源内の草案を元に戯作を書いたのは、やはり定信でしたね!

仇討ちの仲間入りを無理強いをさせられた蔦重は、定信と嫌みの応酬をしながら、しっかり資金を引き出すことに成功していました。「べらぼう」では最初からずっと資金調達に重きを置いて描かれています。


源内が生きていると思わせる騒動を引き起こす案として浮上したのが、「曽我祭」にあわせて、役者絵を売り出すことでした。

喜三二や南畝たちと考え出した絵師の名前が


しゃらくさい

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洒落くさい

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写 楽

この世の楽しみを写す

ありのままを写すことが楽しい


源内が描いた(とされる)蘭画のような絵を描くことを絵師たちに依頼した蔦重でしたが、思うような絵ができず、絵師を怒らせ険悪な雰囲気に!

歌麿にダメ出しし続けていたようにはいきませんよね。

一方、そのダメ出しをしない本屋達に物足りなさを感じていた歌麿。


その歌麿のもとを、おていさんが蔦重からの「恋文の返事」として『歌撰恋之部』を持って訪れました。

歌麿がしこりを感じていた歌麿の名前と版元印の位置についても、作品ごとに上下を変えることで、対等な関係性であることを伝える配慮がされていました。

見たい。二人の男の業と情、因果の果てに生み出される絵というのものを見てみたく存じます。私も本屋の端くれ。サガというものでございましょうか。

おていさん、腐女子か!

この言葉が歌麿を動かしました。

次回はいよいよ蔦屋プロジェクトの写楽誕生ですね!



放送前にフライングで、歴史評論家の

徳島藩主お抱えの能役者だったというのが定説だ。だが、NHK大河「べらぼう」ではそのことを完全に無視している。これまでの内容が良かっただけに残念だ

という記事が出ていました。


東洲斎写楽は「阿波徳島藩蜂須賀家お抱えの能役者で、江戸の八丁堀に住んでいた斎藤十郎兵衛である」という説が最有力と言われています。

根拠は、『浮世絵類考』の改訂版『増補浮世絵類考』の写楽の項目に「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也。」と記載があることで、いろいろな条件が一致するそうです。

しかし、これだけしかないとも言えるかと思います。



「べらぼう」が始まる前に、「蔦屋工房説」を採るのではないかと予想していました。


写楽の謎


写楽が一人の絵師だとすると、10ヵ月という短い期間に140作もの絵を描くことができたのかという疑問がまず生じます。

ただ、これは以前から描き貯めていたものを、集中して世に出しただけかもしれません。


最大の謎は、発表時期における画風や画力の違いです。写楽の活躍期間は第1期から第4期に分けられます。

第1期は、大判大首絵で、写楽と聞いて思い浮かぶほとんどがこの時期の作品です。

第2期は、全身像が描かれています。

第3期は、背景が描かれています。

第4期は、素人目にも筆力の衰えがはっきりわかります。


画風の違いについては、世の中の評判やニーズに応えたものかもしれませんが、わずか10ヵ月の間に、これだけ画力の差があるのは不思議です。

有力絵師の存在にも関わらず、「蔦屋工房説」が以前としてあるのは、この謎が解けないからだと思っています。


ドラマでは、この謎にどのように迫るのか楽しみです。