予想もしていなかった悲劇に呆然としてしまいました。


家治の死と意次の失脚は、史実のとおりなのであらかじめ知っているから、物語の展開の上手さに感心しながら観ることができていました。


だけど、まさか新之助一家が・・・


二人の間にとよ坊が生まれ、苦しい生活の中でも三人で寄り添って、ドラマの庶民代表としての位置づけで生きていくのだと思っていました。


蔦重がみんなに配れるほどはないから「お口巾着で」と渡した米が、悲劇の引き金になってしまいました。

ふくは栄養が不足して乳が出なくなった母親たちの赤ん坊に、自分の身を削ってお乳をあげていました。

(大奥での家治の毒殺に、牛乳で作られた「醍醐」が使われたことに寒々しい皮肉を感じます。)


母親の一人が「あの家にはお米があるんじゃないか」と夫に言ったことにより、ふくととよ坊は命を落とすことになってしまいました。

必死で詫び続ける夫婦と泣き続ける赤ん坊の声が胸に突き刺さります。


「この者は俺ではないか。俺は、俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」

とよ坊を一緒に逝かせてしまった物語の残酷さに震えます。もし、とよ坊だけでも生きていたら、新之助は生きる意味を持ち続けることができたと思います。

新之助の怒りの矛先がどこに向かうか、そしてそれが不幸にしかならないことも予想できてしまうので辛いです。


あと、気になったのが、蔦重がきれいな着物を着て、お見舞いの品を持って、軽口を叩きながら、大被害を受けて飢えと疲労に苦しんでいる新之助達が住んでいる場所を訪れたことです。

「決まり巾着」とすぐに応じた新之助と違って、無言だったふくは、蔦重に感謝しながらも、わかっていないと感じていたのではないかと思いました。