わかってはいたんです。

多分そうなるんだろうなと。

死んだことにして逃げ延びられたらいいなと思っていたけど、案の定鬼脚本でした。


春町の新作『鸚鵡返文武二道』も売れて、定信は黄表紙好きだから~と調子に乗っている蔦重でしたが、実は定信は忙し過ぎて、読む暇がないだけでした。

なぜ、忙しいのかというと、お役目を引き受けてくれる人が減少し、人手不足になっていたからでした。

昨年「光る君へ」でずっと任官運動の苦労を見ていたので、なぜせっかくのお役目を辞退するのかと思っていたら、賄賂が取り締まられ、旨味がなくなり、持ち出しばかりが増えた結果でした。

仕事と報酬が見合うのが基本だけど、それが財政が苦しくてできないので、賄賂を許して来たのが田沼時代だったことを納得しました。


文武奨励策が揶揄されていることを知り、激怒した定信により、『鸚鵡返文武二道』『文武二道万石通』『天下一面鏡梅鉢』が絶版処分になりました。


そうなると、武家である戯作者たちの足元にも火がつきます。

久保田藩の江戸家老(思っていた以上に大物でした!)である平沢常富(喜三二)は、藩主に涙ながらに怒られ

「遊びってぇのは、誰かを泣かしてまでやることではないからな」

と筆を折る決意をします。

その後に、吉原での送別会で蔦重たちに乗せられて、「まあさん、まだ書けます」などと言っていましたが、黄表紙はもう書かなかったようです。

久々の登場の吉原も、倹約令によるものか、色彩がかなり地味になっていました。年季があけた松の井が、手習いの師匠になり穏やかに暮らしていて、本当に良かったです。


治済に田沼病と『悦贔屓蝦夷横領』を渡され挑発された定信は、「倉橋格なるものを呼び出せ!」と怒り心頭でした。

倉橋格(春町)は、1万石の小名である駿河小島藩の年寄本役で、藩主が「病のため隠居した」と庇っていました。

何の目立ったところも、際立ったところもない家じゃ。恋川春町は当家唯一の自慢。私の密かな誇りであった。
という言葉に泣かされました。

こんなことを言われたら、「死んで別人となり、戯作者として生きてゆく」という蔦重に案には乗れなくなりますよね。


辞世の句

我もまた身はなきものとおもひしが 今はの際はさびしかり鳧(けり)


鳧は鴨のことで、「鸚鵡のけりは鴨でつける」という意味を含んでいるようです。

真面目だった春町は、戯作者として最後まで真面目に「豆腐の角に頭をぶつけて死んだ」とオチをつけていました。


春町の主君から

戯ければ腹を切らねばならぬ世とは一体誰を幸せにするのか。

学もない本屋風情には分かりかねると、そう申しておりました。

と、蔦重の言葉を伝えられた定信は、一人で布団部屋で号泣していました。