平野啓一郎さんは、中学時代に三島由紀夫の『金閣寺』を読んで強い衝撃を受け、それが文学に目覚めたきっかけになったそうです。

2023年に構想・執筆23年の『三島由紀夫論』を刊行し、小林秀夫賞を受賞しています。


私が最初に三島作品を読んだのは小学生の時で、『潮騒』でした。



小学館の『少年少女世界の文学』の30巻目に収録されていました。川端康成監修で、編集委員に村岡花子の名前もあります。
『潮騒』が子供向けの小説なのかは、少し疑問なのですが、特に衝撃を受けることもなく、「その火を飛び越して来い」というセリフだけが印象に残りました。
当時は、割腹自決という凄絶な最期を遂げた人物だということは知りませんでした。数年後に知った時は『潮騒』のイメージとは結びつかず、よくわからない過激な人だと思いました。
その後、何冊か読んだのですが、作者の人生と結びつけて考えることはなく、純粋に小説として読んでいました。

少し前に、東京バレエ団がベジャールの「M」を上演していて、映像を少し目にする機会があり、興味が出て来たので、あれこれと三島について書かれているものを読んでみました。
三島文学を語れるほど読み込んではいませんし、思想については全く理解できないのですが、感じたことを少し書きます。

三島が自決した昭和45年11月25日は「日本新聞史上、最も夕刊が売れた日」と、当時言われていて、TVでも特集番組が放送されたそうです。

勤め帰りに本を買い求める人達で、書店はパニック状態になったそうです。

大変な騒動だったことでしょうね!


三島文学については、反対の概念を組み合わせた題名が多いと言われています。

病弱であり戦地に行くことができなかった平岡公威という青年が創りあげた理想像が、三島由紀夫で、そのため、常に正反対の概念が同居しているのではないかと思いました。


痩せていた三島が、後年ボディービルで身体を鍛え上げたことは、よく知られています。俳優の仲代達矢さんの読売新聞連載記事の中に「三島由紀夫 肉体の美学」があり、興味深いエピソードが語られていました。


「作家なのにどうしてボディービルをしているんですか?」と聞くと、三島さんは衝撃的な発言をしました。「僕は死ぬときに切腹するんだ」と。「筋肉にしておかないと、切腹してさ、脂身が出ると嫌だろう」。そのときは冗談だと思って聞いていました。


こんなことをさらっと言われても、悪趣味な冗談としか思えませんよね。何となく、三島という人物がわかるような気がしました。


平野啓一郎さんの『三島由紀夫論』の受賞記念として、インタビューが無料公開されていたので、そちらも読んでみました。


まず、戦後の「虚無感」と「生の実感」について語られていました。多くの人が

出世主義に生きがい

音楽だと、ビートルズへの熱狂、また体に響くジャズやロックのしびれるような音楽の陶酔感

スポーツで体を動かすというのも生きる実感のひとつ

というように、身体で生きる実感を感じていたと語られていました。終戦後の若者を突き動かしていたエネルギーの正体がわかったような気がしました。


三島については

三島が戦後社会に感じていた空虚感

その空疎さの上に美を打ち立てていく彼の文学者としての姿勢

三島の言語芸術は、虚無の上に打ち立てようとしていた一つの大きな実体

と、考察されていました。

「虚無の上に美を打ち立て」たという三島文学論は、とても面白く感じました。


いろいろ読んでも、三島の思想はよくわかりませんでした。誰かの目を通した三島は理解できても、私自身が理解するのは難しそうです。