「人まね歌麿」と評判になったことを蔦重が喜んでいましたが、「人まね」って誉め言葉には聞こえないのですが?
確か、黄表紙を作る会合の時は、以前の作品に同じネタのものがないか、いつも厳重に吟味していますよね?
「今が売り時」と、蔦重は北尾重政と重政そっくりの絵の歌麿による2冊の狂歌絵本を作り、その後「歌麿ならではの絵」を描いてほしいと依頼していました。その選択が「枕絵」というのがなんだかよくわかりませんが(^o^;)
過去の幻覚に苦しみ、描けなくなってしまった歌麿を見ているのは辛かったです。
そんな歌麿を救ったのが、鳥山石燕でした。
三つ目、なぜ、かように迷う
三つ目の者にしか見えぬモノがあろうに
絵師はそれを写すだけでいい
写してやらねばならぬとも言えるがな
見える奴が描かなきゃ、それは誰にも見えぬまま消えてしまうじゃろう?
その目にしか見えぬものを現してやるのは、絵師に生まれついたもののさだめじゃ
この石燕の言葉に、歌麿は
弟子にしてくだせぇ
俺、俺の絵を描きてぇんです
おそばにおいてくだせぇ!
と初めて、心の底に秘めていた思いを表しました。
石燕の弟子となり、花を写生する穏やかな歌麿の顔を見て、これまでは大好きな蔦重のために、蔦重を喜ばせたいから描いていたのだと思いました。
今後、再び蔦重と組むことになるけれど、歌麿が描きたい絵を描き続けることができるのでしょうか?
蔦重が「濡れ手に粟」と言ったら、間髪を入れず「濡れ手で粟」と訂正するてい、ブレないですね~(^w^)
松平定信役は、心ちゃんから井上祐貴さんに変わっていました。涼やかな好青年ですが、これから蔦重たちを弾圧する存在になってしまうのですよね。
今のところ山東京伝作の『江戸生艶気樺焼』をこっそり読んで、「京伝先生は・・・」なんて言っていて可愛いのですが。
一橋治済の雨の中の踊りが不気味だったけど、喜びの表現だったらしいです。
利根川の大洪水を呼ぶ呪いの舞かと思っていました。