史実どおりと言えばそうなのだけど、春町の悲劇は、蔦重と定信にとって抑制にならず、むしろ突き進む理由になっていました。
犠牲者が出たからやめよう、ではなく、だからやめられない、というのはよく聞く話ではあります。
大河ドラマは終盤になると、純粋だった主人公が頑なになってしまうことが多いけど、まさか蔦重もそうなるとは予想もしていませんでした。
せっかく、ていが諫言をしてくれているのに、聞く耳を持たないのが残念でした。
政演(山東京伝)は、あんなに怖がって嫌がっていたのに、蔦重のせいで処罰されることになったのだとしたら酷すぎます。
蔦重が却下した案による政演の『心学早染草』が、他の版元から出版されて売れていることに腹を立て、政演に乱暴を振るう姿は、まるで親父さまではないですか!?
蔦重、どうしたのでしょう?
(『心学早染草』に登場する善魂、悪魂は、今の「善玉、悪玉」につながっているそうです。)
一方、定信の改革も厳しさを増していました。
大奥にも経費節減を突き付けていました。
「鈴木越後の羊羮」は、現在の価値で1棹5万円ほどする超高級品だったそうで、至極真っ当な要求ではあるけれど、大奥は敵に回すと怖い存在です。
定信VS.大崎は、定信の勝利に終わったそうですが、定信政権が短命に終わったのは、大奥に嫌われて、味方がいなかったせいもあるかもしれませんね。
帝の「父に太上天皇を贈りたい」という要望も許可せず、失脚の理由の一つと言われる「大御所」の件の伏線が敷かれていました。
ようやく幸せを掴んだ歌麿ですが、きよの足の出来物が気になります。
あの職業によるあの病気でしょうか!?