗の日本料理屋さん『壱番館』!
値段は高めですが、お料理は本当に普通の日本食でとても美味しかったです。
まだ2日目ですが、ヤンゴンは日本食のレベルが高いな!と感じていました。
この写真の後ろにたまたま少し写っている建物は政府系の大きなホテルなのですが
この日の夜にここで小さな爆発があり、アメリカ人ツーリストが一人怪我をする事件がありました。
このことは翌朝になってから知って、こんな身近でそんなことが起こることに恐怖を感じ
正直ミャンマーが嫌いになりそうでした。。。
軍政権がもっときつく市民を縛っていた時は、むしろこういうことは少なかったのかもしれません。
ミャンマーも少数民族との問題をずっと火種として持っている国なので原因はなんなのかはわからないし、ホテルの人もはっきりとは言いませんでしたが
今はこういうことがどこでも起こりうるのが悲しいです。。。
それでも、ミャンマーはアジアの中では抜群に安全な国ですが!!
そしてその後のあまりの素晴らしさに、やっぱりミャンマー大好きなのであります~。
私の職場にはフィリピン人の同僚もいて、今日はその一人から
「日本からの救援物資が届いたよ。ありがとう!!」
と言われました。
彼らの家族は大丈夫なようだけど、彼らの友人の出身地だったりするようなので、彼女はもう個人的に募金を送ったと言っていました。
「今何が一番必要そうなの?」
と聞くと
「水!!!」
だそうです。
あと小さな島なので、救援物資が届いてもそれをどうやって運ぶかとか届けるかとかが大きな大きな問題のようで・・・
台風で水の被害と聞くと、どうしても東北の津波と重なって辛い気持ちになります。
私もできるだけのことができたらと思います。
このワルシャワでの国連気候変動会議でのフィリピン代表・サノ氏の演説は本当に胸に迫るものがありました。
私たちの子供の子供のさらに続く子供たちのためにも、人間が地球環境を壊すのを防いでいくような条約が締結されることを強く願います。
さて、旅行代理店で用事が済んだ後はフリーペーパーに載っていたRuby Martというデパートのような所へ行ってみたりしました。
うーん、デパートと言うより小さなショッピングモールと言うべきかな??!
ヤンゴンの状態を見てウェットティッシュを持ってこなかったことを激しく後悔していたので
ここでは携帯用のウェットティッシュやおやつ、除菌用アルコールなんかを一そろい調達しました。
ざっと見ても、品揃えはとても充実していましたよ!
それにしてもベトナムに住んでいても思いますが、
現地で一番情報源として役に立つのは、やっぱり住んでいる日本人が発行しているフリーペーパーだと思います。

ここではずっと以前も書いたように、ミャンマー女性の一般的なファッション、ロンギを見ているのが本当に面白かったです。

旦那さんや子供たちと離れて見ていたら後からなかなか合流できなくてちょっと焦りました。
そうそう、ここのトイレは十分使えますが、女性なら直接座らない『空気椅子テクニック』が必須だと思います。

そして目抜き通りであるアウンサン通りをそぞろ歩き。
この通りの名前は、アウンサンスーチーさんのお父様であるアウンサン将軍からとられています。
当時の国民の英雄であったアウンサン将軍はスーチーさんが2歳の時に暗殺されているのですが
犯人やその理由はいまだに謎なのだそうです。。。
この映画、B級っぽいな。

鍋にいっぱいの飲み物を売るインド系っぽいおばちゃん。
「絶対に暑いから」
とB&Bの方が日よけ用に傘を貸してくれていたのですが、
暑い中歩くのが大嫌いで不機嫌MAXのエタン。
それでも歩いてくれるようにはなったので、昔に比べたら成長したもんです。

屋台でいなごみたいなのも売っていました。
その場で作ってくれるザボンサラダのようなもの。
女性がよく買っていました。
気になったのでトライしてみればよかったなー
お坊さんが普通によく歩いています。
知り合いのように見えますが、たまたま並んだだけ。
日本食レストランを探して歩いていたら、電車が見えました。
これが唯一ヤンゴンを走っているという環状線に違いない!
なんでも1周3時間かけてのろのろ走っているそうです。
ヤンゴンでやることが何もなかったらこれに乗ってみるのもいいかもね、と話していました。

駅舎がストゥーパみたいな形でいい雰囲気だなあー と思っていました。
ぶーぶー文句を言うエタンをなだめなだめ(うーはすでに抱っこ)、ようやく辿り着いた老舗の日本料理屋さん『壱番館』!
値段は高めですが、お料理は本当に普通の日本食でとても美味しかったです。

まだ2日目ですが、ヤンゴンは日本食のレベルが高いな!と感じていました。
この写真の後ろにたまたま少し写っている建物は政府系の大きなホテルなのですが
この日の夜にここで小さな爆発があり、アメリカ人ツーリストが一人怪我をする事件がありました。
このことは翌朝になってから知って、こんな身近でそんなことが起こることに恐怖を感じ
正直ミャンマーが嫌いになりそうでした。。。

軍政権がもっときつく市民を縛っていた時は、むしろこういうことは少なかったのかもしれません。
ミャンマーも少数民族との問題をずっと火種として持っている国なので原因はなんなのかはわからないし、ホテルの人もはっきりとは言いませんでしたが
今はこういうことがどこでも起こりうるのが悲しいです。。。
それでも、ミャンマーはアジアの中では抜群に安全な国ですが!!
そしてその後のあまりの素晴らしさに、やっぱりミャンマー大好きなのであります~。
