ついに田沼意次が退場となりました。
すべての責任を取らされる形で、ぎりぎりの大名格である1万石にまで減封され、相良城は打ち壊されるという過酷な最後となりました。
昨日は、首相辞任会見という大きな出来事があり、今年の大河ドラマとの類似に驚いています。
老中首座となった松平定信は、読売を利用して、吉宗の孫であることを広めるなどイメージアップを計っていました。
この時代の幕府は、すでに一方的な押し付けのみで改革をするのが難しく、世評を無視することができなくなっていたようです。実際に定信が隠密を使って集めた情報の「よしの冊子」という資料が残っています。
また、読売によって流される情報が、為政者によって誘導されるものであることに怖さを感じます。
これは、情報化社会に生きる私達も同じことで、一つの情報を鵜呑みにすることなく、あらゆる視点の情報を読んだうえで、自分自身で判断することが大事だと思っています。
順調なスタートかと思えた定信ですが、
世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず
という有名な狂歌が早くも登場していました。
この作者として疑いをかけられたのが、御家人である大田南畝でした。
ドラマ内でも、必死で自分ではないと言っていましたが、自身の随筆で否定しています。私も南畝の作としてはストレートすぎるので、違うのではないかと思っています。
すっかり震え上がって筆を折ると明言した南畝ですが、蔦重に乗せられて歌麿の狂歌絵本『画本虫撰』にしっかり参加していました。
「べらぼうナビ」で、『画本虫撰』が狂歌の書き下し文付きで全ページ紹介されています。
9月14日(日)午後8時44分までの限定掲載ですので、興味ある方はお早めにどうぞ!
鳥山石燕の序文の現代語訳もありました。その最初の部分を少しだけ。
心中に(対象物の)生命を取り込んでから、手に持つ筆によってフォルムを形成するのは画技の骨法であって、いま、門人歌麿が成し得たのは、まさにそれぞれの虫の中に備わる生命そのものを写すことであり、これこそ「心画」と呼ぶべき境地である。
書をもって抗う決意をした蔦重は、『画本虫撰』の豪華本と、「一見、持ちあげているとみせて、実はからかう」という大胆な黄表紙3作品を刊行します。
歴史を学んだ私達視聴者は、蔦重や山東京伝への処罰を知っているから冷や冷やものです。
その中でも、恋川春町は悲劇的な最期であったと言われています。(実際は不明)
そして、意外なことに、南畝は出世して、しかも当時としてはまあまあの長生きをしています。
辞世の句
今までは人のことだと思ふたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん
暗い重い時代ですが、どのように描かれるか楽しみです。